イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

路線変更

2009年03月27日 20時00分35秒 | Weblog
さすがに疲れました。

できばえもチェックできず、投稿していたので、

ちょっと心が折れました。

ここらで一回仕切りなおそうかなと思います。

「鈴木君」のことはもう少し時間をかけて書き溜めてから
改めて投稿します。

またお気楽路線で書いていこうかなと思います。

あだ花 鈴木君のこと 3

2009年03月26日 19時22分41秒 | Weblog
「わかったよ、でもなんでアメリカ人はさ、アイの次はアムにしようなんて思ったんだ」
おっとりバカの大森君は質問もおっとりバカなのでした。
「そうだよな、別にアムじゃなくたっていいよな」
すでに何を話しているのか見失ってしまった僕がそれにかぶせる。
「、、、、、、、」
もう何のことやら見当もつかなくなった太郎さんは無言を貫く。

 鈴木君は、鈴木君はさびしそうな顔をしていました。
絶望的なようでもありました。

虚無感とはこのようなときに感じるものなのかもしれません。

苦労して築きあげてきたものがまったく意味を成さず、理解もされず、受け入れられもしない世界。そんなものが現実にあるのだと悟ったとき、人はもう何に対しての努力も無意味に感じてしまうのかもしれません。

 「もういい。俺ちょっとタバコ買ってくる」
 鈴木君はこれでもかと言わんばかりに不機嫌な顔をつくってみせ、これまたベニヤ板で作られた安っぽいドアを勢いよく閉めて出て行ってしまったのでした。
 「鈴木君、なに怒ってんだ」
 心配そうな顔で僕が言うと、
 「あれだよ」と太郎さん。
 「なに」
「大森君、ありゃないぜ、英語はアメリカじゃなくてイギリスだろ」

鈴木君の怒りがそんなところにあったのではない事は、今にして思えば当然なのですが、当時の僕たちはまるで理解できずにいたのでした。
「そうだよ、英語はイギリスだよ。だめだよ大森君、だから鈴木君が怒るんだよ」

ドコマデバカナノ。

鈴木君は、それでもなぜか懲りることなく大学の講義が終われば一目散に大森君の部屋を目指すのでした。

知識と教養において万に一つも勝つことのできぬ僕たちではあったのですが、ただひとつ勝るものがありました。それはけんかで養った危険回避の術。時としてバンカラなバリバリの縦社会を形成していたわが母校のようなところでは教養よりもむしろ危険回避の術を身に付けていることこそ、必要なキョウヨウとも言えるときが多々あるのでした。

ヤッコとの関係においてはまさになくてはならないものでした。
ヤッコの本当の名前など誰も知らない。ただ大家さんがヤッコサンと読んでいたので、僕たちもそれに習いヤッコ、もしくはヤッコの野郎という呼び方をしていたのでした。

ヤッコは僕たちと入れ替わりにアパートを出て行った先輩でした。

嫌なやつでした。

つづく

(仕事を終えてから書いているのでちょっと大変です。どこまで続くやらです) 

あだ花 鈴木君のこと2

2009年03月25日 19時12分17秒 | Weblog
知り合いや友達になるきっかけなど、大体こんなもんです。何かドラマのような劇的な出会いなどそうそうあるものではありません。大森君は一人っ子で、てんで競争と言うことを知らないおっとりバカ、太郎さんは何から何まで一応一回は斜に構えてみせる斜めバカ、そして僕はと言えばそれまでのあらゆることを中途半端に終わらせてきた中途半端バカ。気の会う接点がまるで見つからないようなこんな四人が、ただ同じ環境に放り込まれたと言うそれだけで、不思議にも親友と呼ぶ以外に方法のないくらい強く結びついていったのでした。
入学してまもなくお互いが示し合わせたわけでもないのに、僕らは決まって大森君の部屋に集結し、そこに大森君がいようがいまいが関係なく、我がもの顔でくつろいで後の三人を待つことが日課となったのでした。もちろんおっとりバカの大森君もそのような状況を安易に受け入れ、自分がいようがいまいが部屋に鍵をかけることはなく、いつでも出入り自由な環境を整えていてくれたのです。
それでも大森君が主役になることはただの一度もありませんでした。四人の中の主役はいつだって決まっていました。
進学校くずれの鈴木君。
ダントツに教養を持ち合わせていた鈴木君はいつだって会話の中心であり、僕たちは彼の教養にただ酔い知れるだけなのでした。

