イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

アフィリエートを始めてみようかと、

2006年08月29日 21時01分27秒 | Weblog
本格的にアフィリエートなるものを始めてみようかなと今画策中です。
とは言えホームページも作った事がないし、どこから始めればいいのやら。
ブログと言う手もありますね。
目標としては、一月後までに始めたいと思っています。
そんなのわけないと思う方も多いと思いますが、なにぶん、まだまだ素人の域を出ないものですから。
どちらに転ぶにしろまた報告します。

ねずみ駆除の超音波、聞こえる?

2006年08月23日 21時16分47秒 | Weblog
私の耳はねずみなみです。
良いのか悪いのかは別にして、たぶんねずみと同等の聴覚を持っています。これはもう確信です。
なんと、ねずみ駆除の超音波がびしびし聞こえてくるのです。実際には聞こえてくると言うものではなく、響いてくると言う感じです。
ピキーン、クキーンと、鼓膜にいやな圧力とも言うべきものが押し寄せてくるのです。それはもう、たじろぐほどです。
しかし、周りの人はどうとも感じていないようで、平然と歩いているのです。
おかしい。俺だけなのだろうか。
みな平然と、顔色一つ変えず、そのポイントを通り過ぎていくのです。
俺だけか、俺だけなのか。
何箇所か超音波のひどいポイントがあるのですが、つい最近のけぞるほど嫌な感じを受けたのが、北千住駅前マルイの一階入り口。ここは相当きますよ。
一階は食品を扱っているからなのかも知れませんが、あそこまでひどいのは僕の経験則上初めてです。
しかし、行きかう人はみな平然とそこを通り過ぎていくのです。

私の理解者は今のところ娘だけです。私ほどではないにしろ娘もやはり感じるのだそうです。

ひとりでも理解してくれる存在がいてよかった。
理解者がいないと私の被害妄想で終わってしまうからね。

因みに妻と息子は「何を感じるの?」と言っていました。






英文法習い始め

2006年08月22日 20時22分57秒 | Weblog
すばらしい文法書だ。
昨日は第五文型の構文。
今日は、不定詞の名詞用法、動名詞、それに名詞節を勉強しました。

前にも書きましたが、僕は手の付けようがないほど英語が苦手だったのです。
本当に初歩の初歩すらわからなかったのです。I isやYou isとまではさすがに言いませんが、ほぼこれに近いレベルでした。

だからどうしても分からなかったのです。なぜ一つの文に動詞が二つ以上ある場合があるのかを。
これでは主語を見つけ出せないではないか。それに一つの文(ピリオドで終わっている文)に二つの文が入っているとはいったいどういうことなのだ。何を言いたいんだ。と、言った具合だったのです。

分かりましたよ。
僕が悩んでいた疑問が解けましたよ。
五文型が分かりだせば見えてきます。

例えばSVCの第二文型。品詞で言えば名詞、動詞、(名詞、形容詞)です。
(犬)はバカだ。
(犬と散歩すること)は楽しい。
カッコ内は主語です。
これ、ともに第二文型です。

第三文型。名詞、動詞、名詞の順番です。
私は(犬が)好き
わたしは(友達と話をしながら酒を飲むのが)好き
カッコ内は目的語です。

見えてきました?
例えば目的語は名詞と決まっているのですが、一つの単語言で済むものもあれば、二つ三つ、もしくは四つ五つ必要になるときもあると言うことです。

でも形は一緒。何が好きなのかを言っているだけのこと。

あえて日本語で書きましたが、見えてきませんか。英語の本質みたいなものが。

これではまだ説明不足ですね。

まだまだやり始めですから、許してください。
でも本当にいいよ、この本。「歌って覚える英文法完全制覇」

んー、久しぶりに勉強が楽しい。知ることの楽しみにふけってます。



歌って覚える英文法完全制覇、買ったぞお

2006年08月21日 20時00分48秒 | Weblog
「歌って覚える英文法完全制覇」買いましたよお。
予想をはるかに超える手ごたえです。
だいたい五文型をここまで丁寧に教えてくれるものはなかった。
そして、この五文型をものにすることこそが英語上達の近道だったのです。
何故ならば、英語と言う言語は、ルールにがんじがらめにされている言語だからです。それはつまり、このルールさえ押さえれば、これほど簡単な言語はない言うことです。
どのようなルールにのっとっているのか。
それは順序。
日本語は「て、に、お、は」と言う助詞でつくられている言語に対し、英語は置かれている順番こそがすべてなのです。

