イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

読んだら泣きます。まちがいなくね。

2011年03月31日 20時12分56秒 | Weblog
「昨日公園」という作品があるんです。

作家は以前にも話に触れた朱川湊人。

不覚にも泣いてしまった。しかも電車の中で。

あまりに良かったので妻に内容を話していたら

また泣けてしまった。

「泣いてるの、あははは」

あはははじゃない。これは思い出しただけでも
泣ける小説なのだ。

それを人に話でもしたら
もうそれだけで泣けてしまうというものなのだ。

「都市伝説セピア」に収められた短編集のひとつです。

「はなまんま」も泣けたけど、これも泣けるなぁ。

心が乾いてしまった人はどうぞ。

太宰を読んだ理由

2011年03月07日 14時44分11秒 | Weblog
 僕が最初に手にした太宰の本は人間失格だったと記憶しています。
 大学二年の春。
 そのころ僕は、父の駆け落ちという人生においてはちょっとショッキングな出来事や、そのために大学を退学しなければならぬかもしれない、というなんだか憂鬱なことばかりに遭遇していて暗い方へ暗い方へと人生が転がっていきそうな嫌な予感の中で毎日を過ごしていました。
 あのね、君の考えは全部暗いから、そういう人は太宰を読んだらいいよ。そう僕に助言したのは太郎さんでした。
 彼は一年浪人した挙句にこともあろうに僕が入るような最低ランクの大学に入ってきた変わり者でしたが、妙に都会的な知性をぷんぷん感じさせる本当に不思議な男でした。しかも目の周りのまつ毛が以上に濃く、鼻も鉤鼻とあって、その風貌も不思議としか形容の仕様のない、まことにもって持っているものすべてが「不思議」な感じの人でした。
 そんなやつに「太宰を読め」と言われたらそれはもう読む以外に道はない様に思えてきて、半ば夢遊病者のように僕は「人間失格」を読み始めたのです。
 読み進めるにしたがって僕の憂鬱な感情と太宰の憂鬱な感情が絡み合って、僕は「人間失格」の中に己を見つけ息を呑むほどの驚きを感じたのでした。
 それ以来僕は太宰のファンになり読んでは休み読んでは休みを繰り返しながら、今でも一年に一回くらいのペースで太宰の本を手に取り、また新しい発見をしたりして、ううん、と唸るるようなことを繰り返しているのでした。
 あ、おれ、おれは読まない、ああいう暗いのは君のような人にぴったりだからね。
 そんな辛らつなことをサラッと言ってのけ太宰を教えた当の本人はちっとも太宰を読まないのでした。