イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

シャバット

2006年05月31日 21時27分24秒 | Weblog
シャバット。
日本語では安息日。
金曜日の日没から土曜日の日没までがシャバットなのですが、この日はとても厄介です。
街の活動が停止してしまうからです。日本では決して考えられないことです。正月の比ではありません。
店という店はシャッターを下ろし、米粒一つ買えません。日本でも米粒一つだけでは買えませんが。
もちろん車も走っていません。
すべてのものが動いていないのです。
だから木曜日に食糧を買い忘れたりして、しかも食料のストックがまるでなったりすると本当に天を仰ぎ見て、「助けてください」と祈るような気持ちになります。
泣きますよ。
わずかに残っていたパスタを三等分にして、腹が出来るだけ満たされるようにスープにして食べてみたり、何度かありました。そんなことが。



親族団欒な週末

2006年05月30日 20時57分13秒 | Weblog
先日、妻の実家に行ってきました。
ちょうど妻の妹も帰ってきていて、それはもう大賑わい。
子供が四人、大人が六人。一つところに十人も人が集まれば、それはもうユダヤ人も真っ青のうるささです。そのうちの二人はまだ一歳児。いつもとは違う環境に、少し興奮気味で所狭しと歩き回っていました。
そんなうるささもひと段落付いたころでした。
妻と妻の妹が、紙おむつを手になにやら話をしているのでした。どうやら紙おむつに何かをくっつけてしまった様なのです。
「見た目はウンチみたいだけどピーナツ味噌だから大丈夫だよ」
「なんだー、そうなんだ。てっきりうんちかと思っちゃったよ」
「そうだよね、色合いが似てるもんね、ほらこれだよ」
「これかー、でもピーナツ味噌って、似てるよねー」
そんな会話をしている妻の手に握られていたものは、ピーナツ味噌ではなく、どう見てもピーナツバターなのでした。
「それ、ピーナツバターだろ」
僕がそう指摘すると、二人ははっと顔を見合わせ、照れが半分、可笑しさ半分というような複雑な顔しながら笑い転げました。
そうしてひとしきり笑い転げると、妻は僕の方をを見て
「そうだよ、これってピーナツバターだよ。本当にもうおばかさん」と言ったのでした。
なぜだ。なぜ僕がバカなのだ。
でも、ま、いいか。



帰国後の違和感

2006年05月29日 20時21分17秒 | Weblog
一年半もイスラエルで生活していたので日本に帰ってきたときには軽いカルチャーショックを覚えました。
イスラエル、特にテルアビブなどでアジア人を見ることは本当に稀な事なんです。エルサレムともなれば三つの聖地が存在しているので、それなりにアジア人とすれ違う機会もあるのですが、これがテルアビブとなると、よほどのことがない限り出会わない。さらに日本人に限定して言えば、六百万人中、わずか六百人。一万分の一の確立です。出会いっこないと言い切っても過言ではありません。
だから帰国したときには本当に変な感じでした。
だって成田に降り立った瞬間に周りがすべて日本人なのですから。
一年以上日本人との接触をすることが出来ない環境にいたことのある人なら、この感じがわかると思います。
もちろん自分だって見間違うことのない、れっきとした日本人なのですが、日本人で満ち溢れていることにものすごい違和感を感じるのです。
京成線に乗り上野に出ると、この違和感はさらに増します。
特に女性のファッションはそうとうおかしく感じました。
イスラエルの女性はとてもシンプルな身なりをしているのです。冬であれ夏であれ、まずお構いなしに腹の出るような短いシャツ、それにローライズのジーンズ。ほとんどがこれで決まりです。冬であればそこに丈の短いジャンバーを羽織るのです。
太っていようが痩せていようが、とにかく体の線を強調する。そしてそれ以上のことはあまりしない。
体のラインがどこかしら隠れてしまうスカートは殆ど穿きません。
スカートをはくのは年寄りばかりです。それも何故かミニスカート。本当ですよ。
こんなものを一年半も見ていると、いつしかそれが当たり前になるんです。
だから日本に帰ってきたとき見た、女性のファッションの多様性にはまさに絶句。あまりに多様すぎておかしく思えたのです。
もちろん今はこの多様性が当たり前のことのように思えますが。
結論を出すことはないのだけれども、あえて出すならば、イスラエルの女性は体のつくりで勝負し、日本女性は着る物で勝負しているということでしょうか。

