イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

ヤナギサワ大臣とバレンタインチョコレート

2007年02月18日 17時18分46秒 | Weblog
ちょっと前の話になるのですが、
例のヤナギサワ大臣に
バレンタインのチョコレートを送った
主婦のグループがいたそうです。

チョコレートには
「どうか早くおやめになってください」という内容の
メッセージが書かれていたとか。

ニュースでは「厳しいメッセージつき」なんて解説していました。

「きびしい」を通り越していませんか。

「どうか早く死んでください」という手紙を
靴箱の中に入れてニヤニヤしている、いわゆる
「いじめ」のような陰湿さを感じませんか。

政治的手法としては徹底的に痛めつけるのも
ありなのかもしれませんが、
私利私欲に走っている行動を糾弾するならいざ知らず
今回のような、揚げ足を取って徹底的に打ちのめす
というやり方はどうも見ていて痛々しい。

あくまでも想像ですが、

しまったあ。なぜあんな言い方してしまったのだろう、
なんて苦しんでいるヤナギサワさんを尻目に
フクシマミズホあたりが
今がチャンス、徹底的に潰しましょう、なんて言いながら
うきうきした表情でほっぺたを赤く染めている様子が目に浮かんで
どうにもいやな気分になります。

何か、クラス中が結託して
おい、あいつ徹底的にいじめ抜こうぜ
なんてやってるのと、
あくまでも私の中では重なります。

いじめるほうは冗談半分、心に深刻なものがない、
しかし、いじめられるほうは命と引き換え、というほど深刻だ。

今回のチョコレートを送った主婦の心理はどれほどのものだったのだろう。
批判するのであれば、批判するに足るほどに
ヤナギサワさんを調べ上げたのだろうか。

それともマスコミの言葉にお踊らされ、
冗談半分といったものだったのだろうか。
もし仮にヤナギサワさんが死を持って
身の潔白を証明したとしても、間違いなかった
私たちはそこまでヤナギサワという人を調べ上げた
だからこそあのような行動をとった、と言ってのけられるのだろうか。



ヤナギサワ大臣の発言がいいものだとは思いません。
しかし、前後の発言から鑑みれば
それがすぐに女性蔑視につながるものとは言いにくい。
もちろん、大臣としての発言としてはいただけませんが。

今日はこんなところで。

泣けると言う冠詞はどうかな

2007年02月01日 21時24分02秒 | Weblog
「泣ける」ブログだとか、ベストセラーだとか、
そういう文字を目にするたびに、何か薄ら寒いものを感じます。

そんなに泣きたいのか。

何か第三者的な、冷たいものを感じるのです。

例えるなら、

餓死で死んでいく映像を見ていながら
次の瞬間、ああお腹すいちゃった。
と言ってのけるような、
すべて人事といった冷たさ。

「泣ける」なになに、という言葉の背後に
そんなものを感じてしまうのです。