3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

2009-05-01 23:42:16 | 徒然
マハリク・マハリタ
タブラ・ラサ

白紙に戻りたい今日この頃。
いやあ、どーもどーも鈴木ですけど。

長い日記を書いてしまいました。
最後まで読んだ人には、コルナを差し上げます。
コルナとはチェコの通貨。
来年ユーロに統一されるから、レアになるよ、きっと。

なんとGWじゃないですか。
あと、インフルエンザが流行ってますね。

インフルエンザは日々進歩してるんですね。
だって今まで豚から人にはあんまりうつらなかったのが、
今度のは人にもうつるし、
しかも人から人へもうつるんでしょ。
これは立派な進化ではないか。
って褒めてどうする。

それに比べ人間は肉体構造的には、
進化が非常に遅い生き物であると思う。

てか、ああいう菌が速すぎるのか?

世界の頂点に立って偉大なる文明を築き上げてきた
人間様も、
このまま、菌とかが進化し続けたら、
皆殺しにされるんじゃないでしょうか。
実際、現実味が無いとは言えないような気がします。



結構前に俺は動物モノに涙モロいなんて感じの話を書いた。

先日俺が電話で話した内容を文章にする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

例えば、
競走馬が暴れて、骨折したら、
間違いなく安楽死させられるわけだ。

人間の娯楽のために産み出され、
いや、創り出されて、
商品価値が無くなったら消すってこと。

その動物が死ぬところなんかをテレビで
放送してたとしたら
俺は悲しくなってしまう。

かわいそうなぞう

こんなタイトル犯罪である。
また泣いちゃう。
動物ものは俺の涙腺のツボをぐいぐいと刺激する。

動物園もよく考えると、
悲しくなってしまう。

あんな狭いところに閉じ込められて、
見世物にされて、
本来やつらがあるべき生活から隔離しているわけだ。

けど待ってくれ。
俺らは動物の肉を食うときに、
涙を流すか。
やつらの死を意識するか。

松屋に入って、
牛の姿を思い浮かべ、
彼らが殺され、涙を浮かべてるやつはいるか。
そんなやつはいない。
てかいたらおかしい。

もちろん、俺らはこいつらの犠牲のもとにいきてるんだな~
なんて小学生でもご存知でいらっしゃるようなことは、
頭の中には入っている。

けど、松屋で牛丼食ってるとき、
焼肉食ってるときにそれを思う人はあんまりいないと思う。
少なくとも、俺はしない。


で、俺の考えた結論。


これは防衛機制なんじゃないかと。

人間は生きてるうえでそれはもう、
無意識に涙ぐましい精神的努力をしてるわけなんです。

だから、何かを食ったりするときには、
その感情をどっかで封じ込めているのではないかと思ったわけです。

言い換えるなら、
テレビで見るような動物に対する視点を、
無意識に封じ込めてるんじゃないかと思うんです。

もちろん、心のどっかで気づいてると思うよ。
けど、自分が食事をしてる時とかは、
絶対に封じ込めてると思うんですよ。

じゃないと、もうジャイナ教に入信するしか手は無い。

人間にはそういう便利な心の働きがあるからね。

生きるためだけの殺生から離れた時、
それは避けられない事なんじゃないでしょうか。

で、ふとテレビとか、
動物園でもいいけど、
そういった、きっかけが思い出させてくれるんじゃないでしょうか。

自分が達が余りにも多くのものを殺して
生きていることに気づくんじゃないでしょうか。




考えすぎでしょうか。

寝たほうがいいんでしょうか。

その前に歯を磨いたほうがいいんでしょうか。

それともコルナをあげるとか言っちゃった以上、
きたねえ部屋から、
硬貨を探すという行為に出たほうがいいんでしょうか。