3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

クロノⅡ

2008-10-28 23:27:25 | 徒然
女子高生という言葉にエロスを感じていた時期もありました。

俺はとうとう齢25という数字への
カウントダウンが始まってしまったみたいだ。

下手したら女子高生なんて15歳とかだろ。

女子高生なんて10歳差だ。
流石に10歳差は犯罪だ。

だって、女子高生が5歳児と付き合ってたら犯罪に感じるんだから。

なんで、俺はこんな時間に、
女子高生という単語が4回も出てくるような日記を書いたんでしょう。


合コンに行く奴の気が知れなかったし、
パチンコに朝から並んでいる奴を軽蔑した目で見ていた。



今の自分は絶対に過去の自分の未来であり、
未来の自分は進行形で今の自分になり、
今の自分は進行形で過去の自分になっていく。

前にもこんなことを書いたような気がする。

俺は去年の中三の
受験直前に、下記のような言葉を贈った。


「未来の自分の理想を創るのは
 全て“今”の自分の行動次第。
 創れるよう、最後まで努力を。」

俺は誰よりも考えてこの言葉を書いた。

中3に向けて、
何か旗に寄せ書きしたんだけど、

俺は誰よりも考えて、
旗が次々と寄せ書きで埋まっていく中、
最後まで考えぬいて、
一番最後に書いた。

で、出てきたのがこんな陳腐な言葉だ。


しかし考えようによってはこの言葉は非常に重い。

要するに今を重要視しない人間に未来など無い
ということだ。

そして、こんな時間にみクシーで
日記なんかを書いている俺に、
未来など無いという事だ。

過去の日記を引用しながらちょっと書こう。

俺はこうして日々の事を拙い文章ながら、
書きなぐっているわけだけども、
やがて時間は容赦なく経過していくわけだ。
刻一刻と。
たとえ俺が何もしなくとも、
刻一刻と。

十代の頃は二十歳過ぎた自分が、
特に大学を卒業した自分が全く想像できなかった。
無論、就職せずに留年しているなんて未来予想図は
あるはずもなかった。

今に自分が過去の自分に対して、
申し訳ないというような気持ちは一切ないが、
十代の頃の自分が今の自分を見たらなんと言うであろうか。

もっと頑張れよ、お前、なんて台詞を吐いただろうか。

例えば10年後の自分が、
こんな時期を綴ったこの日記を見て、
何を思うだろうか。
こんな時期もあったなあ、
なんて笑い飛ばせるような人間になっているのだろうか。

それとも全く変わってなくて、
自分をまたそこに映すような時期を送っているのか。

将来、俺がこの日記をみて、
「だらしねえな、コイツ」
などと笑い飛ばすためにあるのだといいなどと。

そんなばかげた事を考えていられるおめでたい頭だ。

そうなっているかどうかは、
今のところ、知る由もない。

10年後の自分のみぞ知る事であろう。

唯一つだけ確実な事は、
10年後にこの日記を笑い飛ばすために、
動く事のできる時間は、

この刻一刻と流れている、
「今」しかないということだけだ。




こんな深夜に中学生が考えそうなことを
堂々と日記という形で記せる俺は、

いわゆる“中二病”なのでしょう。

まあ、けど

みなさんが高校生か大学生か知らんけど、

内容のレベルはともかくとして、
考えてる事まで否定されるんだったら、

俺は中二で十分です。




明日も早いんで、寝ます。


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