てなことが、とてもわかり易く書かれているのです。
それに十一曲も入っているCD付ですよ。
聞いたら驚くよ。

これが英語教材のCDかよ。発音も何もまるで無視じゃん。それに何曲かは素人のど自慢顔負けの下手さじゃん。

素直な感想です。本当に驚きます。
のっけから凄まじいです。タイトル「サマーサマー」。はっきり行って虫唾が走ります。聞くに堪えない代物です。

それでもこの本はすごい。素晴らしい。英語の何たるかが見えてくること請け合いです。1500円では安すぎます。
英語でお悩みの方はぜひ買ってください。
英文法書マニアの僕が言うのですから間違いありません。


英語の続き

2006年08月19日 20時03分14秒 | Weblog
さて、とりあえず、泉忠司著「英文読解完全制覇」という本を買いました。
立ち読みした範囲ではなかなか面白うそうな、続けられそうな予感がしたからです。

確かに面白い。説明のしかたが斬新だ。しかし、ステップ1を読み進めていくと、終わりのほうで、ステップ2を理解するには、まず「歌って覚える英文法完全制覇」を買って読め、と書いてある。「基礎もなってないやつが読解などできるわきゃねえだろう」と、書いてあるのだ。

な、な、な、なんですとお。
ふ、ざ、け、る、なああああああ。
とほほ。

買いに行きましたよ。
ところが、これがどの本屋に行っても置いてない。あ、あった。と思ったら「歌って覚える英単語完全制覇」。
そりゃ無いよ。あんまりだ。
こうなりゃアマゾンで買ってやる。
しかーし、いまだインターネット上で買い物をしたことの無い私にとって、それはちょっと冒険が過ぎるような気がして。
もちろん怖がることは無いのでしょうが、でも、スパイ何とかとか、いろんなウイルスが手ぐすね引いているような気がして、臆病者なのでやっぱり踏み込めません。
仕方がない。明日、八重洲にでも行くか。と思ってます。

英語の核心が見えた!かな?

2006年08月16日 21時48分03秒 | Weblog
いつの間にか、こおろぎの鳴き声が聞こえる季節になりました。
残暑は厳しくても夜にこおろぎの鳴き声を聞くと、そこはかと秋の気配を感じます。
鈴虫や、こおろぎの虫の音を、「雑音」と言い切るアングロサクソン系の野蛮人に生まれなくて本当によかった。

さて、アングロサクソンをこき下ろしたところで、違う話。

この頃、冷え切っていた英語熱が再びくすぶり始めたのです。
きっかけは五文型理論。
これまで五文型を重視していなかったので、まさに目からうろこ、サウロが改心して、パウロになったような(知ってる人は知っている。知らない人は聖書の使徒行伝を読んでください)、英語の核心を捉えたような思いでした。

くすぶりをくすぶったままにしてしまわぬよう、今新たな英語教材を探しています。
あまり難しくなく、五文型をより理解できるような教材。

やるぞー、やったるぞー

結構真剣です。って、結局アングロサクソンの言葉を勉強するって話かい。

宮本輝をヨイショしてみる

2006年08月09日 21時57分38秒 | Weblog
宮本輝は戦後随一の作家と言われている。
言われてはいるが、どうにも読む気にはなれなかった。
だいたい恋愛小説などかったるくってしょうがない、そう決め付けていたのだ。読みもしないで。

しかし権威に弱い僕にとって、芥川賞をとった作家の作品を一度も読んだことが無いと言うのは僕自身の沽券にかかわるようで、何か自己否定をしているような、とにかく気にかかる存在ではあったのだ。

