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3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

枯渇

2011-02-09 20:24:24 | 徒然
俺はちょっと前までは文章を書き散らすことが大好きだった。

大学時代、暇さえあれば(今考えると、殆どの時間が暇だったが)日記を更新していた。
日記といってもその日の出来事を羅列していくような日記ではない。

いわばテキストといったところか。考えたことや、思うことを中心として、分野も問わず徒然に書き散らしていた。


最近、俺の持っていた感性が枯渇したとつくづく思う。

最初から大したもんがあった訳ではないことは重々承知の上だが、それでも今、俺の頭の中には何もない。頭が腐っていくのを感じる。

歴史を見ても、文化が発展するのは暇なとき、戦争がない時期だという話を聞いたことがあるが、大学時代の俺は相当に暇だったんだろう。
よくもあんなに種々様々なくだらないことを考えていたものだ。
そしていちいちそれを文章にしていく様な時間までがあった。

大学時代に比べれば、俺の今の立場は社会的に認められる立場になったのだと思う。

ただ、俺の頭の中も間違いなく変わった。
何かが枯渇した。その意識だけは妙にはっきりと感じる。


忙しいとかそんな下らない次元の話をしているのではなくて、俺が今書いているのは単に俺の脳味噌の奥にあった僅かばかりの感性の話。

感性なんて誰にでもある。甲乙をつけるようなことをしなければ、当然、万人に万人の感性がある。俺は昔の俺の感性が非常に好きだった。
当然、感性なんて変わる。非常に影響されやすい分野だと思う。

俺が失ったのはもしかして、感性なんて抽象的なものではなく、

色々な下らないことを、自分なりに真剣に考え、そしてそれを毎日のように文章にするような圧倒的に現実的な時間と余裕なのかもしれない。この二つは密接に関係しているように感じる。

当然今でも暇な時間なんて幾らでもあるが、大学時代のそれとは何か大きく違う。その時間にテキストを書こうなんて勢いづくことはさらさらない。残るのはただ何も出来ずに過ぎ去っていった時間の残骸に溺れたあとの罪悪感だけだ。

枯渇したのは俺の感性か。
それとも文書を書き散らす余裕と時間なのか。

どっちにしろ、当時の俺がちょっと羨ましい。


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