3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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全生園に行ってきた

2023-08-04 17:02:00 | 
20230802

ドリアン助川という人物をご存知だろうか。

大槻ケンヂのエッセイを漁る様に読んでいた時期があった。作家としてのあの人が好きで、ハマっていた時期があったのだ。
彼のエッセイに叫ぶ詩人の会のボーカリストとしてちょくちょく名前が出ていた人。

名前はインパクトが強かったので、覚えていたんだが、この度、『あん』という小説を読んだんだ。

ハートフルな物語でアングラな感じではなかった。
ただ、この小説の中で扱っていたテーマとして強く記憶に刻み込まれたテーマが、ハンセン病とその療養施設「全生園」だ。

小説では全生園ではなく名前が変わっていたが、多少知識のある者ならすぐ分かる。この小説の中の施設は全生園のことなんだろうなと。

実はこの小説は映画化されている。で、やはりここ全生園でロケが行われたらしい。余談だが樹木希林の最後の作品がこの映画。

そう思ったら早い。行ってみたくなった。
場所的にも近い。

何回か前に書いた半休という魔法を使い、西武新宿線の久米川という駅に降り立った。ここからバスで10分くらい。全生園の目の前にバス停がある。


来てしまった。

まず門の前で事務に電話をかけた。何の知識もなかったので、勝手に門の中、敷地内に入っていいのかどうか分からなかったのである。場所が場所だけに、無断で入ってトラブルになったらまずい。

事務に確認すると、この全生園は通り抜けることはできる。ただ、生活している人がいるので、立ち入りが出来ない場所がある。ハンセン病資料とそこからの推奨されるコースがあるので、そのコースを回ってもらって、それ以外の居住区への立入は禁じられている。

なるほど何となく分かってきた。

先ずは門から入り、ハンセン病資料館へと向かう。

園という括りであるが、一つの街であるかの様な感覚に陥る。園内で全ての生活が完結してしまいそうな感じ。いや、当時ここがどんな場所だったかを思い返せばそれは当然のことか。


これが全生園の地図である。普通はハンセン病資料館から入るものらしいが、俺は逆から入ってしまったので、園の一番遠いところにある。


看板の順路を追って行く。立ち入ってはいけない場所や治療施設には入らないようにしながら。
まず俺はまだ現役でこの園の中で生活をしている人がいるということを知らなかった。『あん』で読んでいたはずなのに。

園内。

先にも書いたが、この園内が一つの街の様だ。通りに名前がある感じとか。

売店もあり、コミュニティ感も生活感もある。ここはいつくらいから売店なのだろうか。当時のハンセン病院患者の治療施設だった頃も売店だったのだろうか。


ほてほてと歩く。平日の午後、灼熱の時間帯。人は少なかった。写真に人を映さない様に細心の注意を払いながら写真を撮る。



園の中には神社まであった。

そしてハンセン病資料館に到着。



汗だくで突入。入口では簡単なフォームを記入して入ったのだが、目的は自己の研修とした。

写真はNGであったのでここには載せられないが、想像していたよりも施設は大きかったし、分かりやすいものであった。ただ残酷さや不平等な感じを全面に押し出した感じではなく、歴史から一つ一つ現在まで進んで行くのがわかりやすかった。
ついでに言うと、当時の生活の様子が蝋人形で再現されていたのだが、それが余りにもリアルでビビった。その時俺しかその展示室にいなかったから更に1人でビビった。

俺が1番印象に残ったのは、意外にも宗教とハンセン病の絡みだ。キリスト、イスラム、そして仏教の中にもその名前が登場していたが(当時はりん病)、その仏教の記述が忘れられない。信仰心の薄いものがかかる病気だと考えられていた時期もあったんだな。更に血筋で遺伝すると考えられていた時期もあったので、家族全員が差別されることとなる様子や、草津栗生の重監房の様子などを目の当たりにすると、それこそ時間をかけてきた人権問題なんだなと改めて再確認した。

帰り、受付で簡単なアンケートに答えてポストカードを貰った。更にここの受付の人にも歩いていい場所を確認して、その地図を貰い、再び散策。

どうしても行きたい場所があるのだ。

それがこれ。俺がここに来たいと思った一番のきっかけかもしれない。


映画『あん』の植樹記念碑である。
ひっそりと佇んでいた。


このあたりの木はこの映画『あん』の制作記念で植樹されたものなのであろうか。



納骨堂。

至る所にこの様な注意書きが。ここから先は各々の生活もプライバシーも権利もある。

園の中には宗教施設もあった。何度も繰り返すがやはり一つの街として機能していたのであろう。当時も宗教施設は必要であっただろうから。

動物供養塔。

最後に、旧全生学園の跡地。

ずっと行きたかった全生園とハンセン病資料館であった。自己の研修として行ったが考えさせられること、学びが多かったように思う。

こういった人権感覚はしっかり持っている人間であり続けたいと思った今日この頃。



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