車に轢かれた猫のこと

2006年05月25日 21時04分47秒 | Weblog
車を走らせていると、しばしば猫の死骸に遭遇する。
猫の交通事故は、きっと他の動物を抑えて、ダントツ一位に違いない。
それでふと考えてみたのだが、一年でどれくらいの猫が車にはねられているのだろうか。
単純に、一県で毎日二匹ずつの猫が車にはねられているとしたら、一日に約百匹近い数字になる。これが三百六十五日なら三万六千五百匹となる。
凄い数ではないか。
年間三万匹以上の猫が車にはねられているだなんて。
でもしょうがないか。
猫って突っ込んでくるし。よけようとして逆に人でもはねたらねー。大変なことだし。しょうがないか。
そういえば先日鳩を轢いてしまった。いや、正確にはフロントガラスに勢いよく当たったというべきか。
せっかく避けてあげたのに、驚いた鳩がチリジリに飛び上がり、そのうちの一羽が不幸にも僕の車に飛び込んできたのでした。

親友太郎君のこと

2006年05月23日 21時56分25秒 | Weblog
目に特徴があった。
上のまつ毛も下のまつ毛も人の倍以上濃いせいであろうか、目の周りがくっきりとまつ毛で縁取られていて、それに鼻も鉤鼻で、どこか日本人離れした顔立ちをしていた。
「この鼻はね、アイスホッケーの練習中にこけてさ、思いっきり潰しちゃったんだけど、病院にいって治してもらったら、前より大きくされちゃったのだよ」
確かにその鼻は高かった。
「ところでF君はどんな音楽を聴くの」
その聞き方には最初から勝ち誇ったような、蔑むような、どうせくだらん歌謡曲でも聴いてんだろうがよ、という響きがあった。
「ジョンレノンとか」
それは僕の精一杯の背伸びだった。
「へー、聞くんだ、ジョンレノンとか、」
見透かされているようだった。同い年という気がしなかった。千葉と福島ではこれほどの違いがあるのかと唖然とした。
名前は太郎。


タバコは嫌いになった

2006年05月22日 21時38分02秒 | Weblog
高校から吸い始め、二十年以上吸い続けたタバコだが、五年ほど前、パタリとやめて今では吸いたいなどという気は微塵もなくなってしまった。
それどころかタバコの煙が臭くてたまらない。煙いし、臭いし、タバコなんてロクナモンじゃないと思うまでになった。
やめてみて始めて他人に及ぼしている不快感を知るようになった。
タバコを吸わないものにとっては、タバコなど、不快なものでしかない。
でも、吸っている人には理解が出来ない。
喫煙者は誰一人として、不快感を感じながらタバコを吸っている人などいないのだから当然だ。
食後の一服などは最高の贅沢と思っている。これがなければ終わった気にはなれぬのだ。無論僕もそう思っていた。
ばからしい。
なんてバカらしいんだ。
やめてよかった。
止める事ができてよかった。
今はこう思う。
タバコなんて思いっきり税金をかけて、一箱千円ぐらいにすればいい。
公共施設や、人が集まるところでは全面的に禁煙にしてほしい。
だって嫌じゃない。
ディズニーランドなんかでタバコを吸っている人を見るのは。途端に夢から覚めちゃうよ。
それにタバコを吸っている人は基本的にマナーが悪い。
ほとんどの人はポイ捨てするし、人が煙たがっているのなんてお構いなしだもん。
あまり急激な規制は出来ないのかもしれないが、せめて一箱五百円くらいまで、値上げしてもいいとは思うな。
一本に付き一円や、二円なんて、甘すぎるよ。もっと大胆な税金をかけるべきだ。それが世界の流れでもある。かな?

タバコにまつわる話

2006年05月21日 21時18分18秒 | Weblog
依然、一日に二箱ほどタバコを吸っていた。
トイレの後の一服、食後に、駅から出て、バスを降りて、もちろん休憩時間に、仕事が始まる五分前にも、仕事を終えて、待ち時間に、それはもう、ありとあらゆるタイミングに合わせてタバコを吸いまくっていた。
タバコのない生活など考えられなかった。
吸っていたタバコはフィリップモリススーパーライト。このタバコに行き着くまで何度かタバコの種類を変えた。
最初に吸ったのはセブンスター。当時はブンタという愛称で呼ばれていた。僕が高校一年のときである。

イスラエル高速道路事情

2006年05月20日 20時24分54秒 | Weblog
マシュロムハ
久しぶりにイスラエルねたでも書きましょうか。
イスラエルの高速道路はお金がかかりません。勿論その分は税金で補っているので、どちらが良いとは一概には言い切れないのですが。
サービスエリアなど存在しません。なぜって、入るのも出るのもお金がかからないからです。ガソリンを入れたければ高速から出ればいいだけの話しです。
マナーは、悪いですよ。ドライバー全員がタクシードライバーのようです。
日本でもタクシードライバーはマナーがなってないでしょう。クラクションはよく鳴らすし、白線の真ん中を走るし、後続車も見ずに止めていた車を急に走らせたり、タクシードライバーのマナーの悪さは数え上げたらきりがない。
イスラエルでは国民全員がそんな走り方をします。
クラクションはコミュニケーションの一つなので、信号待ちで出るタイミングが少しでも遅れると一斉にクラクションを鳴らしだします。
勿論白線の真ん中を走るのだってお手のものです。追い越し車線にとろい車がいると必ずおパッシングをします。
初めての人は面食らうでしょうね。
それに借りる車は決まって左ハンドルでしょう。ウインカーとワイパーが逆なんだよね。この間違いは必ずする。ウインカーを出そうとしてワイパーを動かしちゃう。
我ながら事故も起こさず、よく運転できていたなと思います。
良ければお試しあれ。