もちろん教養があるとは言え、その範囲は中学校卒業レベル程度のものでしたが、それでも何の教養も持ち合わせていないものにとっては、脅威以外のなにものでもなく、みな彼の前では自分の馬鹿さ加減を嫌と言うほど痛感し、彼の話を寺小屋の子供のように貝のように押し黙ったまま正座をして聞き入るのでした。 

「あのね、you isなんて言い方はないんだよ。I isもなし」。そこで彼は「はぁ」と小さなため息をつきさらに先を進めるのでした。「Youにはare、Iにはam、これは決まりごとなの。たとえばあの猫は黒いを、あの猫を黒いじゃ変でしょ。これと同じで英語にも文を作るときの決まりごと、文の法律とでも言うべきものがあるの」

脳みその半分をけんかの流れをうまく運ぶことのみに費やし、後の半分はすでにあることすら忘れているものたちにとって、彼が何を言っているのか理解できる臨界点はこの時点ですでに過ぎ去り、後はただ呆然と口の動きだけを、しげしげと観察でもするように、さも真剣な顔つきをして見せて理解してるよとでも言いたげな顔で眺めているばかりなのでした。
「どう、わかった」

そんなこと中学校から高校まで一度だって分ろうとしたことのないものたちに分るわけがないのである。
「わかったよ、でもなんでアメリカ人はさ、アイの次はアムにしようなんて思ったんだ」
おっとりバカの大森君は質問もおっとりバカなのでした。
 
つづく

あだ花、鈴木君のこと

2009年03月24日 19時33分11秒 | Weblog
 そもそもの大学の本分から言えば存在していること自体不思議な大学ではありました。
Be動詞の使い方さえおぼつかない者たちが、さも受験戦争に勝ち抜いたような顔をして大学生を気取っているのです。でも、このような掃き溜めのような大学でも、ひとつだけ、そう、たった一つですが、他の大学より極端に勝っているものがありました。 
 
みな多かれ少なかれ高校生のときは武闘派であったということです。もっと端的に言えば個人差はあっても、けんか慣れしているのでした。はったりのかまし方から、逃げ足の速さまで、けんかの所作とでも言うべきものが他の大学の追随を許さぬほど長けていました。もちろん僕とて圧倒的な武闘派ではなくとも、それなりにけんかの数はこなしていましたから、はったりで威勢よく出て行くときもあれば、けつまくってあっという間に逃げていく術もそれなりに心得てはいました。
 
でも、こんな大学でさえ、教養を持ち合わせているものが稀にいるのでした。
 
進学校くずれ。

 中学生のときに嫌と言うほど勉強をして進学校に入り、その時点で燃え尽きてしまい、高校時代をただひたすら遊ぶことに時間を費やしてきた、若くしてすでに世捨て人のような者たちが百人に一人くらいの割合で、まさしくあだ花とでも言うべきが如く、肥溜めに咲いた一厘の花のように決して実を結ぶことはないのだけれど、誰もがハッとせずにはいられない存在として、ポツリポツリと点在しているのでした。

友達となった鈴木君もそんな教養を持ち合わせたうちの一人でした。

1パーセントにしか満たない教養を持ち合わせた貴重な逸材にどうして出会うことができたのかと言えば、それはただ同じアパートであったからと言う簡単明瞭な理由からでした。
僕たちの住んでいたアパートは、アパートと言うよりはむしろ寮という形態に近く、共同トイレ、共同台所、共同風呂と、共同の三点セットによって運営されていたほぼプライバシーゼロのアパートでした。外見はと言えばゴキブリホイホイを二段重ねにしたような、シンプルかつチープなつくりをしていました。部屋の一つ一つも漆喰ではなく、ベニヤ板で仕切られており、落語に出てくる「向こう三軒両どなり」を身をもって体験できる、ある意味貴重なつくりをしていました。
二階建てのアパートに学生ばかり二十四人。廊下を挟んで左右に六部屋ずつ。二階の十二部屋のうち、空いた四つの部屋に新しい一年生が入り、そのうちの一人が鈴木君だったということです。後の三人は僕と、大森君と、太郎さん。これはもうどれもこれも似たり寄ったりで、どうしようもない、手の付けようもないバカでした。

つづく

僕の通っていた大学

2009年03月22日 20時59分52秒 | Weblog
 僕の行っていた大学では、先輩がタバコを咥えると「押忍」といってまず背中に手を回してマッチを擦り、それを消さないように神妙に前に持ってきて、そして両手を添えてふんぞり返ってタバコを咥えている先輩に厳かに火を差し出すことが当たり前のように行われていた、まれに見るバンカラな校風の大学でした。
 
