3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

言の葉たち

2008-04-14 01:53:10 | 徒然
今、熱いお湯に浸かって、
イカリングフライをおつまみに
炭酸入り麦茶(ビール)飲んでます。

ロックとタバコとビールがあれば生きていけるなんて
かっこいい事は言えないが、
ロックとタバコとビールがあったほうが俺の人生幸せなのは確実だ。

オロナミンCのCMでなんだっけ、あの新しい子。
「まーくん」て呼ばれてる子。
名前忘れたけど。

あの子さ、あんな下手くそな演技で
CM撮ってる暇があるなら
一本でも多く投げようとか思わないのかな。

こんな暇人に言われたくないだろうけど。

まあ、プロ野球興味ないんで別にいいんですけど。
高校野球は好きだけどなあ。


もう一昨日になってしまうが、
俺が大学生時代4年間半働いてきた
某進学塾の最後の授業であった。

塾での生活がなかったら俺は何も残らなかっただろう
ていえるくらい俺の中で大きなものであった。

その思い出に浸り、
つらつらと書き始めてしまった日には
本当に短編小説がかけてしまうくらいの
濃い時間だったので、ココには書かない。
何か別の物に記録しておこうと思う。

多くの餞別のの言葉を頂いた。

言葉って力があるなあ。
目に見えないくせに
あんなに人に影響し、
あそこまで人を感動させられるモノは言葉くらいだろう。

誰にでも使えて、
とても身近なものである。

そんな言葉を使った職業に就きたいなどと
腐ったおつむで考えているわけであるが、

最近、ある中国語のせいで、
表意文字の凄さを知った。

ひらがなや英語ではなく、
漢字だ。

其の文字そのものに意味を持たせるって
凄い事だよ。難しい事だよ。

さようなら

Good bye

当然ながら、「さ」にも「G」にも
意味なんてない。

この五文字が組み合わさって初めて
さようならという言葉を認識し、
意味を持つ。

中国語でさようならとは

再見(サイツェン)という。

見るがごとくだ。

再…また
見…会いましょう

其の文字自体が意味を持つって言うのは
けっこう人間頑張ったなあなんて思う。

加えて、この言葉いいセンスしてるよ。
さようならを
また会いましょうって書くんだから。

春という季節ほど
再見、また会いましょうという言葉が
ふさわしい季節は他にはないであろう。


また訳わかんなくなってきた。
自分が何を書いているのだか。

麦茶のせいであろう。

明日は学校に行くので今日はこの辺で。