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安倍「戦後70年談話」のあいまいさは歴史修正主義そのもの、人権を保障するための「未来への知恵・教訓」は得られない

2025-03-31 11:16:35 | 安倍政治

 2015年8月14日夜、安倍首相戦後70年談話が発表された。記者会見の冒頭発言や談話の冒頭部分、談話読み上げ後の発言で、何度も強調した言葉に「歴史(の教訓)から未来への知恵を学ばなければならない」とあるが、談話の言葉からは「教訓」も「知恵」も学べない。なぜなら、「学ぶ」という事は、物事を判断しそれに対して何らかの態度を示したり行動をするための糧情報とする事ができなければならないからだ。最初の部分では、明治維新から敗戦までの歴史であるが、いくつかの誰もが割とよく知っている歴史用語が使用されているが、故意に韓国(朝鮮や大韓帝国)や中国(清や中華民国)などアジアの国々との歴史を抜き落としているし、また歴史用語は並べただけなので、具体的に何が問題であったのかが理解できないし、なぜ「力の行使」によって解決する事になったのか、なぜ「国内のシステムはその歯止めたりえなかったのか」を明確にしなければ、未来を誤らないための「教訓」も「知恵」も学びようがない。読み方によっては欧米諸国が日本を戦争へ向かわせたようにも解釈できるし、必然的に侵略戦争ではないという解釈もでき得る。教科書のダイジェスト版にもならないし、誤った歴史認識を広めてしまう。教科書の文章の方がまだマシである。しかし、それが安自公倍政権の狙いであると考えられる事を押さえておかなければならない。

 この談話を出す意味は、時の首相が政府を代表して、現在は安倍首相が政府を代表して、時の日本政府がとった政策に対する認識を、国民に対して、世界に対して表明するという事のはずであるがそのような文章になっていない。今回は明治維新からの内容にしているが、日本政府のアジアへの侵略が「やむを得ないもの」と理解してもらうためなのか、西欧列強も「同じ事をしているではないか」と言いたいためなのか。また、「アジアで最初の立憲政治を打ち立てて独立を守り抜きました」とあるが、「アジアで最初」という事を誇りたいためか。それよりも、神聖天皇主権大日本帝国政府ドイツ風憲法を制定するために、「自由民権運動」を警察軍隊という政府がもつ権力よる弾圧で潰滅粉砕したという経過が存在した事を明確にしなければならない。

 また、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」というのは、「日露戦争に勝利した」と言いたいのと「アジアやアフリカの人々のために良い事をした」と言いたいのであろうか。しかし、それは歴史の真実を捻じ曲げた誤った認識である。日露戦争中には韓国の意思を無視して軍事的威圧のもとに韓国侵略「韓国併合」への準備を着々と進めていく。また、第1次世界大戦中には中国侵略「21カ条の要求」を突きつけていく。

韓国併合への道

 1904年2月8日に仁川・旅順のロシア艦隊を奇襲攻撃、10日に宣戦布告後の23日、韓国の「中立声明」を無視し、「日韓議定書」を押し付けた。第1条には「……東洋平和を確立するため、大韓帝国政府は大日本帝国政府を確信し施設の改善に関しその忠告を容れる事」とあり、国際法上からは「忠告」は「命令」と同じで、これによって韓国は事実上日本に従属する事になった。つまり、韓国が自主権の一部を放棄し、重要な国務に対し干渉する権利を日本に認めるとともに、国防を全面的に日本に依存する事とした。調印の際、韓国の強硬に反対する大臣は辞任させて調印した。同年5月の「対韓施設綱領」では、 ➀防備を全うする事、②外政を監督する事、③財政を監督する事、④交通機関を掌握する事、⑤通信機関を掌握する事、⑥拓殖を図る事、の6項目を打ち出した。この綱領は併合までに実現させた。同年8月には第1次日韓協約を結ばせ、「韓国は日本政府推薦の財政・外交顧問を任用する事。重要な外交案件は事前に日本政府と協議する事、とした。

