「わかったよ、でもなんでアメリカ人はさ、アイの次はアムにしようなんて思ったんだ」
おっとりバカの大森君は質問もおっとりバカなのでした。
「そうだよな、別にアムじゃなくたっていいよな」
すでに何を話しているのか見失ってしまった僕がそれにかぶせる。
「、、、、、、、」
もう何のことやら見当もつかなくなった太郎さんは無言を貫く。
鈴木君は、鈴木君はさびしそうな顔をしていました。
絶望的なようでもありました。
虚無感とはこのようなときに感じるものなのかもしれません。
苦労して築きあげてきたものがまったく意味を成さず、理解もされず、受け入れられもしない世界。そんなものが現実にあるのだと悟ったとき、人はもう何に対しての努力も無意味に感じてしまうのかもしれません。
「もういい。俺ちょっとタバコ買ってくる」
鈴木君はこれでもかと言わんばかりに不機嫌な顔をつくってみせ、これまたベニヤ板で作られた安っぽいドアを勢いよく閉めて出て行ってしまったのでした。
「鈴木君、なに怒ってんだ」
心配そうな顔で僕が言うと、
「あれだよ」と太郎さん。
「なに」
「大森君、ありゃないぜ、英語はアメリカじゃなくてイギリスだろ」
鈴木君の怒りがそんなところにあったのではない事は、今にして思えば当然なのですが、当時の僕たちはまるで理解できずにいたのでした。
「そうだよ、英語はイギリスだよ。だめだよ大森君、だから鈴木君が怒るんだよ」
ドコマデバカナノ。
鈴木君は、それでもなぜか懲りることなく大学の講義が終われば一目散に大森君の部屋を目指すのでした。
知識と教養において万に一つも勝つことのできぬ僕たちではあったのですが、ただひとつ勝るものがありました。それはけんかで養った危険回避の術。時としてバンカラなバリバリの縦社会を形成していたわが母校のようなところでは教養よりもむしろ危険回避の術を身に付けていることこそ、必要なキョウヨウとも言えるときが多々あるのでした。
ヤッコとの関係においてはまさになくてはならないものでした。
ヤッコの本当の名前など誰も知らない。ただ大家さんがヤッコサンと読んでいたので、僕たちもそれに習いヤッコ、もしくはヤッコの野郎という呼び方をしていたのでした。
ヤッコは僕たちと入れ替わりにアパートを出て行った先輩でした。
嫌なやつでした。
つづく
(仕事を終えてから書いているのでちょっと大変です。どこまで続くやらです)