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金石範著「済州島四・三武装蜂起について」その④

2024-06-11 12:44:57 | 朝鮮問題

 壊滅期のゲリラ闘争について具体的にいえば「戦略村」があった。済州島は中央が山岳地帯なので海岸部落が多い。ハルラ山の麓にある山間部落と海岸部落との間に中山間部落というのがあるが、ハルラ山のゲリラへの補給と連絡路を絶つためにこれらをまず焼き払う。そして石垣の城壁や鉄条網をめぐらした「戦略村」に強制収容してしまう。のちには海岸部落の中で一人でもパルチザンが見つかるとか、またゲリラと連絡をとっている者を捕えた場合には、予告もなしに部落全体に火を放って焼き払うようになる。

 こうして済州島は人間の死体のうず高く積もるところとなる。今はカラスがあまりいないようなのだが、昔は何処へ行っても眼につくくらい非常に多かった。済州島のカラスは常に人間を食うとは限っていないし、他の鳥と同じように自分なりのエサを捜していたものである。ところが、済州島事件が起こってから死体がごろごろ転がるようになったものだから、カラスはエサを捜す必要もなく人肉をついばみ、よく肥え太り、その体を蔽った黒い羽毛は光沢を放ち、まさにカラスが飽食した時期だった。本当に今済州島にカラスがあまりいないとすれば、原因はわからないが、仮にそれは済州島の路上に人間の死体がなくなってからだと考えればどうなるのか。人肉に馴れすぎた彼らは一体何処へ、どのようなエサを求めて行ったのかと、私は変な想像をしたくなる。

 さっき「大韓民国」の成立について述べたが、それから約1カ月後の9月9日、臨時首都を平壌に置いた朝鮮民主主義人民共和国が創建される。当時は南朝鮮で秘密投票が行われ、南北人民の総意のもとにあの国はつくられた。まだ地下組織が強かったので南の人民も秘密つまり地下投票に参加する事ができたのであるが、だからこそ朝鮮人民の総意を反映した唯一の合法的な政府であり、人民自らがかちとった政権だという気概があって、議会では当分南朝鮮代表の議席が残されていた。しかし、米国政府国連ははじめから北朝鮮敵視し、まもなく2年足らずで朝鮮戦争に突入する。1948年末頃から始まるゲリラの壊滅期の司令官李徳九という人がいるが、済州島事件を語る場合、彼をぬかすわけにはいかない。彼は一時在日朝鮮人として大阪に住んでいて大日本帝国政府学徒兵となり、ポツダム少尉として済州島に引揚げた青年で、中学の先生をしていた時から地下活動、やがて四・三蜂起に参加して、のちにゲリラの司令官となる。

 李徳九司令官の時期に、それは1949年であるが、米国政府による3月攻勢というのがある。戦況が不利になりながらもゲリラは頑強な抵抗で敵に脅威を与えるが、ついに米国政府南朝鮮派遣軍事顧問団団長ロバート准将が直接指揮をとり、李承晩政権の国防長官警務長官らも本土から兵を入れて済州島に乗り込む。そしていわゆる「帰順工作」をやり始めたのであるが、それは同時に済州島ゲリラ殲滅作戦でもあった。権力側はゲリラを「共匪」などという呼び方をし、済州島では、それが、「アカ」イコール人間ではないという意味を持っていて、島民を虐殺するもっともらしい口実になった。米軍の飛行機、駆逐艦まで動員されて3、4百名のゲリラ討伐に数万の兵力が投ぜられ、しかも手当たり次第の虐殺が、済州島人は全部「アカ」だからガソリンをぶっかけて「没殺」(=皆殺し)にせよという命令のもとに、一大ゲリラ殲滅作戦が行われた。

(2024年6月11日投稿)

 

 

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