 05年9月のポーツマス講和条約に先立ち、日本は韓国の植民地化に米英の同意を得るため、米国とは同年7月に桂・タフト協定を結び、米国が日本の韓国における支配権を認めるかわりに、日本は米国のフィリピンへの支配権を認める事を、英国とは同年8月に第2次日英同盟協約で、日本は英国のインド支配の安全を助ける義務を負うかわりに、英国は日本が韓国を保護する事を認める事を確認した。日本は日露戦争をきっかけに、米英の「極東の憲兵」になる事により、韓国の植民地化を実行した。同年11月には伊藤博文が韓国皇帝高宗に「この保護条約の原案は我が方で練りにねったものであるから……御承認のない時は現在よりもっと悪い状態になるであろう」と脅し、ソウル市内には日本軍が駐留し、駐留軍司令官を伴って閣議に出席し、大臣一人一人に締結の賛否を聞くという状況の下で第2次日韓協約(保護条約)を結ばせ(総理大臣大蔵大臣は「絶対に否なり」とこたえ、外務大臣は黙秘したが承諾とされ、ほかの4大臣はしぶしぶ同意した)、韓国の対外関係は日本の外務省が処理(外交権の接収)、ソウルに統監府を設置し初代統監には伊藤博文が就いた。

 保護条約締結後、反対した総理大臣は職を追われ、抗議自殺をする廷臣も出た。

1907年、韓国皇帝高宗は、オランダ・ハーグで開催されていた第2回万国平和会議秘密使節を送り、日本の非道を訴えたが失敗。伊藤は保護条約違反として高宗を退位させ、純宗をたて、第3次日韓協約を結ばせ、内政権を接収韓国軍隊を解散した。09年7月には日本政府は韓国を廃滅する方針を閣議決定。10年8月、日本の全憲兵・警察の厳戒の中で、第3代統監寺内正毅と韓国総理李完用との間で韓国併合条約締結。韓国を朝鮮と改称。朝鮮総督府を置き、寺内正毅が初代総督。総督は天皇に直属し、朝鮮での軍隊をも統率し、立法・司法・行政の一切の権力を握った。この権力で日本政府は朝鮮人民を支配し、すべての権利を奪い、植民地とし、その後のアジア大陸侵略の拠点とした。条約の前文には「相互の幸福を増進し、東洋の平和を永久に確保せん事を欲し……」とあり、第1条には、「韓国皇帝は……譲与す」。第2条には「……譲与を受諾す」とあり、韓国皇帝からの要望であるような表現であるが、これは日本政府の強要である事を隠蔽するものである。併合について日本国内では8月29日、官報で国民に発表。諸新聞は一斉に併合を祝した。東京市内は軒並みに日の丸が掲げられ、祝杯をあげた人々が記念の花電車に喜々として乗り込む姿があちこちで見られた。

21カ条の要求

 第1次世界大戦の勃発は大日本帝国政府にとって「大正新時代の天佑」といわれた。元老井上馨は、大隈重信首相に手紙で「今回欧州の大戦争は、日本の国運を発展させる大正の新時代の天佑なので、日本国は直ちに挙国一致の団結によって、この天の助けを利用しなければならない」と伝えた。1914年8月7日、英国は日本に対して、東シナ海で英国商船を攻撃するドイツ武装商船の捜索撃破を要請。大日本帝国政府閣議を開き、加藤高明外相が「日本は日英同盟の義務によって参戦せねばならぬ立場にはない(東亜及びインドにおける領土権又は特殊権益が直接侵害されない限り、日本は参戦の義務を負うものではなかった)。ただ一つは英国からの依頼に基づく同盟の情誼と、一つは大日本帝国がこの機会にドイツの根拠地を東洋から一掃して、国際上に一段と地位を高める利益と、この二点から参戦するのが良策」と説明し全面参戦決定。欧米列強の隙を衝いて、中国を大日本帝国政府の独占的な支配下に置く事が目的。英国は依頼を取り消したが大日本帝国政府は受け入れず、23日ドイツに宣戦布告