タバコの火一つつけるのも何か宗教儀式が色濃く入り込んだ政(まつりごと)のようでこれはこれで悪くない思い出です。
 
このことからも頷けるように僕の行っていた大学は掃き溜めのような、よるべない、身の置き所もない、学力もないが就職もしたくない、もうどうしようもない者たちが最終的に行き着く、国内きっての最低な大学でした。自衛隊に入るよりはまだあそこのほうがいいのかな、と言う程度の大学です。
 
入ってきたものたちはどれもこれも学力のかけらもなく、I isやYou isが当たり前のように横行し、西の出身者は関東および東北の県を曖昧にしか覚えておらず、また北の出身者も西のほうを相当曖昧にしか覚えていない有様なのでした。
 「あぁあそこね」と言われれば、それは「あのどうしようもない馬鹿のところね」と言うのとほぼ同義。大学の名前を口にした途端に誰もが下を向き、目をあわせようとしなくなる、まるで任侠団体のようなところでした。
 
どうです、こんな大学そうそうお目にかかれません。
 
僕が学生だった頃は西の関西、東の、、、、と言われていました。
 母校が今どの程度のものなのかは分りませんが、去年世界的に活躍し、格闘家となった後輩のあの言動を聞く限りではあまり変わっていないようにも思えます。

大学名は出しませんよ。

こんなにぼろくそに書いて訴えられでもしたら大変なことですからね。

僕らのミライへ逆回転を見ました。

2009年03月20日 21時03分25秒 | Weblog
先日ツタヤから新作も含めてなんでも一本無料で
レンタルできる葉書が送られてきました。

もちろんいそいそとツタヤに出かけて借りてきましたよ。

「僕らのミライへ逆回転」

良かった。

とても良かった。

店頭には「ハンコック」や「アイアンマン」など
CGで作られたアクション映画が並んでいましたが
もういい加減あきました。

この映画はいいですよ。

新作ですが、裏のほうに、しかも棚の一番下に細々と
置かれていました。

どうせツタヤからしたら一応抑えた程度のものでしょう。
CGで作られたアクション映画は馬鹿みたいに借りられていますから。

良かったら借りてみてみてください。



タバコ大嫌い

2009年03月19日 20時59分10秒 | Weblog
そうですか、ストリームのファンだったなんて、なんと素晴らしい。



今日はタバコについて、

車を運転しながらタバコを吸う人の半分は
そのまま吸殻をポイ捨てします。
自転車やバイクに至っては九割以上の人が
ポイ捨てをします。

僕は毎日原付に乗っているので、
本当に良く見るのです。

捨てる人たちにはおおよそ罪悪感はないと思います。
火が着いたまま外へ投げ捨てられるタバコ。

それにタバコの煙。

つらい。

タバコは法律で定められた所定の場所以外では喫煙してはいけない、
違反したものは三年以下の懲役、もしくは罰金百万円、ぐらいの
きついきつい法律を作ってくれないかな。

そうでなかったら一箱二千円くらいにするとかね。

本当に迷惑です。

大変です、ストリームが終わってしまいます。

2009年03月18日 20時46分06秒 | Weblog
大変です。TBSラジオのストリームが終わってしまいます。

ぼくは家に帰ってからパソコンでコラムの花道を
ポッドキャストで聞くことを毎日の楽しみにしていたのです。

それが三月いっぱいでホームページも閉鎖され
聞けなくなるというのです。アーカイブも。

僕の楽しみが、、、。

TBSはあんなにも面白いラジオ番組を終わらせて
何をしようというのでしょう。

ほんとにいまどき珍しく骨のあるマスメディアだったのに。

特にコラムの花道は月曜から金曜まで
どのコラムニストも濃い内容で聞きごたえ
ばっちりでした。

テレビなどでは決して味わうことのできない
ディープな内容で溢れかえっていました。

ほんとにがっかりです。

しょげました。

近々の楽しみ

2009年03月17日 21時31分15秒 | Weblog
一度パソコンの電源を落としたあと、
ブログを更新していないことに気づき
もう一度電源を立ち上げた律儀ものです。

今の僕の楽しみは給付金です。

一刻も早く給付金が支給されないかなと思っています。

かといって自民党を支持するつもりはないですけどね。

くれうるというものは貰っておくべきでしょう。

元をただせば税金なのだしね。

僕のうちなんかいっぱいもらえるんですよ。

子供が三人、大人二人、しめて八万四千円なり。

楽しみだぁ。早くくれー。