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「日本会議」(1997年5月30日設立)の構成員と思想

2024-09-29 22:27:40 | 日本会議

 1997年5月30日、「日本を守る国民会議」(1981年10月27日設立、加瀬俊一議長、黛敏郎運営委員長)と「日本を守る会」(1974年4月2日設立)が合流して「日本会議」が設立された。

 『守る会』は宗教人と文化人で設立され、『国民会議』は政界、財界、学会、宗教界など各界の代表者で設立された。『守る会』は右派系の宗教団体を中心に結設立。事務局は東京渋谷区の明治神宮会館内。事務総長は『国民会議』と同じ、明治神宮権宮司の副島廣之。代表委員など役員職には朝比奈宗源(臨済宗円覚寺)、伊達巽(明治神宮)、富岡盛彦(富岡八幡宮)、岩本勝俊(曹洞宗総持寺)、金子日威(日蓮宗本門寺)、清水谷恭順(浅草寺)、谷口雅治(生長の家)、関口トミノ(佛所護念会教団)、岡田光玉(世界真光文明教団)、蓮沼門三(修養団)、石川弥八郎(モラトロジー研究所)、安岡正篤(全国師友会)などが就任。『国民会議』の役員職には、宇野精一(東大名誉教授)、清水幾太郎(学習院大教授)、小堀桂一郎(東大名誉教授)、江藤淳(評論家、東京工大教授)、香山健一(学習院大教授)、村松剛(筑波大名誉教授)、加瀬英明(外交評論家)、村尾次郎(歴史学者)、瀬島龍三(伊藤忠商事会長)、井深大(ソニー名誉会長)、石井公一郎(ブリジストン相談役)、塚本幸一(ワコール創業者)、武見太郎(日本医師会会長)、小田村四郎(元行政管理事務官、拓殖大総長)、中川八洋(筑波大名誉教授)、百地章(日大教授)、大原康夫(国学院大教授)などが就任。

 『日本会議』は、初代会長は塚本幸一(ワコール会長)、副会長は安西愛子(声楽家)、石井公一郎(ブリジストン元社長)、岡本健治(神社本庁総長)、小田村四郎(拓殖大総長)、小堀桂一郎(明星大教授)、理事長は田中安比呂(明治神宮権宮司)が就任。

 「設立宣言」は「我が国は、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐ事なく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽す気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向かいつつある。加うるに、冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に貢献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する」とした。

基本運動方針」は

1、美しい伝統の国柄を明日の日本へ

 国民統合の中心である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する

2、新しい時代にふさわしい新憲法を

 わが国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する

3、国の名誉と国民の命を守る政治を

 独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる政治の実現を期す

4、日本の感性をはぐくむ教育の創造を

 教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する

つまり、皇室の尊崇、憲法の改正、国防充実、愛国教育、伝統的家族の5本柱である。

 『日本会議』結成の前日、5月29日には『日本会議国会議員懇談会』が結成されている。会長は島村宜伸(自民党衆院議員)、幹事長は平沼赳夫(自民党衆院議員)、事務局長は小山孝雄(自民党参院議員)などが就任。

平沼が行った「設立の挨拶」は、

日本を守る会、日本を守る国民会議は、二十有余年にわたって、日本全国津々浦々で力強い、そして幅広い活動を展開されてきました。この二つの会が大同団結を致しまして、新たに塚本幸一新会長を迎えて日本会議が設立されます。それに呼応致しまして、我々国会議員も党派を超えて、全国的な力強い日本のための運動を展開していこうという趣旨の下に今日、皆様方ご参集の下、この設立総会を迎えたわけでございます」

としている。

 『懇談会』と安倍内閣との関係は、2012年12月の第2次安倍内閣では閣僚19人中12人(63%)、2014年の第2次安倍改造内閣では閣僚19人のうち15人(80%)で、官房副長官や首相補佐官など官邸スタッフの全員が懇談会員であった。第3次安倍改造内閣では、閣僚20人のうち13人(65%)が懇談会員で、安倍晋三(首相)、麻生太郎(副総裁兼財務相)、高市早苗(総務相)、岸田文雄(外務相)、塩崎恭久(厚労相)、森山裕(農水相)、林幹雄(経産相)、丸川珠代(環境相)、中谷元(防衛相)、菅義偉(官房長官)、島尻安伊子(沖縄及び北方担当相)、加藤勝信(一億総活躍担当相)、石破茂(地方創生担当相)であり、萩生田光一と施工弘成(内閣官房副長官)、柴山昌彦と衛藤晟一(首相補佐官)も懇談会員。

