つれづれなるままに心痛むあれこれ

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金石範著「済州島四・三武装蜂起について」その⑤

2024-06-11 16:26:04 | 朝鮮問題

 虐殺の先鋒を担ったのは、西北青年団で、ノコギリで首を切ったり、手足を切断したりする、この国で昔からの極刑である「陵遅処斬」に劣らぬ事をしたが、なぜ、ナチスのやったようにして裸にしてガス室に送り込み瞬間的に殺さなかったのか。ここにはサディズムといおうか、殺すのを楽しむようにして、一つ一つ首を切ったり、目玉をくり抜いたり、乳房をえぐり取ったり……それはもう乳房をえぐるといえば、他の事は想像できると思う。「帰順工作」のやり方の一つの例をあげると、ゲリラが山に立てこもっているあたりへ、李承晩軍警が海岸部落からゲリラの家族を連行してやって来る。家族の背に銃を突きつけた軍警が後ろから進んで行き、ゲリラの根拠地の近くで「帰順せよ、降伏せよ……」とラウドスピーカーで呼びかけるのであるが、降参しない場合は、ゲリラの眼の届くところで家族を、妻や子どもや親兄弟を射殺する。これは耐え難い事であって、中には崩れて帰順する者が出てくる。しかし帰順はしたけれど生かされはしなかった。権力は彼らを釈放しないで警察前の広場を、激しい雨の日に竹槍の先に同志の首を突き刺して泥んこのまま行進させる。そして後進の後は全部銃殺されてしまう。

 李徳九は49年3月攻勢のあと、6月7日数人の同志とともに奇襲され応戦しながら、戦死した。年齢不詳であるが、30歳未満である。ある人の話によれば、ピストルの名手である彼は最後の一人になって逃げ延びながら、ピストル自殺をしたともいう。権力はその死体を市内の広場で引きずり廻したあげく、十字架にかけて長い間晒し者にした。その胸に「これは『共匪』であり、大韓民国の国是を犯した反逆者である……」というような布告が垂らされていたが、のちにをはね、今度は首だけを長い間晒し続ける。当時20名近くの李徳九の親戚が、逆賊の血縁という事で全部された。家族は、妻と2人の子どもはそれより前、48年の秋に虐殺されていた。

 李徳九あたりは大物なので、要領よく降参すれば死一等は減ぜられる可能性はあったかも知れないが、ともかく勝算のない絶望的な戦いを続けた李徳九たち、最後のゲリラの心情を想像するのは難しいし、怖い。ところで、当時の南朝鮮の社会と今のそれがどれほど変わっているだろう。本質的には変わっていないのであって、今の南朝鮮には朴政権に巣くう者たちを病源にしてはっきり退廃が起こっている。韓国で政治的社会的民主化が成功した後でも、まだ残っているだろう魂の退廃を救って行く精神の革命が非常に重要だと思われる。その精神革命を行う場合、一つのファクターとして韓国における文学者の役割が問われねばならぬという事がありうると考える。汚辱の中ですべての魂が退廃したしたわけではない。たとえば金芝河らのように、闇の中に光輝く部分がある。彼らの魂が軸になって、この国の精神革命はなされるのではなかろうか。これは一つの大きな、そして困難な課題だと思う。もしできる事なら、在日朝鮮人文学も、これは日本語で書かれてはいるものであるが、何とかそういう方向での関わり合いというものも考えて行きたい。

 南朝鮮における精神革命というものは政治革命以上に大きな課題であり、これは朝鮮が統一されてからも跡を引く問題ではないだろうか。朴正熙を倒したからといってすべてが解決するわけではない。倒した後で政治社会的にその改革を進めても、まだ魂の中には退廃の部分が残っているだろう。あまりに韓国における朴正熙のもたらしたその根は深いから。それをどうするかという事が、統一朝鮮においても大きな民族的課題になるだろう。以上

(2024年6月11日投稿)

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