イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

久しぶりに小説読んだ

2010年04月30日 15時05分42秒 | Weblog
「神様のカルテ」を読みました。

以前どこかの雑誌で、物語を物語として書けることは

もうそれだけで素晴らしい、というようなことが書いてありました。

数多ある文学賞に送られてくる作品の多くは、もう読むこともままならぬほどに

内容がグチャグチャで、ストーリーがすっ飛び、何を読んでいたのかさえ

分からなくなるものばかりなのだ、というようなことが書いてあったのです。

だから、多少幼稚な文章でもしっかりとしたストーリーがあり、物語としての

体裁を整えているもの、

そのように書けるというのはかなりの才能があるといってよいのだそうです。

僕は知らんけど、そういうことなのだそうです。

証拠を見せろといわれても困るけど、

そうらしいのです。

それで「神様のカルテ」なのですが、最初に書いたことを

思い出させるような文章です。

文章自体はいかにも新人の方が書いたような印象を受けます。

村上春樹のようにはいきません。

でも、意外としてやられますよ。

電車の中で読んでたりすると、こみ上げる涙を隠すのに大変です。

読後もいいです。

いいものが読めました、ありがとうございます、という気持ちになります。

二時間くらいで読めるので、心の乾いてる方はどうぞ。

もちろんそうでない方も。 

上野にはこんなのもある

2010年04月30日 14時39分06秒 | Weblog
旧岩崎邸に行って来ました。

湯島からほんの数分のところにあります。

代々木上原方面からお越しの方は一番前の車両、反対側からの人は

一番後ろの車両に乗り、そのまま一番近い改札へ向かってください。

つまり湯島天神のあるほうです。

改札を出たら、さらに一番奥の出口から出てください。

そこから先は矢印のついている看板が導いてくれるでしょう。

木造の洋館です。

見事です。

良くぞこれだけのものを造ったものだと、つばを飲み込み、

目を見開いてしまうこと間違いなしです。

なぜ見に行ったかですか?