 『日本会議』の2016年6月の役員名簿では、顧問は鷹司尚武(神宮大宮司)、服部貞弘(神道政治連盟常任顧問)、北白川道久(神社本庁統理)、渡邊惠進(前天台座主)、副会長には田中恆清(神社本庁総長)。代表委員は石原慎太郎(作家)、市川晋松(元日本相撲協会相談役)、伊藤憲一・佐藤和男(青山学院大名誉教授)、入江隆則(明治大名誉教授)、宇都宮鐵彦(日華代表取締役会長)、大石泰彦(東大名誉教授)、岡田光央(崇教真光教え主)、小串和夫(熱田神宮宮司)、尾辻秀久(日本遺族会前会長)、黒住宗晴(黒住教教主)、慶野義雄(日本教師会)、志摩篤(偕行社理事長)、志摩淑子(朝日写真ニュース社会長)、千玄室(茶道裏千家前家元)、高城治延(神宮少宮司)、武覚超(比叡山延暦寺代表役員)、竹本忠雄(筑波大名誉教授)、長曾我部延昭(神道政治連盟会長)、寺島泰三(英霊にこたえる会会長)、徳川康久(靖国神社宮司)、中島精太郎(明治神宮宮司)、中野良子(オイスカインターナショナル総裁)、丸山敏秋(倫理研究所理事長)、横倉義武(日本医師会会長)。理事長は男成洋三(明治神宮崇敬会理事長)などであった。

(2022年8月29日投稿) 

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日本会議の正体は?

2024-09-29 22:22:46 | 日本会議

 東大名誉教授の島薗進氏による日本会議の正体は?青木理著『日本会議の正体』内の島薗氏の言葉を以下に紹介する。

「かつては危ない勢力と認識されていた者たちが、今や立派に見えてしまっている。…(背後や源流の生長の家創始者・谷口雅治信奉者など)新宗教の指導者たちは、市井の人々に心の安らぎを与える事はあっても、政治や思想の面はさほど強くありませんでした。ところが谷口雅治はとてもインテリ臭い人で、政治思想にも詳しい。だから信者にも勉強好きなものが多かったわけですが、世直し的な面も持っていて、戦前は天皇中心主義に深くコミットし、戦後も似たような立場を堅持した。学者や文化人の中にも類似の国体論的な考えを持っている人が以前から一定数はいた。黛敏郎松村剛などはその代表ですが、実業家にもそういう人たちがいて、宗教団体が結集点(日本会議)をつくると吸い寄せられていく。…日本会議はかなり特殊な勢力です。神社本庁も含めてですが、かなり特殊で復古的な思想を持った人たちのあつまりです。…戦前もそうでしたが、停滞期において不安になった人々は、自分のアイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合は国体論天皇崇敬、皇道というようなものに集約されたわけです。(戦後再び停滞期で日本会議への共鳴拡大)神道指令を否定し、政教分離も踏みにじるわけだから、これは戦前回帰だと受け止められてもしかたがない。……」

 青木氏は日本会議の政治思想の特徴を、自民族優越主義・天皇中心主義・国民主権の否定・過剰なまでの国家重視と人権の軽視・政教分離の否定・神社非宗教などとし、戦前の国家神道の論理と同じであるとしている。

(2022年9月2日投稿)

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国旗国歌法の可決と「日本会議」の法制化運動

2024-09-29 12:35:28 | 日本会議

 国旗を「日の丸」、国歌を「君が代」と定めた「国旗国歌法」を自民党政権が可決成立させたのは1999年8月13日であった。99年2月に広島県世羅高校校長が、国旗として日の丸掲揚と国歌として君が代斉唱を要求した文科省と、それに反対した教職員組合の板挟みとなり、自死した事件をきっかけに、小渕恵三政権法制化を急いだ。野中広務官房長官が法制化の必要性を主張し、日本会議も熱心に運動を展開した。

 1999年6月4日、日本会議の副会長・小田村四郎、顧問の石井公一郎、常任理事の大原康夫、事務総長の椛島有三、日本会議国会議員懇談会の平沼赳夫、衛藤晟一、安倍晋三、高市早苗らが首相官邸で小渕首相と会い、「国旗国歌法」の早期法制化を求める以下のような「要望書」を手渡した。

国旗(日の丸)、国歌(君が代)は、国民の圧倒的な支持を得て定着し、国際社会においても広く認知されて、すでに慣習法として確立しています。にもかかわらず、教育現場においては、一部反対勢力の妨害により、その扱いをめぐり未だ大きな混乱が生じており、日本の将来に大きな禍根を残す事は必至です。政府におかれては、次代を担う青少年が国旗・国歌への敬愛の精神を養うために、国旗・国歌の法制化を早期に実現されるよう要望いたします」

 「国旗国歌法」が参院本会議で可決成立した際には、「日本会議」は衆院第二議員会館で緊急集会を開き、「日本会議」の機関紙とみなしてよい『祖国と青年』(1999年9月号)には以下のように伝えてた。

「参議院本会議で国旗国歌法が可決された瞬間、モニターの画面を見つめていた約二百名から大きな拍手がわき上がった。立ち上がって万歳三唱、喜びが漲る……」

(2022年12月6日投稿)

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日本会議2001年刊『新憲法のすすめ……』を基にした自民党憲法改正草案と国民主権

