イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

あまりに勝手な僕の映画批評

2011年06月27日 19時15分14秒 | Weblog
アイ・ロボットを単なるSF娯楽映画と批評するのは簡単です。

日本人ならば大概そんな観点から批評するのかもしれません。

でもね、僕は違うのです。

この映画を観るたびに「う」っと思うのです。

「作られたものには目的があるのではないか」と言うロボットの言葉。

それは「創られたもの」と言い換えることはできないだろうか。

人間も含め、あらゆるもの全てに創造した側の目的があるのではないかと

問いかけられているように思えるのです。

さらに、人間を未来永劫存在させるためにきつく統制しようとする

人工頭脳に、ロボットが「あなたのロジックは正しいがそれではあまりに
心がない」という言葉。

どんなに正しいものでも愛がなければ受け入れられないのだよ。

そんな風に訴えられているように僕には思えるのです。

つまりこれは、キリスト教という土台の上で展開されている映画のように

僕には思えるのです。

間違っているかもしれませんが、僕にはそんな風に感じるのです。

深読みしすぎかな。

昨日、日曜洋画劇場で観たもので、へへ。

日曜日の過ごし方はもう決まっているのです

2011年06月26日 13時08分03秒 | Weblog
あのね、長野では笑点の再放送を土曜日にやっているのですよ。

そんでもって日曜日にも東京と同時刻に笑点を放送しているのです。

曜日を錯覚します。

なんだかもの凄く変な感じがしました。

日曜日はどっちだ。

あれはいかんですよ。

僕たちは日曜日に笑点を観て、それから「サザエさん」に突入し

次第にナーバスになっていくのですから。

そういう心情の流れというものが日曜日にはもう構築されているのです。

それが土曜日に笑点をやられて御覧なさい。

妙な気分になるのです。

いや、まだナーバスな気分になっていくときではないな。

そんな風に自らに言い聞かせてみるのですが、

どうもね、ちょっと気分がブルーな感じになるのです。

それではまた。

おそれ

2011年06月21日 16時29分05秒 | Weblog
僕はそんなに右向きな人ではないのですけれど

「天皇陛下を敬いなさい」という発言はよくしているように思います。

それはきっと
人間には理屈抜きに畏怖する存在が必要だからという思いがあるからです。

ちなみに「きっと」と表現したのは
今書きながら僕自身の思いを確認しているためです。

先日、善光寺に行ったときに
高僧の方が参道を通るところを見ることができたのですが
観光に来ていた人はみな一様に高僧の前にしゃがみこみ頭(こうべ)をたれ、
高僧はその前を通りながら数珠で頭をなでていくのです。
観光に来ていた人が「これは理にかなう」からと言ってこうべを
たれていた訳ではないと思います。

そんな風に理屈抜きの畏怖する存在がある人とない人とでは日常の「ふるまい」
にも違いが出てくると思うのです。

完全なる利他主義になどなれないのですけれど、利己主義に陥りそうなときに

多少なりとも利他主義的な「ふるまい」ができるような気がするんです。

理屈抜きに畏怖そる存在がある人には。

お声をかけてくださった、手をとってくださった。
ただそれだけで目頭が、胸がじんと熱くなる。

その究極的な存在が日本人にとっては天皇陛下ではないかなと思うのです。

すいません。もっとすっきりと表現したいところですが思いがまとまりません。

とりあえず今日はここまで。