ぼくたちの周りはわかっているつもりの言葉で
氾濫しています。
本当です。
よく知りもしないで使っている言葉は山のようにあるのです。
たとえば僕がたまに使う「けだし」。
これだってわからない人、意外と多いんです。
「けだし」とは「すなわち」とか、「つまり」と同義で、
根拠を示し、最後の結論にもっていく言葉です。
もっと簡単に言えば「君は礼儀正しい、だからみんなに好かれるんだね』
の「だから」の部分とほぼ同じで、私はそんなふうに思っていますよ、
というほぼ確定的な推測のときに使われます。
こんなふうに一度説明したことを
もう一度今の生活基準に合わせて
説明しなおしてみることを弁証法と言います。
このことによって僕たちは
「知っているつもり」を看破する事ができるのです。
弁証法と言うとマルクスと直結して考えてしまう人も
少なからずいるのではないでしょうか。
でも弁証法自体は、古くソクラテスの時代から用いられた
方法です。
このことによって僕たちは「無知の知」を知ることができるのです。
「つもり」を看破することは大切なことです。
だって日常におけるさまざまな軋轢や、いざこざや、
果ては事故に至るまで、その原因は以外にも
「つもり」が多いのですから。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
氾濫しています。
本当です。
よく知りもしないで使っている言葉は山のようにあるのです。
たとえば僕がたまに使う「けだし」。
これだってわからない人、意外と多いんです。
「けだし」とは「すなわち」とか、「つまり」と同義で、
根拠を示し、最後の結論にもっていく言葉です。
もっと簡単に言えば「君は礼儀正しい、だからみんなに好かれるんだね』
の「だから」の部分とほぼ同じで、私はそんなふうに思っていますよ、
というほぼ確定的な推測のときに使われます。
こんなふうに一度説明したことを
もう一度今の生活基準に合わせて
説明しなおしてみることを弁証法と言います。
このことによって僕たちは
「知っているつもり」を看破する事ができるのです。
弁証法と言うとマルクスと直結して考えてしまう人も
少なからずいるのではないでしょうか。
でも弁証法自体は、古くソクラテスの時代から用いられた
方法です。
このことによって僕たちは「無知の知」を知ることができるのです。
「つもり」を看破することは大切なことです。
だって日常におけるさまざまな軋轢や、いざこざや、
果ては事故に至るまで、その原因は以外にも
「つもり」が多いのですから。
最後まで読んでくださりありがとうございました。