2024-09-29 12:31:54 | 日本会議

 自民党と密接な関係をもつ「日本会議」の「新憲法研究会」が編集し、2001年に刊行した『新憲法のすすめ……日本再生のために』(明成社)は、自民党が2012年に作成した『日本国憲法改正草案』の基調をなしているが、その事を象徴するものとして、『新憲法のすすめ……』の「憲法前文」を以下に紹介しよう。一言でいえば、現行国民主権の憲法を否定するものである。

「我々日本国人は、古来、人と人との和を尊び、多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取・同化する事により独自の文化を築き、天皇と国民が一体となって国家を発展させてきた。我々は、このようなわが国固有の国体に基づき、民意を国政の基礎に置く明治以来の立憲主義の精神と歴史を継承発展させ、国民の自由と権利を尊重するとともに国家の一員としての責任を自覚して新たな国づくりへ進む事を期し、併せて世界の平和と諸国民の共存互恵の実現に資する国際責任を果たすために、この憲法を制定する」としている。

 日本会議の事務総長を務めている椛島有三氏によると、国民主権を否定している。日本会議の実質的機関紙である『祖国と青年』からその事実を以下に紹介しておこう。

「日本の政治史は、天皇が公家、武士、政治家に対し政治を「委任」されてきたのが伝統である。天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり、西洋の政治史とは全く歴史を異にする。天皇が国民に政治を委任されてきたシステムに、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない」(1993年4月号より)

(2022年12月5日投稿)

 

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日本会議を支える伊勢神宮を本宗とする神社本庁を頂点とする神社神道の思想

2024-09-29 12:26:11 | 日本会議

 神社本庁自らが1946年に創刊した機関紙『神社新報』の2015年11月23日の「論説」には、

「日本の歴史と国柄に基づいた憲法改正の早期実現を目指して「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立されて以来、日本会議神道政治連盟が中心となって国民運動を推進してきたが、すでに全都道府県で「県民の会」が結成され、賛同署名は445万人に達し、国会議員署名も超党派で422人を獲得するに至ってゐる。これは大きな運動の成果であるが、今後なお1千万の賛同署名の達成と、国会議員署名及び地方議会決議の獲得を目指して邁進していかねばならない。憲法改正の国会発議を促すためには、広く国民の熱誠に基づく運動を盛り上げていくしかないからだ。……現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。すでに衆議院では改憲派の勢力が3分の2に達しており、安倍総裁の任期も3年ある。あとは来年7月の参院選で改憲派の勝利を目指して全力を集中する事だ。参議院で改憲派が3分の2の議席を確保できれば、いよいよ国民投票に持ち込める。神社界の中には未だ、なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか、といった疑問を抱く人もゐると聞く。しかし、もしも神職が宮守りだけを務め、国の大本を正す活動に従事しなかったら、この国は一体どうなるのか。心して考へてみなければなるまい。我々自身の熱意と活動努力によって憲法改正は是非とも実現しなければならないのである」

と強調している。

 神社本庁については、ケネス・ルオフ著『国民の天皇─戦後日本の民主主義と天皇制』(2003年)によると、

神社本庁戦前の政治体制とイデオロギーを復活させる足がかりとなる施策を強く支援してきた。米国製の憲法に象徴される戦後体制(レジーム)を拒否しながら、戦後、主として➀政教分離を定めた憲法第20条の廃止もしくは別の解釈の確立、②皇室崇敬の強化、を目標に掲げてきた。そして日本の47都道府県にまたがる支部を通じて、8万以上にのぼる神社の活動を統合している。神社本庁はまたいくつかの関連団体を支援しているが、その中には神道青年全国協議会や全国敬神婦人連合会なども含まれている」

とある。

 神社本庁自身も神道政治連盟(神政連)を1969年11月8日に結成し、自民党など保守政界を支援しており、神政連の訴えに呼応する神政連国会議員懇談会も作っている。神政連の政策目標は、

➀世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指す。

➁日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指す。

③日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指す。

④日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指す。

⑤世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指す。

などであり、つまり、皇室尊崇の社会づくり、新憲法の制定、靖国神社への国家関与の強化などであり、戦前の政治体制とイデオロギーの復活、戦前体制への回帰である。

 現在、神職はどこで取得できるのか。神道学科をもつ国学院大学皇学館大学の2大学でしか取得できない。国学院大学は1882年、神聖天皇主権大日本帝国政府が国家神道を支える神職の養成機関として設立した「皇典講究所」が母体である。皇学館大学も1882年、伊勢神宮が創設した神官養成機関「神宮皇学館」が母体である。大日本帝国政府は1903年、内務省所管の官立学校とし、1940年には官立大学の神宮皇学館大学とした。敗戦後、GHQの「神道指令」により廃学となったが、神宮皇学館出身者や政財界の有力者が1962年、私学として現在の皇学館大学を再興した。

 その教育方針は、伊勢神宮祭主・賀陽宮邦憲王が1900年に発した「令旨」を「奉戴」し、「神宮皇学館教育の旨趣は皇国の道義を講じ皇国の文学を修め之を実際に運用せしめ」るためとしている。

皇学館高校の教職員研修用冊子では、「皇国」とは「天皇がお治めになる国」との意である。

(2022年12月2日投稿)

 

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