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尹奉吉(ユン・ボンギル)追悼記念館開館騒動を報じないメディア

2025-04-13 22:58:04 | 朝鮮問題

 2025年1月、大韓民国メディア『聯合ニュース』が、大韓民国KBSの元客員研究員のキム・グァンマン氏が「尹奉吉追悼記念館」を4月29日に金沢市に開設すると伝えた。右翼団体がこれに反発して3月2日には軽自動車で「在日本大韓民国民団」の石川県地方本部の建物に突っ込む事件が起きた。3月10日には『産経新聞』が、浜田聡参院議員NHKから国民を守る党)が「記念館」開設について、「日本国内で日本人を殺したテロリストを追悼するような記念館ができるのは感情的に受け入れられるものではない」と反対を表明したと伝えた。

 尹奉吉(1908.6.21~32.12.19)は、「天長節上海爆弾事件」を起こした人物であり、今日、大韓民国では独立運動の「義士」(英雄)とされている。この事件は、1932年4月29日の神聖天皇主権大日本帝国政府の「天長節」(天皇誕生日)に、中華民国上海虹口公園(現魯迅公園)で行われた「戦勝祝賀式典」において、日本軍首脳に対し爆弾を投げ付け死傷を負わせた事件である。

 尹は自決に失敗し、その場で上海派遣軍の主力の第9師団(本拠は石川県金沢、大陸侵略の中心部隊)が捕え、同年5月軍法会議は「死刑判決」を下し、同年11月に大阪衛戍監獄へ移送した。同年12月18日に金沢市の第9師団司令部拘禁所へ移送、翌19日に市郊外の三小牛山陸軍演習場銃殺刑に処した。24歳。遺体は秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に「暗葬」した。戦後の1946年3月、在日同胞が遺体を発掘し、送還後ソウル市内の「孝昌公園」に「国民葬」により埋葬された。

 1992年4月21日には、「大韓民国梅軒尹奉吉義士第60周年紀念事業推進委員会」と「在日本大韓民国居留民団」が「尹奉吉義士殉国紀念碑」を建立した。同年12月19日(尹の命日)には、在日朝鮮韓国人市民団体の募金活動と、金沢市の土地支援と尹の生地禮山郡「月進会」揮毫暗葬之跡碑」が設置された。2006年には、「ユン・ボン・ギル共の会」が、石川県の社民党地方議員団と日本人市民・在日市民らにより設立され、「暗葬之跡」史跡の保存・整備、教育・文化・スポーツなどの交流促進、人間往来の実施、平和友好促進のための事業を展開している。

(2025年4月13日投稿)

 

 

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