イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

演歌も、ね

2009年07月31日 20時25分36秒 | Weblog
今日は遠くのほうから演歌が聞こえています。

いや、民謡かな。

近くで夏祭りでもやっているのかもしれません。(音は遠いけど)

遠くのほうから聞こえてくる民謡や演歌って
そこはかと郷愁を誘いますよね。

演歌なんて不倫の歌ばかりで(そうじゃないのもあるかも)
普通に聞いている限りでは、

もう、結構です、と言いたくなるものばかりなのですが、

遠くのほうから風に乗って聞こえてくる演歌は

なんだかとても懐かしくて、

意外にも心地よかったりもします。

歌詞が特定されないのがいいのかもしれません。


いずれにせよ、演歌を聴いて心地よく感じるなんて、

やっぱり

日本人なんだよね。

演歌は文化なのだと思います。




 

俺は何を書きたいんだろう

2009年07月30日 19時11分26秒 | Weblog
どうやら人は自分が正しいと思ったことを
自分のものだけにとどめておくことができない
存在であることは分りました。

宗教にしろ学問にしろ、人は真理を探求し、
真実だと思えたことを広く人に示したい
と欲望する。

そこになぜと言う問いかけは、なんだかものすごく
くだらない問いかけのように思える。

なぜ地球には引力が存在するの、という問いかけくらいに
意味ない問いかけように感じられる。

そのような問いかけをした瞬間、
神様を持ち出して、

この人(ひとじゃないけど)がそう創ったからだと
言う以外に方法のない問いかけだと思う。

以前テレビで、あまりに根源的な質問をされた科学者が
「それを言われると後はもう神様がそう創ったから
としか説明の仕様がないのでその質問だけは
しないでください」と言っていたのを
ふと思い出しました。


だからここはこう切り出すしかないのです。

とにかく、

老若男女を問わず、(久しぶりにこの表現使ったなぁ)
人は真実を知りたがり、

そして、真実だと感じたことを
誰かに伝えずにはいられないのだ、とね。


色んなところで、色んな方法で

真実だと思えたことは表現され、

時には強引な方法によって
与えられることもある。


あぁ、人間とはいったいいかなるものなんだ。

僕もやはり、その真実を知りたいと願うものなんだけどね。



考えるのやめたい。(無理だけど) 

今日も村上春樹を絶賛するのだ

2009年07月29日 20時29分35秒 | Weblog
ぼくは、文章を読むことに耐えうることのできる
自分であることが、

さらには、文章を楽しむことのできる自分であって
本当に良かったなと思っています。

読んだ瞬間に映像となって現れるすばらしい描写や
遅滞なく時間の流れを感じさせる文章に出会うと、

もうそれだけで感動してしまうのです。

評論家でもなんでもない僕が言うのは
大変におこがましいことだとは思いますが、

村上春樹の小説を読んだときに、あまりに絶妙な文章に
天才とは彼のためにある冠ではないかと思わされました。

その、あまりに簡潔な描写力に
赤線を引いてしまったほどです。

この表現はもう一度読みたいと
読んだ瞬間に思ったのです。

今まで小説読んで気になった箇所に赤線を
引いたことは記憶の中にはありません。

そもそも小説はそのような読み方をしないと思います。


これ、僕だけじゃないと思います。

それくらいぐっと来る文章なのです。

二日続けて村上春樹を絶賛してしまいました。

完全にしてやられてますね。

 

再度、村上春樹

2009年07月28日 19時31分07秒 | Weblog
今、村上春樹の「東京奇譚集」を読み終えました。

五話の短編が収められ、
その一つひとつが実に読みやすい。

以前「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
と言う小説を読み、

その勢いで「ノルウェーの森」を手にしたのですが、

その当時の僕には、
果てしなく黒に近い灰色の世界が広がっているようで、
どうにも読むのがつらくなって、

上巻を読み終えたところで
パタッと読むことをやめてしまったのです。

若すぎたのかもしれません。

それからは一切手にすることはなかったのですが、

少し前、長編の書下ろしが店頭をにぎわせた
ことに触発され、

恐る恐る、今一度手にしてみたと言うところです。

それでもいきなり長編には入りたくなかったので、

ひとまず読みやすそうな短編を探していたところ
これに突き当たったのです。

いま僕は、村上春樹を日本語で読むことができる幸せ
を感じています。

世界各国にいる村上フリークがそのままの日本語で読むことができたら
きっと今以上に村上春樹に熱狂していたと思います。

村上春樹の本を日本語で読めるだけでも
日本人で本当に良かったと思えます。

あともうニ、三冊軽めの本を読んだら
長編に入っていこうかなと思っています。


 

