イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

週三回は気が滅入る

2006年06月29日 20時19分31秒 | Weblog
一週間のうち三日くらいは相当気が滅入ったりしています。
些細なことで、例えば、妻との間の小さな行き違い、そう、言葉尻が妙に冷たかったとか、そんなことで、もう絶望的になったりします。
俺は生きている価値のある人間なのだろうか、そもそも生きることの価値ってなんだ?果ては、生きていたくない、なんてところまで考え込み、一直線に真っ暗な闇に向かって突き進んでしまうのです。
しかも、妻に、この俺の果てしない落ち込みをわかってほしい、なんて思う反面、いつまで子供みたいなこと言ってるのと、鼻で笑われそうで、また、本当にそんなことになったら、もう、本当に死を選びたくなるので、どれほど落ち込んでいても、そんなそぶりは塵ほども見せられないのでした。


梅雨時は偏頭痛によくない

2006年06月26日 20時06分26秒 | Weblog
梅雨時は頭痛が起きやすいので困ります。
梅雨時以外ならば、月に何度も、と言うことはないのですが、どう言う訳か、梅雨時には何度も何度も頭痛に苦しめられます。
朝起きた瞬間からわかるのです。
おかしい。このモヤモヤした感じ。このままじゃ間違いなく頭が痛くなる。
こうなると、食後だとか、食間だとか、そんな悠長なことは言っては、いられません。
空腹だろうとなんだろうと、とにかく薬を飲んでおかないと、その日一日を棒に振ることになるので、急いで薬をのどに流し込み、後は痛くならないことを祈るのです。
頭痛薬だって同じものばかり使っていると、効きが悪くなるので、定期的に種類を換え服用しなければなりません。
頭痛持ちの苦しみ。
みんなこうなのですかね。
こんなことばかりしていたら、胃が荒れてしまうよ。
早く、一刻も早く、梅雨が明けることを願うばかりです。

内田樹ってすごい

2006年06月20日 20時36分33秒 | Weblog
今日何気なく本屋で一冊の本を手に取りました。
「子供はわかってくれない」確かこんなような題名でした。
子供はわかってくれないって、何がー、子供はいったいあなたの何をわかってくれないのだ。いったい子供に何をわかってほしいのだ。
内田ー、内田なんだろう。キ、いや、ジュかな。
そんなことを頭の片隅で思いながら、どうにも無視することが出来ず、僕はこの本を手にしたのでした。
む、むむむむ、こ、これは、これはすごい。
一ページ目を読みきらぬうちに、ここに書かれている文章を理解しようと僕の頭はフル稼働で動き始めたのです。
いや、違う。
もっと正確には、ここに書かれている文章を理解しなければならぬと言う使命感、いや、そうじゃない。
わずか数行読んだだけで、理解した方がいいのだ、それによって自分の身が守られる、と言うような直感的、動物的なインスピレーションを感じたのです。
改めて表紙を見てみると、
tatsuru uchitdaと、書いてありました。
タツルと読むんだ。ジュじゃおかしいよ。俺ってバカ。内田樹か。ふーん。
来月買おう。
そうして、ナルトの32巻をレジに持っていく僕なのでした。




イエス誕生を祝うユダヤ人

2006年06月19日 20時23分12秒 | Weblog
たまにはイスラエルねたでも、
はっきり言って、ユダヤ人は徹底的にキリスト教を嫌っています。もちろんキリスト教どころか他の宗教も入るこめる予知はありません。
だからユダヤ人の住んでいるところにはシナゴーグしかないのです。シナゴーグとはユダヤ教の教会のこと。
そこまでして他の宗教を嫌うユダヤ人ではあっても、一つだけ無視できないものがあります。
クリスマス。
言わずと知れたイエスキリストの誕生日。
世界的なこの行事だけは、たとえユダヤ人であっても、そ知らぬ顔をすることは出来ないのです。
なぜって、クリスマスは一年に一回だけ子供たちの夢が叶う日。どんな子供だってサンタクロースからおもちゃをもらうことを夢見るでしょう。
そんな子供たちの夢を、いくら宗教的な理由があるにせよやはり親である以上、簡単には無視できないのです。
ほら、あの創価学会の人たちでさえ、クリスマスとしては祝わないまでも、仏教的な何かにかこつけて(なんであったかは忘れました)子供たちにおもちゃを買い与えるでしょう。あれと同じです。
もちろんユダヤ人も大々的にクリスマスを祝うわけにはいきません。
そこで出てくるのがハヌカ。
ハヌカとは十二月に行われるお祭りの一つなのですが、これはもう、形を変えたクリスマスにほかなりません。
恐るべし、クリスマスと言ったところでしょうか。
別に恐ろしくはないか。
でもこの影響力はやはり恐るべしか。

上野は特別

2006年06月18日 17時58分18秒 | Weblog
東京都内でどこが一番すきかと聞かれれば、間髪いれず上野と答えます。
東北出身の私にとって、上野は特別に思い入れの強い場所です。
今では、東北の玄関口も東京駅になりましたが、ひと昔前、東北の玄関口といえばこれはもう、誰がなんと言おうと上野だったのです。
五時間も急行列車に揺られながら、なにやら身も心も疲れ果て、体の節々がギシギシと音を立て始めるころ、ようやく車内アナウンスの「まもなくー、ウエノーウエノに到着です」と言う、抑揚の聞いた声が聞こえてくるのです。

