private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over24.31

2020-03-07 18:26:08 | 連続小説

家に着いたら玄関にはカギがかかっていて母親は不在だった。朝比奈は玄関先にスクーターを止めて、それが別に特別なことではないような物腰なのに、おれは変に気をつかっちゃって、なんだよ呼んでおいて自分は出かけてるなんて失礼じゃないか、、、 なんて、それらしい言いようをして、、、
「買い物にでも行ってるんじゃない。いいわよ、家の中で待ってまれば」
 えっ、ふたりっきりで。そんな真夏の一大イベントになってしまうじゃないかと、おれはすぐに、めぐりめくさまざまな妄想を思い浮かべてしまった。
「いつ帰ってくるかわからない母親を気にしながら、そういうことする勇気がホシノにあればお好きに」
 おれはバツの悪い顔をして玄関のカギを開けていた。そんな勇気、あるはずがない、、、 それって勇気なのか、、、
 段ボールのなかで子猫が、、、 名前はまだない、、、 めんどくさそうに片目をあけて、そして閉じた。もはやそれぐらいのあつかいなおれ。近ごろじゃエサも母親からもらっているから、おれに媚びうる必要はないというとこか。こんにゃろう、今日は飛び切りのゲストがいるんだぞ、見て驚け。
「ひさしぶりね、子ネコちゃん。もうすっかりこの家の一員って感じ。ひとり息子より存在感があるんじゃないの」
 それはなんの誇張でもなく、ホントにそんな感じだから困ったもんで、子猫はおれのときとは違い両眼を開いて段ボールのふちに手をかけて立ち上がった。いかにも抱き上げてくれといわんばかりで、おれなんかよりよっぽどおんなの扱いに慣れている。そして命の恩人のおれなんかより、母親や朝比奈に媚びるこの子猫の判断は正しく、生存本能をいかんなく発揮していんだ。
「誰だってね。そうね、人間も動物も、最終的には命をつなぐことを最優先する。それが本能でしょ。生きるか死ぬかの判断って結局は自分でしているようで、させられている」
 そうだな、おれたちはたいがいのことはガマンしてるけど、食いモンがなくなるば容赦しない、パンがなければケーキを食べればいいとのたまうお姫様が、庶民の感情を逆撫でしたように歴史が物語っている。
「おヒル食べたのかしら? ミルクあげようか?」
 ください、、、 あっ、子猫のね。子猫も腹が減れば狂暴になるだろうから、おれはそそくさと台所に向かった。朝比奈は三和土に腰かけ、子猫をあやしはじめ、こちらも振り向かず、冷蔵庫から出したままじゃなくて人肌に温めてねと細かく指令をくだす。
 おれにそんな高度なテクニックができるのかととまどいながらも、深めの皿にとりあえず牛乳を流し入れる。さてそこからどうしたものかと、おれがモタモタしているから朝比奈が子猫を抱いたまま台所に侵入してきた、、、 入ってきた。
「誰が侵入だって? ほら、子ネコちゃん抱いてて」
 そう言っておれに子猫を押し付け、牛乳の入った皿を電子レンジに入れ、手際よく操作している。ああそうか、それでいいんだ。おれだっていつも冷えたご飯を温めている。それが人肌になるとは思えないけど、同じことがすぐにピンとこないのはいまの状況が普段通りじゃないからだ。
 ピンとこない間抜けなおれの手の中で、子猫は不機嫌ながらも収まっている。こいつを抱かせてもらえたのは出会ったあの日以来だ。これが相手が女の子ならもっと艶っぽい話になるんだけど、子猫じゃ、、、 イテッ、、、 爪立てるなよ。これが相手が女の子なら、、、
「ほら、かして。温まったから。また、ボーっとして、あいかわらずろくでもないモーソー中なのか?」
 ええ、まあ、あいかわらず、その領域から出られるほど成長できてないもんで。
 朝比奈は床に皿を置いて、子猫を放すように言った。ヤツはすかさずおれの手をはなれ、お皿の牛乳をペロペロと2~3回なめると、朝比奈のほうを振り向いてあいそをふる。やるじゃねえかおんな心をわかってる、、、 たぶんおんな心に響いたはずだ、、、
 おれもイイとこ見せないと。冷蔵庫から今度は冷えた麦茶を取り出して、コップにそそいだ。こういうときはコーヒーとか、紅茶とかがいいんだよな。だけど、そんなものどこにあるかも知らず、戸棚や引き出しを探しまくってちゃ本末転倒だから、無難に麦茶にして朝比奈の前に置いた、、、 これではおんな心に響かないか、、、
「ありがと。めずらしく、ねえ、気が利くじゃない。子ネコちゃんと張り合うつもり? かな?」
 そう言って、水滴のついたコップを手に取りのどに流し込んだ。細いのどがおれのついだ麦茶が通り抜けるたびに脈打った。おれもコップを取り出し自分の分をそそいだ、、、 どこがイイとこなんだ、、、 それなのに胸の高鳴りが激しくなってくる。おれはいま本能が理性を上回りはじめている。
 庭先で一匹のセミが鳴きはじめた。生命のうねりのような鳴きかただった。一定のリズムではなく不整脈として伝わってくるから、声が枯れたときあのセミの一生も終わるんだろう。大勢だと煩いのに、一匹だとその一生の物悲しささえ伝えることもできる。
 それなのにきっとおれは煩悩のかたまりのような顔をしていたらしく、朝比奈は不快な表情を隠そうともせず、いやどちらかといえばニラミを利かしてくるもんだから、おれは顔を引き締めてみたけど、そんなまやかしが通用するとは思えない、、、 金属探知機よりも、レントゲンよりも正確におれを解析していく、、、