この雨にやられて

2009年07月27日 19時30分04秒 | Weblog
僕の原付は雨の中を走らせると
決まって途中でエンジンが止まってしまいます。

決まって、と言いましたが、
これは事実です。

まったくもって期待を裏切ることなく

何の前触れもなくアクセルが抜けたような
手ごたえを感じたかと思えば
その瞬間ライトがおり、
惰性のみで走るガラクタへと
変貌するのです。

たまには予想を裏切るような走るを見せてくれよと
言い聞かせても、まったく言うことを聞きません。(あたりまえだけど)

もちろん今日もエンジンが止まりました。

癇癪もちの上、短気な僕は

止まってしまったバイクを歩道にまで
押し上げると、決まって一度はバイクを
ぶっ倒してやることにしています。

もちろん、すぐに気を取り直して起こしてあげるのですが、
一度はそうしないと気がすまないのです。

エンジンが止まってしまったバイクは
そのままではエンジンがかかりません。

こんなときはスタンド使ってしっかりとバイクを立て、
思いっきり左右に揺らすのです。

そうすると、あーら不思議、なぜかまたエンジンがかかるのです。

家にたどり着くまでに
こんなことをニ三回繰り返さなければなりません。


バイク屋さんの話によれば

どこの原付も今は海外で組み立てているから
どうしても当たり外れが出てきちゃうんだよね

ということでした。


 

なんとなく続き

2009年07月26日 18時13分50秒 | Weblog
妻の実家での一年半のうちに僕の本は全て
なくなってしまいました。

正確には捨てることを余儀なくされた、ということです。

妻のご両親は、夫婦そろってまったく本を読まない人でした。

それだけならまだしも、

僕の持ってきた大量の本を少なからず疎ましく感じていたのです。

派遣社員ゆえ、たいしたお金も家に入れることができず、

そのことに不満を感じていた義母の矛先が私の本に向かったのです。

「読みもしない本がおいてあるのははなはだ目障りだから捨てて欲しい」
というのです。

別に床に置きっぱなしにしていたわけではないのです。
全て本棚にきちんと納めていたのです。

それが目障りだと言うのです。

たしかに、

この家、妻の実家にはまったく本がありませんでした。

そんな家、あるんです。現にあったのです。

本をまったく読まない、本棚さえ存在させない人たちにとって
は本があること自体目障りに感じることなのかも知れません。

ましてやその本を持ち込んだ人間が経済的に余りプラスにならないと
思えてはなおさらなのかもね。


私に何が言えますか、

もちろん当初は進められたから妻の実家に入ったのですが、
行ってみれば職はない、やっとの思いで見つけた仕事は派遣社員、
給料は薄給の上に安定せず、家に入れられるお金は微々たるもので、
しかも小さい子供を二人も抱えている。

こんな僕になにが言えますか。

「そうですね、読んでないんだから必要ないですもんね」

腹のそこから煮えたぎるような思いをこらえて、
精一杯の笑顔を作ってそういいましたよ。


あの時もつらかったなぁ。

ぼくは、

「これお父さんが読んだ本なんだ」と

年頃になった子供たちが僕が読んだ本を手に取ってくれることを

望んでいたのですが、、、、。


本当にあの一年半はいろんな意味でどん底でした。 

書いているうちにまとまりが付かなくなってしまいました。

2009年07月25日 20時53分56秒 | Weblog
2002年から2003年にかけての一年半、
ぼくの心は本当にどん底の中にありました。

訳あって前橋にある妻の実家に入ったのですが、

これが本当につらかった。

まず、仕事が見つからないのです。

足を棒のようにして毎日毎日職安に通い詰めるのですが、
そうそう新しい募集があるわけも無く、

さりとて妻の両親の目もあるので
ゆっくりとする事もできず

ないと分っていても早々と朝食を済ませ
職安に出かける毎日でした。

職安に行ったとて
毎日見ているのですから
新しいものを探すのに30分とかからないのです。

だからと言ってすぐに家に戻るわけにもいきませんから、
職安の近くを流れていたヒロセ川という川のほとりの
ベンチでどうしようもない時間を毎日何時間と費やしていました。


その他アルバイトニュースからデューダまで職探しの雑誌
と言う雑誌を買いあさり見つけようとしたのですが、

ないのです。

探して探してようやく見つかった仕事は派遣社員。

ひと月半探し回ってようやく見つけた仕事は派遣社員です。

このひと月半、妻の実家でただ飯を食っているようで
本当に気が引けました。

気が付けが体重は10キロも落ちていました。

何をしたわけでもないのです。

ただ精神的に苦しかったと言うだけなのです。

ただそれだけで10キロも体重を落としてしまったのです。


仕事を見つけてからもつらい時間は続きました。

派遣社員とは「社員」とは名ばかりのアルバイトそのものなのです。

それに正社員とはどのようにしても埋めることのできない
隔たりがあって、どれほどの時間がたっても「派遣さんね」
という見下された感じを受けることがありました。

派遣社員とは働けば働くほどに最下層の人間であることを
自覚させられる、そのような職なのでした。

しかも明日の保障すらなく、体調を崩し休めば、それがそのまま
給料に響いてしまうのでした。


このようなことを言う人がいます。

どん底とは何を基準にしていっておられるのですか。
世界には明日をも知れない人が五万といるではないですか、
その人の前であなたの環境を嘆くことが本当にできますかと。

