イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

久しぶりなので長くなりました

2010年08月21日 10時16分22秒 | Weblog
先日平和記念日の式典をニュースで見ていたものです。

今回の式典ではアメリカやイギリスなどを始め、核を所有する
国からの式典への初めての出席が話題となっていました。

特に原爆を投下したアメリカからの出席は大きく取り上げられ、

65年を過ぎた今アメリカからの初めての謝罪があるのではというのが、

日本として一番の関心ごとでもあるかのように各局がそればかりを報道していました。

その報道に疑問符が投げかけられることはありませんでした。

どの番組を見ても、ニュースから情報番組まで

「アメリカから謝罪はあるのでしょうか」あるいは
「アメリカは謝罪をしませんでした」というものでした。

そしてそれから数日後。

今度は日韓併合100年というのが、報道各局の共通の話題となっていました。

そしてここでも話題は菅総理が韓国に対して「謝罪をするか否か」というのが

日本の一番の関心ごとでもあるかのような報道がなされていました。

報道が民衆を操作していることは多かれ少なかれあることです。

でも今回はそこじゃないんです。

菅総理が謝罪をしたことが良いのか悪いのか、
そこに大きな疑問符が打たれたということです。

「アメリカは謝罪するべきだ」

ということに関しては疑問符が打たれることがなかった。

しかし、菅総理が謝罪したということに関しては大きな疑問符が打たれた。


ここで言いたいのは、

みんなマルクスを読め、ということです。

なんですと、

そう思われるかもしれません。

別に僕はマルクスの資本論が良いといっているわけではないのです。

マルクスの視点が良いといいたいのです。

情報があふれ、さまざまな視点で物事を観察できるようになった現時点でさえ、

僕たちは何かに規定され、そこを拠点として判断しているということを忘れがちだ
ということを言いたいのです。

僕たちは僕たちが我知らず作り上げてしまった考えの捕虜となってしまっている。

もちろん僕たちは日本人ですから、日本人としての視点を持ってしまうことを否めない。

でも、アメリカ人にはアメリカ人の視点があり、韓国人には韓国人の視点がある。

なぜ、アメリカ人は謝罪をしないのか、どうして韓国人は謝罪を求めるのか、

そして、どうして日本人はアメリカに謝罪をして欲しいのか。

それを理解するにはやはり視点を変えなければ難しい。

韓国には通称「親日法」という国際的に見ても首を傾げざるを得ないほどの

悪法があります。

簡単に説明しますと、これは2005年、つまり今から五年前、

韓国で成立した法律ですが、日本が韓国を支配していた時代に親日的だったものを

95年以上もたった現代であぶりだし吊るし上げ、そればかりかその時代に得たであろう

財産を遡及(さかのぼるということ)して国が没収するというものです。

法律は遡及しないというのが原則です。

法律が遡及してしまったのでは

僕たちは何を根拠として行動していいのかわからなくなってしまいます。

ある時代に良いと許されていた法律が、現代になって悪法であったと

みなされてしまう事はままあることです。

そのようなものを遡及し、現代の法律に当てはめ罰していたのでは

僕たちは行動が萎縮してしまいます。

だって今ある法律だって未来には変わる可能性がいくらだってがあるでしょ。

例えば利息を考えればわかりやすいですよ。

十年前は年利20%まで良かったものが、

現代では法律が改正され10%までとなったとします。

これを遡及され、多くとっていた分を国が没収してしまったら

銀行などは怖くて簡単には貸せなくなる。

だから法律の不遡及というのは法治国家としての当然の帰結なのです。

つまりこの「親日法」は法治国家としての根幹を揺るがしかねないほどの

悪法であり、国際的な信頼さえ失いかねないほどのものなのです。

しかしこの法律は韓国の国会で圧倒的多数の支持を受け成立してしまい、

現に没収が実行されてしまいました。

日本人としてこの法律を見たらいったいどういう国なんだと思います。

そこでもう一度視点を見直してみる。

65年たった現代、アメリカは原爆投下に対し謝罪すべきだと考える日本。

原爆投下は正当な行為であったと考えるアメリカ。

日韓併合から100年たった現代、日本に対し謝罪すべきだと考え、さらには
その当時親日的だった人たちを見つけ出しては財産を没収する韓国。


誰にだって、もちろん僕にだって我知らず築いてしまった檻がある。

時代によって正義の定義も変わるから正義が何かなんて簡単にはわからない。

それで僕の提案。

「若者よ、マルクスを読もう」
「それでも日本人は戦争を選んだ」

この二冊をとりあえず読みましょう。

そしていろいろ考えをめぐらしてみる。

いいと思いますよ。