小学校二年生の男の子にゲイの道を究めさせようとする兵庫県

2006年05月19日 21時18分13秒 | Weblog
兵庫県の小学校で大変なことが起きた。
二年生の男子生徒を女子生徒して認めるというもの。
性同一障害の男子生徒をこれからは女子生徒として接するというのだ。
おかしくないか、間違っていると思わないのか。こんなことがあっていいのか。いや、許せない。断じて許してなるものか。ジェンダーフリーの弊害が予想以上に深刻化している。
実際に足を運んだわけではないので分からないが、想像するに、この男子生徒は普段から女の子の格好をし、女の子のような喋り方をしていたに違いない。
女の子の格好をさせる親も親だが、それを認める学校もそうとう狂っていると言わざるを得ない。
これからこの男の子は堂々と女子トイレで用を足し、小学二年生にしてゲイの道を究めていくのだ。
それに付き合わされる周りの子供たちへの影響を考えたことはあるのだろうか。
男は女にはなれないし、女は男にはなれない。男がいくら手術をし、ホルモン注射を打って、女に近づいてみたところで、女になることは決してできない。その逆も然りだ。
男には男の、女には女の、神が造りたもうた個性というものがあるのだ。これは生を受けた瞬間から、受け入れなければならない。拒むことなど決して出来ない。
胸をそぎ落としてみても、ちんちんを切り落としてみても、ホルモン注射をしてみても、生れ落ちたときに決まったその性からは逃れることは一生出来ないのだ。
僕はゲイなど認めない。ゲイに未来はない。子孫も残せない。わが子を胸に抱くことも出来ない。
小学二年生の男の子をゲイの道に進ませてどうする。たとえ、その男の子が女の子のような振る舞いをしたとしても、義務教育の中でそれを認めてはいけない。
日本はいったいどうなってしまうのだ。一刻も早く悪しきジェンダーフリー思想を何とかしなくては。
このままでは未来の日本はゲイ大国になってしまう。

家庭は社会の縮図だ

2006年05月18日 21時19分16秒 | Weblog
お義母さんと、我が息子の反りが合わない。
簡単に言うと、おばあちゃんと、孫の反りが合わないのだ。
僕には子供が三人いる。一番上が女の子。二番目と三番目は男の子。このうちの二番目の男の子が、まるで絵に描いたようにおばあちゃんと反りが合わない。
これはもう、大人と子供という次元の問題ではない。一個人対一個人の壮絶なるバトルなのだ。
おばあちゃんにしてみると、息子のやることなすこと全てが癇に障るらしく、ほんの些細な間違いでも見逃すということがない。
故意ではなく、弾みで起きてしまった事、例えば、手を伸ばしたら、袖におわんが引っかかり、味噌汁をこぼしてしまったような場合でも、おばあちゃんは容赦をしない。
「何やってんの、落ち着きがないからだよ」
そうとう語気を荒らげて叱り付けるのだ。これが一番上の女の子だとまるで違ってくる。
やさしい調子で、
「仕方ないね、気をつけないとね」
なんて頭を撫でながら言い聞かせたりするのだ。
おばあちゃんと、息子のバトルは、息子がかなり小さいころから繰り広げられていた。そして体外はおばあちゃんの圧勝で終わるのだった。当たり前か。
しかし、いまや息子も小学二年生。
おばあちゃんも簡単には勝つことは出来なくなった。
目には目、歯に歯、そして傷つく言葉には傷つく言葉。
いつしか息子もおばあちゃんを傷つける言葉を編み出すようになったのだ。
そして絶妙なタイミングで、グサッと刺すようなことを言う。
ついこの前も娘のことで出かける用事が出来たときのことだ。
息子に「どうする、留守番してる」と聞くと、
「えー、嫌だよ。おばあちゃんと二人きりで留守番なんて、僕、我慢できないよ」
おばあちゃんの目の前で言い切ってしまったのだ。
どっちもどっち。もう収拾は付きません。
僕にしたら、息子を守りたいという思いが強い。
しかし息子を傷つけるその人は、愛する妻の大切なお母さん。
「子供より、親が大事と思いたい」と、簡単に括ってしまうわけにもいかない。
小さな、小さな家庭の中に、社会の縮図を見て、ただ唖然とするばかりです。