確かにそうです。

あらゆることは相対的事象でしかないのですから、
あるところから比べれば、それなりにまともな生活が
できているだけでもいいじゃないかと言うことになるのかもしれない。

でも僕は言いたい。

確かにとんでもない貧困な国の中で
日本におけるところの最下層な生活レベルを
確保することができるのであるならば
それでおおいに満足できるかもしれないけれども

現実には、

私は日本国民であり、
日本国の中で生活しているのであり、
日本国の中でだいたい許容されている
生活水準と言うものを指標として
自己評価を下しているのですから、

行ったこともない貧困な国を引き合いに出されて
「まともですよ」、なんていわれても困るのです。

日本では毎年3万人強の人たちが
自ら命を落としていくのだそうです。

その人たちを前にして「世界には」
なんて話しをしても何の説得力もないんです。

書いているうちにとりとめがなくなってしまいました。

でも、

何か書こうと思って書きました。

あるんだな

2009年07月23日 20時38分19秒 | Weblog
先日本屋を覗いてみたら

腹をへこますだけのダイエット本が
店頭に平積みされていました。

みんなダイエットしたいんですね。

特にぼく。

さて、

実は今日アシナガ蜂に刺されてしまいました。

でもですね、

虫だけに虫の知らせとでも言いましょうか、

今日に限って蜂などに刺されたときに使う
毒を吸い出す器具を持っていたのです。

形状は注射器そのものです。
使い方は注射器の逆。

つまり押し込むのではなくて
吸い出すと言うことです。

これ、なかなかの優れもんですよ。

すぐにさされたところを水で洗い
10回程度毒を吸い出すと

ほんの少し腫れた程度で
痛みもすぐに治まりました。

昼間さされて、夜はもうほとんど
腫れもありません。

なんでしょうねぇ。

こんなことってあるんですね。

こういうものって日ごろ持っていなければ
いざって時に役に立たないなぁ、

なんて思って何気なくかばんに入れたら
持ち歩いたその日に役立てることができるだなんて。

あるんですね、そんなこと。

脳みそ言うこと聞け

2009年07月22日 19時34分31秒 | Weblog
皆既日食見たかったぁ。

専用グラスは買えなかったので

サングラスを重ねてつければ多少大丈夫かな
と思い、三個も買って準備していたのに。

いたのに、いたのに、いたのに、、、、。

しょうがない、26年後に見るとしますか。


このごろぼくは

単純なことさえ複雑にこねくり回してしまう
わが脳にほとほと嫌気が差しています。

否定的な事実を受け入れようとしないのです。

僕の脳が。

客観的な事実を積み上げていけば、
どうにもうまくいかないみたい、
と解るのですが、

それが簡単に受け入れられないんです。

脳みそがですね、どんでん返しのいい結果を勝手に作り出して、
否定的な事実を飲み込ませようとしないのです。

何か、誰かに言いくるめられているような書き方なのですが、
事実そうなのです。

もういい加減受け入れろ、受け入れるんだよオレ。

そんなふうに言い聞かせても

その五分後には

うまくいっている姿を想像してるんです。

なんだか、

精神分裂症一歩手前って感じですね。

そうかも。

心の疲れが取れないんです。


自分探しに旅はいらない

2009年07月21日 19時07分48秒 | Weblog
本当の自分って知ってますか?

誰しもが自分はこのようなものであると
自分を評価することはできますが、
そのほとんどは自分によって脚色されたものと言って
間違いありません。

もし、本当の自分を探したいのであるならば、

旅になど出ず、

人を雇って、その人に自分の周りにいる人たちを
徹底的にインタビューして回らせたらいいのです。
「○○さんをどう思いますか」とね。

そうすれば自分が何者であるかがわかります。

どのようなイメージをもたれているのか、
そして近しい人からはどのように思われているのか

もちろんその評価こそが本当の自分です。

でも、やめたほうがいいですよ。

たぶん十中八九ショックを受けますから。

だって、

自分は自分が脚色したとおりの人間であって
ほしいですもんね。

自分がいくら「私は自己犠牲をいとわない慈愛
に満ちた人間だ」と思っていても、

50人中48人までが、あの人は自分勝手の
自己中野郎だよ、と言う評価だったら
愕然とするでしょう。

だからね、知り過ぎてはいかんのです。

妻に指摘される程度くらいでちょうどいいのです。

妻の評価なら甘さも入りますからね。