しかも、戦後随一などと言う称号まで与えられては無視しようにも限界があると言うもの。何せ僕は権威に弱い。

本屋に足を運ぶたび、宮本輝の本は必ず手に取り、ペラペラとページをめくっては拾い読みなどしてみたりして、しかしどの本を手にしてみても、男と女がどうなったと言う話ばかりで、これのどこが戦後随一なのか毎回毎回理解に苦しみ、また、もとの通りに本棚にひっそりと戻すことが常であった。

しかし、今の僕は自他共に認める、かなり熱狂的な宮本輝のファンである。

きっかけは「泥の川」。
僕の人生の中で、立ち読みをして、そのまま一つの小説を読みきってしまったのは後にも先も「泥の川」これだけ。たち続けることの苦痛すら忘れるくらい、それぐらい引き込まれた。

後はもう、手当たりしだい読みまくった。

しかも、あまり「はずれ」と言うものがなかった。

熱狂した作家は他にもいたが、「はずれ」というか、僕自身の趣向にあわず途中で読むのをやめてしまうという作品は必ずあった。

無かったのは宮本輝だけ。
この人、只者じゃあないよ。



亀田が許される理由

2006年08月08日 20時41分42秒 | Weblog
礼儀と言うものを知らない。目上の人に対する話し方がなっていない。

それでも彼が許される理由。それは親を敬う姿勢だろうと思う。
どんなに憎まれ口を叩いても、生意気な態度をとっても、親をおもうあの姿勢には茶々を入れられない。

いまどき珍しいのだ。親を尊敬し、親の思いをかなえる為に、あれだけまじめに練習を積み、親を喜ばせる子供と言うのが。

あの姿を見せられては彼に対する批判も薄らいでしまう。

テレビを付ければ、子供が親を殺し、親が子供を殺すと言うような事件が毎日のように報道されている。

こんな世の中にあって、子の持つ可能性を信じ、それを伸ばそうとする親と、親の気持ちをしっかり受け止め、それに応えようとがむしゃらにがんばる子供の姿など、そうそう見られるものではない。
きっとその根底には、亀田親子しか知りえない親子の情愛というものがあるのだなとおもう。

こんな世知辛い世の中で、そんな親子の姿を見せられては、やはり応援したくなると言うものだ。

世の、親子関係で悩むお父さん、お母さんにとって、やはり亀田親子の姿は一つの理想であろう。一つのね。全てではないよ。


荒木の写真

2006年08月05日 23時57分07秒 | Weblog
久しぶりに荒木経惟の写真集を見た。
「センチメンタルな旅、冬の旅」

篠山紀信はこの写真集が出された当初、「ここまで見せていいのか、見せるべきものであるのか」と、かなりの酷評をした。

写真集には荒木の愛すべき妻、葉子さんが癌の申告を受け、そして亡くなるまでの様子が克明に刻まれている。死に化粧を終え、棺におさめられた姿、そして妻亡き後の空虚な時間などが、まるで私小説を読んでいるかのごとくに展開されていく。

妻を愛していたのだな。心の底から愛していたのだな。
妻に対する荒木の思いが写真に込められていた。
だから見せていいのだ。

だめだ、眠い。今日はもう書けない。


ふと、テルアビブのことを思い出した。

2006年08月04日 22時36分43秒 | Weblog
どれくらいテルアビブの街を歩いただろう。今でもはっきりと覚えている。
美観風致のため、街の建物はすべて白で統一されていた。
シャバット前日の市場の喧騒、シャバットに入ったことを伝えるサイレンの音、徐々に車の数が減っていく道路、静まり返る街並み、すべて覚えている。
シャバットの日に、高速道路でのんびりと車を走らせるのは実に気持ちがよかった。たまに、猛スピードで追い越していくシェルート。闘争心に火がついて、気が付けば時速百八十キロに到達、なんて時もあった。
レンタカーもいろいろ乗った。ヒュンダイ、マツダファミリア、フォードフォーカス、キアのミニバン、こんなところか。
中でもフォードフォーカスは最高だった。どれだけスピードを出しても驚くほど安定していて、あれは本当、名車と呼ぶに相応しい一台ではないかと思う。
楽しかったなあ。