それってすげくねー
まじやばいよ
て、か、さ、マジ地上最強ジャン
うえのやべー
動物園ていうか、まじズーってかんじ
とりあえずマジめし食うみたいな
なんとなく思い立ち、ちょっといまふうの表現をしてみました。
ウエノの続きはまた明日ー。



kyokashimasen

2006年06月17日 18時45分21秒 | Weblog
すごい執念を感じました。
そこまでして僕のブログに書き込みたい?
ご自分のホームページにでも思いのたけをぶつければいいんじゃないの。
まー、いつかは書き込みを許可するかもしれないけど、その時までしぶとく待つ?
「お気に入り」に僕のブログを追加して、毎日チェックして、ある意味あなたは僕のブログの一番の愛読者ではあるのだけれども、ゲイで、しかも性格も歪んでるとあっては、どうにもねー。
どうぞ、そのての世界の人と、心ゆくまで戯れていてください。
それと、
昨日のエレベーターのことですが、イスラエルではシャバットの日は基本的に仕事禁止。電気を付けるというような行為も仕事とみなされて禁止。エレベーターのボタンを押す行為もそれに類するので禁止。
それでは行きたい階に行けないので、それで全ての階に止まるエレベーターがあるのです。
でも外国人には関係ないことです。だから二種類のエレベーターと言うわけ。

エレベーター

2006年06月16日 22時44分23秒 | Weblog
マシュロムハ
イスラエルのエレベーターはゼロ階から始まるのです。
普通に私たちが1階と呼んでいるフロアが、イスラエルではゼロ階になります。
だから2階は1階ということです。
そんなエレベーターの話を。
ホテルには全フロアに止まるものと、押したところだけ止まるものの、つまり二種類のエレベーターがあります。
しかも全フロアに止まるエレベーターには疲れないようにとの配慮で、椅子まで置いてあるのです。
なぜそんなエレベーターを用意しなければならないかと言うと、それは、
今日はもう眠いので、それは明日書きます。


デパート好き

2006年06月14日 20時23分20秒 | Weblog
二子多摩川の高島屋の屋上には今でも遊園地があるのでしょうか。
どうにもチープなのですが、覗かずにはおられない場所でした。
ところで、僕はデパート大好き人間です。特にデパートに入った瞬間のあの匂いがいい。
化粧品とエアコンの空気が混ざり合ったような、あの独特の匂い。あの匂いを嗅ぐと、これから始まるであろうめくるめく物欲の世界に胸がワクワクするんです。各階に居並ぶ目が飛び出んばかりの値札を付けられた商品の数々。
イトーヨーカー堂などとは根本的に違う、気品の高さ。
デパートへ行くときは、たとえ普段着であったとしても、小ざっぱりとして、そこはかとお金の匂いが香るような、いわゆるおしゃれをして出かけますね。
イトーヨーカ堂ですか、へたすりゃジャージでもいいかな。
そう言えばまだ五歳だった娘を連れてデパートに行ったときのことです。
「お父さん、ほらこれ」そういって娘が近くにあったお茶の茶碗を手にして僕に差し出したのでした。それはまるでままごとの道具でも見つけたかのようでしたが、娘が手にしたその茶碗には、まごう事なき十二万円と言う値札が付いていたのでした。
「あ、ちょ、それ、それはー、わかった、わかったぞー。わかったからゆっくりお父さんに貸してね」
やさしく、しかし力強く、娘に有無を言わさぬ語気をもって、僕はその茶碗を娘から取り上げたのでした。
心臓のどこかがぎゅぎゅっと縮こまるようなおもいでした。
そんな思い出もありましたが、もちろん今でもデパートは大好きです。
とは言うものの普段はイトーヨーカ堂ですましていますが。


猫の涙

2006年06月12日 20時00分21秒 | Weblog
猫の話をもう一つ。
新巻鮭の皮をあげたときのことです。
ンニャンニャいいながら、鮭の皮を貪り食っていたのですが、あまりに塩辛かったせいか涙を流しながら食べていたのです。
本当ですよ。
嘘じゃないんです。
本当なんだってば。
あー、嘘だってつきますよ。でもこれは本当なんです。
猫が涙を流すことをそのとき知りました。
しかしこの話をしても誰も信じてはくれないのでした。
今では猫の健康状態なども考えて、そんな塩辛い鮭の皮なんて与えないとは思うのですが、なにぶん、犬猫には残飯で良しと言うような時代でしたから。

猫も飼ってた

2006年06月11日 22時14分38秒 | Weblog
犬ときたら猫でしょうか。
飼っていました。犬と一緒に。それもオスの三毛猫を。
名前を言うとあまりに私たち家族が単純バカのようなのですが、ミーです。三毛猫だからミー。
単純だ。
この猫のエピソードと言えばなんと言っても後ろ左足ぶった切り事件しょう。
ミーは、冬場によく車の下にもぐりこんでいたのです。
ある日父が車のエンジンをかけると、バリバリバリバリというけたたましい音とともに、フギャーというミーの悲鳴。
車の下から飛び出したミーの後ろ左足は何とか皮一枚つながっているだけでした。どうやら父がエンジンをかけた際、どこかに巻き込まれたようでした。
ミーは、あまりの恐怖にその場に脱糞までして震え慄いていました。
長生きはしましたよ。
病院へ連れて行き、ギプスをして何とか元通りにしようと試みたましたが、結局直ることはなく三本足にはなってしまいましたが。
それでも上手に木に登り、塀を歩き、春には雌を追いかけ、時に壮絶なファイトもしていたようでした。