イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

父の言葉

2009年06月26日 19時55分31秒 | Weblog
胡桃を食べていて思い出したのですが、

小さい頃、父親に胡桃を食べると頭が良くなると言われまして、

理由はとても簡単で、胡桃って脳みそみたいな形をしてるでしょ、

ただそれだけなんです。

父親からしてみれば単なる遊び心から出た言葉だったのでしょうが、

幼い僕はまんまと真に受けまして、

相当な歳になるまで、その父親の言葉を信じていました。

親の言葉って、幼い子供にとっては絶大です。

親の言葉が全てと言ってもいいかもしれません。


僕の言葉が子供たちに絶大な影響を及ぼしているのかもしれません。

使う言葉に気をつけなければ。


早すぎでしょうか

2009年06月24日 20時00分07秒 | Weblog
胡桃を食べ過ぎて少々胃がもたれ気味なものです。

何でもやりすぎと言うのはよくありません。

どうしてこうも歯止めが利かなくなるのかな。

殻を割ると言う行為がいけない。

蟹だって、ピーナツだって殻つきだと
どうにも夢中になっちゃいますよね。

昨日の今日なのですが、早くも殻付き胡桃に
飽きてきました。

くるみ

2009年06月23日 19時39分55秒 | Weblog
先日からつきの胡桃を買ったのですが、

これは食べていて実に楽しいですね。

もちろん手で殻を開けることは不可能なのですが、
ジャッキーチェンをこよなく愛する僕としては、
やはりやらずにはいられません。

何をと言いますと、

親指を人差し指で胡桃をつかみ
さながらジャッキーチェンのように、
カンフーの姿勢をとりつつ胡桃を指で押しつぶす、
あれをやらずにはいられないのです。

つぶれません。

でもこういう楽しみ方もできるしね、殻付き胡桃はいいですよ。

専用の道具を使って殻を割りながら食べていると
我を忘れ食べることだけに没頭できますしね。

それに、ミスチルのくるみという楽曲もなかなかいいし。

関係ないけど。

僕の性格上、飽きるまでやり続けずにはいられないので、

当分のあいだ、胡桃を食すことになりそうです。

大切なこと

2009年06月21日 21時04分39秒 | Weblog
私の祖父母のお墓は八柱にあります。

東京在住の私にとってはそれほど遠い距離でもないので、

お盆やお彼岸の時期ではなくても近くまで行った折に

立ち寄ったりします。

「千の風になって」ではそこに私はいませんと言っていますが、

それでもやはりお墓に向き合うと、

生前のさまざまな記憶がよみがえってきたりして、

私が私である理由や、

また、

祖父母を慈しむ、いわゆる人としても大切なものを
喚起させられたりもします。

「千の風になって」はきらいではないのですが、

どこかお墓参りを否定しているようで、
そこがちょっと受け入れられません。

お墓参りもいいもんですよ。

近近の喜び

2009年06月20日 21時01分34秒 | Weblog
そう、時には立ち止まることも必要です。

ありがとうございます。

さて、最近の小さな喜びでも。

実は柔軟剤をハミングフレアと言うものに変えまして、

これはちょっと高めなのですが、その分香りが高く

これで仕上げた洗濯物は、それはもう着るときに
なんとも言えず心地よいのです。

とても小さな喜びでした。

再開しましょうか、

2009年06月18日 18時47分19秒 | Weblog
ものすごく久しぶりのような気がします。

じつは、実に気の滅入ることがわが身に降りかかりまして、
それは私にとっては貝になりたくなってしまいたくなるほどの
インパクトと申しましょうか、心に大きなダメージを受けてしまって、
それで、ブログも書けなくなってしまっていたのです。

人というのは不思議なもので、いったんそんなふうに心が寒くなると、
もう何を見ても、何を聞いても、否定的な受け取り方しかできなく
なっちゃうんですよね。

ただ風がそよそよと吹いているだけで、何かそこはかとない哀愁を感じてしまい、
寂しさに打ちひしがれてしまったり、

井戸端会議しているおばちゃんたちを見ては、よってたかって陰口を
叩かれているような、哀れな気持ちになってしまったり、

不意に犬に吠えられては、畜生までが自分をバカにしているように
感じてしまったりして、

どうしてそこまで否定的になれるのかと言うほど、
否定的な思いで心を満たしてしまっていたのです。

でも、夜になれば星が見えるように、暗くならなければ
見えてこないものもあって、

ようやくと申しましょうか、その一筋の光を見つけ出せそうな、

今そのくらいのところまで何とかきました。

単純には生きられない。

人が人である以上は単純には生きられないのです。

何に気が滅入ってしまったのかは、このブログでは書けません。

落ち込むなと、自分で自分を励ます日々です。