それはもちろん「竜馬伝」に影響されてのことです。

だってね、竜馬伝は岩崎弥太郎が語りべとなって物語が進行していくんだもん。

どうしたって岩崎弥太郎に興味が行きますよ。

それどころか、見ていくうちに岩崎弥太郎中心に物語を進めてくれないかな、

と思えてくるほど弥太郎のサクセスストーリーが気になってくるのです。

何度も何度も失敗を繰り返し、あがっては落ち、あがっては落ちを繰り返す。

どこで転機が訪れ、上り坂を駆け上っていくようになったのか、

知りたい、いやぁ、知りたい。

あの小汚い岩崎弥太郎が三菱財閥の祖なんですよ。

気になるぅ。

だって竜馬のことはそれなりに知ってますからね。

「竜馬が行く」だって読んだし。

旧岩崎邸、興味のある方は一度訪ねてみては。
 

ゴールデンウイークの過ごしかた

2010年04月30日 09時05分47秒 | Weblog
ぐぉーるでんウィークですね。

でも今の僕にとってはあまりうれしくない。

じつは子供とサッカーをしていて、腰をね、グギッとやってしまったのです。

フギャーってなもんですよ。

またはングーってな感じかな。

そんなことはどうでもいいんです。

とにかく腰をしこたまひねって、なんていうんですか、あれです、

ほら、そう、ぎっくり腰。

しかも妻の良く知る整体に行ったらさらにグギっとやられて

整体前は立っていられたものが、整体後は立っていられないほどに

腰に激痛が走りまして、

四月二十五日の日曜日から現在に至るまで

ほぼ寝たきりの生活を余儀なくされているのです。

それで、月、火と、続けざまに病院で痛み止めの注射を打ってもらい

六日が過ぎ、やっと少し良くなってきた感じなのです。

でも、まだ油断できません。

だからね、

今年のゴールデンウイークは安静にしていなければならんのです。

どこへも行けないんです。

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい、

というわけにはいかんのです。


えーっとそれから自転車。

心が折れました。

そうなんです。帰りがきついんです。

だから。

それでは良いゴールデンウイークをお過ごしください。
 

小沢さんに対して僕はこう思っています

2010年04月29日 08時37分23秒 | Weblog
小沢さんはこれからも裏切り続けるのだと思います。

この人は知略、謀略に満ちた権力闘争の中でしか

身の置き場所の知らない人なのだと思うのです。

それはこの人の歴史が物語っていることです。

一番権力のあるところに寄り添い、人心掌握の術と、

何によって人が動くかをしたたかに学び取り、得るものがなくなれば

あっさりと裏切る。

それを繰り返してきた人。

田中の下でやさしい言葉と、握手というふれあいの行為が得票率に

大きく左右することを知り、金丸の下で時に恫喝という手段で権力を見せつけ

人を動かすことを知り、竹下の下で「人は結局金だ」ということを学んだ。

小沢さんの行動を見ていると常にこの三つがセットになっている。

時にやさしく話しかけ握手を自らから求め、

ここぞという時は鬼のような形相で恫喝し、

最後に懐に金を入れて丸め込む。

それでもだめなら、大きな爪あとを残すような形で裏切り行為をする。

この人の裏切り行為にはパターンがある。

それはいつも自らが仕掛けるということ。

自らが仕掛けることで優位に立つ。

それは裏切られることを極端に恐怖していることの

裏返しでもあるのではないでしょうか。

ぼくは、小沢さんという人は

日本までも立ち直れないほどにぶち壊してしまいそうな人だと思います。

小沢さんに比べれば「友愛」を唱える(これも問題ありだけど)鳩山さんのほうが

何十倍もましだと思うな。

あくまでも私見です。
 

小さなターニングポイント

2010年04月19日 19時19分15秒 | Weblog
海援隊の「ジョーダン」という曲がありますよね。

コミックバンドが歌いそうな曲。

聞こえましたか、今のは、ほんのージョーダンジョーダンジョーダン、

って言う曲。

実は子供の頃、あの曲を聞いて結構なカルチャーショックを受けたのです。

(そう言えばカルチャーショックという表現このごろ聞きませんね)

なんと言うか大人の世界に一歩足を踏み入れたような、

世の中には自分の知らない異文化というものが存在するのだと、

もちろん子供のときにそのようななめた表現を使っていたわけではありませんが、

今にして思えば、それくらいの、世界の広さを肌で感じるような

体験でした。

大げさではなく本当にそう感じたのです。

コミックソングがそれ以前になかったわけではありません。

あったんです。

「おらは死んじまっただ」とかね。今すぐには思い出せませんが

ほかにもあったと思います。

あったのだけれど、それらの曲はまるで現実からかけ離れ、

一種のお遊びのようにその頃の僕には感じられたのです。

いや正確には感じていたのだと思います。

しかし「ジョーダン」という曲は違っていました。

聴いた瞬間にそれを実態として捉えられたのです。

その実態としてあるものを面白おかしく曲にして歌うというその行為。

それがとても刺激的だったのです。

当時の僕には。

何もそんな曲で新しい世界を開花させなくても、という意見はあろうかと

存じますが、

それが事実なのです。

(曲げてもいい事実かもしれませんが)


人生いろいろ、感じ方もいろいろです。

シンジロウくんのお父さんもそんなことを言っていたような。

それだけなんですけど、

このごろまた休みがちだったので、とりあえず書いてみました。
 

自転車

2010年04月18日 19時03分45秒 | Weblog
実はですね、

今自転車通勤をしています。

片道13キロ。

通勤時間50分

太ももが痛い。

足だけじゃないんです。

坂道の時には以外にも腕の引く力も要求されるのです。

まさに全身運動です。

始めて一週間、早くもくじけそうな予感です。

それにね、関東平野なんて言うけど、東京も意外にアップダウンが

激しいんです。

毎日汗だくです。でもやせません。その分食べちゃうからね。

痩せることはほぼ諦めています。

明日、どうしようか非常に迷っています。 

二度断念

2010年04月13日 19時28分36秒 | Weblog
少し前にはやった「世界は分けてもわからない」を読んでいます。

いや、読んでいました。

なぜか食いつけない。

ひきつける文章なのですよ。うまいなぁ、と思うのです。

でも読めない。  

心が動かない。

これの前に出た「生物と無生物のあいだ」も同じように

やはり途中で断念してしまいました。

それで再度挑戦してみたのです。

結果は同じだったけどね。

文章はうまいのです。

小説のような導入部分、ハッと思わせる描写力。

それがかえって後に続く展開をだめにしているような、、、、。

はっきり言ってしまえば

新書に小説のような導入部分などいらんのです。

描写力もね。

そんなもん、なーんも期待しとらんのです。

この後味の悪さを解消するためには本物の小説を読むしかないかな。

なんか久々に宮本輝がよみたいな。
 

また内田樹さんの本を読んでいます

2010年04月11日 17時37分11秒 | Weblog
今僕は内田樹さんの「邪悪なものの鎮め方」を読んでいます。

もちろんではありますが、

僕はこの人の考え方のすべてを受け入れているわけではありません。

場合によっては正反対な考えの場合もあります。

フン、と鼻で笑ってしまうときもあります。

それでも内田さんの文章は僕の心を惹きつけて離しません。

読んだら分かります。

容易に読めそうかなと思わせて、いきなりハードルを30cmくらい

平気であげてくるのです。

内田さんがどのような意図で、誰に読ませようとして

そのようなことをしているのかは分かりませんが、

その罠に僕は毎回はまってしまうのです。

(僕のような人に読ませるためかな)

フムフムと気持ちよく読んでいると、いきなり聴いたこともない言葉と

触れたことのない言い回しに出くわすのです。

混乱します。

決してさらっとは読み飛ばせません。

そうやって毎回内田ワールドに引き込まれながら、

たまに出くわす難解な文章(僕にはそう思える)を克服していくのが

なんとも楽しい。

そういう点では内田さんは決して僕を裏切らない。

今回もまた、

一見読みやすそうで、いらいらするくらいの難しいことを
いきなり織り込んでおいたからね。

そんな風に内田さんがにんまりしている図が僕には見えるのです。

もちろん僕の妄想ですが。

これだから意見の違いがあっても内田樹さんの本はやめられません。

きっと僕は

平易な文章で書かれた内田さんの本など読まない。