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「ありがとうノリック」

2007-10-09 16:55:05 | Weblog
悲劇から2日。

混乱していた気持ちが少々落ち着いてきたので、阿部典史選手の経歴を紹介したいと思います。

1975年9月7日生まれ
川口オートのスター選手、阿部光雄さんを父に持つ。

5歳からポケバイに乗り始める。

15歳でミニバイクを経験後に渡米。
ダートトラック、モトクロスなどを経験。
独特のスライドライディングスタイルはコノ時に培われました。

16歳の時、満を持して国内ロードレース選手権にデビュー。
1993年に史上最年少の17歳ど全日本最高峰クラスの500ccクラスにデビュー。
同年18歳で史上最年少のチャンピオンに輝きました。

翌1994年には世界選手権に挑戦を開始。

伝説の鈴鹿の日本GPを経て、1995年からフル参戦を開始。

1996年の日本GPで、日本人として14年ぶりに同クラスの優勝を果たしました。

その後もトップライダーとして活躍。
1999年リオGP
2000年日本GP
にて優勝。グランプリ通算3勝。
表彰台に17回上がるという輝かしい戦績を残しました。

2005年・2006年はスーパーバイク選手権に参戦。

今年は全日本ロードレース選手権に復帰。
JSB1000クラスにフル参戦し、最高位3位と健闘。

7月に行われた鈴鹿8耐にも初出場し、結果は9位。

先週末に行われたJSB1000の第6戦岡山では6位入賞を果たしたばかりでした。

世界で戦ってきたノウハウを生かし、低迷気味な全日本を活性化させたいと活動していたノリック。

そして運命の2007年10月7日7日午後6時20分ごろ。
川崎市川崎区大島1丁目の市道で、運送会社のトラックと衝突。
午後8時50分過ぎに死亡しました。
享年32歳。

あまりにも突然で、あまりにも早すぎる最期に声も出ません・・・


私が人生で初めて「感動の涙」を流したのは、1996年の日本GPでした。
当時はWOWOWが「WGP(現・MotoGP)」を生中継していました。
そのレースでノリックが見事優勝!
国旗を手にウィニングラン。
「やった!やった!!」
と、ヘルメットをかぶったまま叫び続けるノリックの姿に、胸が熱くなりました。
あれから11年の歳月が経ちましたが、あの感動を忘れる事はありません。

ノリックの成績に一喜一憂する事ができなくなってしまったと思うと、悲しみが溢れ出します。

人の命に重さの違いはありませんが、今回の事故原因であるトラック運転手と雇用運送会社には厳罰を切望します。

-追記-
本文中に記載ミスがございました。
「川崎オート」ではなく、正しくは「川口オート」でした。
訂正させていただきます。
ご指摘、ありがとうございました。


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