「なんだか、つかみどころない顔してるね。うまく言い訳するでもなく、実行するでもなく。そのわりには別のこと心配してそうだし」
 ギクリ、、、 ギクってした時点でダメだな、、、 朝比奈は実用性のある超能力を発揮して、ほぼ100%おれの中と外で起きていることを見抜いていた。それともおれはそこまでわかりやすのだろうか、、、 わかりやすいんだろうな、、、 子どもがどれだけ隠れて悪さをしても、母親はすべてをお見通しってのと同じだ。
「まあいいわ、理由がなんであれ、誠実があればそれでいい。いまからやらなきゃいけないことは決まっているんだから、そうでしょ?」
 自分の手でつかみ取った自由ではない中で得た時間にどれほどの価値があるのか。その時間を使って、どれほど上手く立ち回ろうとそれで満足できるとは思えない。しょせん与えられた中での喜んでいるだけで、ほんとうはもがいているだけなのに。
「いいよ、それで。ホシノは底辺だけど、自分が底辺だと認めたうえで発言して、行動している。ほとんどの人たちは自分たちの優しさや、愛情がまわりから強要されたうえでおこなえているとわかっていないから。真実を知るのは簡単なこと。自分一人が助かったからってどうなるものでもないのに」
 おれが高校生活までにやるべきことはただひとつで、それは部活で結果を出すことだった。そのために、それ以外のことをないがしろにする良い言い訳で、それさえやっておけばほかは人並み以下でも許されていたから、いつのまにか悪しき習慣のほうに流されていっただけだ。
 そりゃ走ることに没頭して、ひとつひとつの現象を組み立てて、成果につなげていく作業は身にあっていたから、そのこと自体はいい加減だったわけでもなく本気で取り組めていた。それが、いい加減な日常生活とのバランスの中でくずれていったんだ。
 おれはこどものころから、なにか特別な日があれば、それを楽しむより無事にその日を迎え、無事にその日を終えることをどこかで望んでいた。楽しむより無事に終えたい気持ちが常に勝っていて、それはいろんな不幸を目にしてきたゆえのこころの防御法らしい。
 旅行とか、遠足とか、なにかのきっかけで楽しみにしてたり、仕事の都合とかでしかたなく出かけた先で不幸な目にあうっていうのは、いったいどんな圧が働いているのか。本人だけでなく、誘った人、そこに居合わせた人。それはみんなにおとずれた不幸になっていく。
 無事に終えることができなかったあの日、なんだかおれはその日が来るのをずっと待っていたようにも思える。それなのに、先生も、部活の仲間も、ぶつかった他校の生徒も、みんななにか申し訳ないような、見てはいけないモノを見てしまったあとみたいな、できるだけ触れずに済まそうとしている態度がおれには逆に辛かった。ついにおれにその時がやってきたんだ。
 それからはもう自分でもわからないうちに、何を求めるでもなく流されるままに時を過ごしてきた。おかしなもので、これでいいんだとふんぎれたおれよりも、まわりが過剰反応して、そうすればするほど、おれは余計になんでもないふうを装っていた。
 おれがそんなふうになるとまわりは安心して親切と思われる行為を続けていく。誰だったそのほうが楽だ。おれも回りが楽なのを見ることで安心して自分を制御していた。そして、朝比奈にけしかけられなきゃ、今後もそうやって時を塗り潰していこうとしている。なぜ自分からできなかったのか、、、
 だからおれは朝比奈に誉められたもんじゃない。まわりの状況や感情に流されて楽なほう、楽なほうを選んできただけなんだから。



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