 中国は「中立宣言」をしていた。開戦と同時に神聖天皇主権大日本帝国政府は、満蒙問題の一挙解決と、中国本土における利権獲得の準備に着手。同年1月18日、21カ条の要求袁世凱大総統に突き付けた。第1号要求では「偏に極東における全局の平和を維持し且両国の間に存する友好善隣の関係を益々強固にする事を希望し」とある。大日本帝国政府は外国の干渉を恐れて秘密保持一括交渉を要求したが公然化。大日本帝国政府の軍事力での威圧に対して袁世凱主権侵害の条項(第5号要求は交渉に応じられないと抵抗したため、大日本帝国政府は5月7日、第5号要求を保留としてその他の受諾を要求する最後通牒を突き付けた(回答期限9日午後6時)。大日本帝国政府は海軍艦隊を増派してアモイ、ウースン、タークーに終結させ、山東半島や南満州には陸軍部隊を増派して回答を待った。5月9日、袁政府はやむなく受諾、同月25日、諸条約・交換公文に調印。中国人民は5月7日と9日を「国恥記念日」とし抗議運動を展開。

 ※第5号要求

「中国政府の政府・財政・軍事顧問として日本人を置く事、……中国警察を日華合弁にするか、日本人顧問をおく事、中国軍隊の一定量の兵器を日本から輸入するか、日華合弁兵器廠からの供給を仰ぐ事、など中国全体にわたる諸要求……」

 話を戻そう。そのほかにも台湾出兵(侵略)日清戦争による台湾の割譲江華島事件に始まる朝鮮への侵略など多くの東アジア諸国に対する侵略行為が行われた事についての言及がないというのは、その事については大日本帝国政府は「正当な事」と解釈しているという事なのであろうか。「談話」は安倍首相の歴史認識を示しているという事であろう。つまり安倍氏は歴史修正主義という考えの持ち主で、狙いはこれまでの歴史的事実を自分に都合良く解釈しなおしてつなぎ合わせ、日本国民の歴史認識を又歴史教科書を作り変えてしまおうとしているという事なのだろう。安倍氏のお友達の「つくる会」系の育鵬社出版の教科書が今年大阪市でも採択されたが、さらに全国的に普及させるために採択増加運動をしているようだ。この採択ルールには非常に不信感を抱いているがここでは触れない。

 「歴史から学ぶ」という事は、誰が(誰と)いつどこで誰と(誰に対して、誰から)何をどのようにした(された)のかという点について真実を知り、そこから知り得た事実を、現在を生きより良い未来を築くための「教訓」「知恵」として生かす事なのである。

 安倍首相のいう「歴史から学ぶ」の意味がこの談話の内容かと思うとやはり、首相の地位に立つ資格はないと言わざるを得ない。また、国民に向かって物申す資格もないと言わざるを得ない。早く退陣してもらいたい。国民や世界の人々は、戦争によって人生を家族を生活を社会を歪められ壊され苦難を強いられてきた、「もっと解決救済が急がれる切実で具体的な事実」に対し、政権の認識を明確に表明する事を望んでいた。発表に至るまでに国民はもちろん世界の人々の気持ちを振り回してきたのだから。

 満州事変は1931年9月18日、奉天(瀋陽)郊外の柳条湖付近で、関東軍板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐らが立案・実行)が満鉄の線路を爆破し、中国軍の仕業であるとして軍事行動を起こした事に始まる。(1932年1月8日、昭和天皇は関東軍の軍事行動を讃える勅語を発表)。第2次若槻内閣不拡大方針を声明したが、関東軍は戦線を拡大。次の犬養内閣は、中国との直接交渉を目指し、軍部の独走や欧米との摩擦を最小限に抑えようとしたが、32年3月1日には軍部は「満州国」建国を宣言。承認を渋っていた犬養首相は海軍将校右翼グループによるテロにより32年5月15日射殺された(5・15事件)。その時のメディアはすべて関東軍の行動を称賛した。そして、犬養射殺から1ヶ月後、衆議院満場一致満州国承認を可決した。32年2月、中国の訴えを受けていた国際連盟の「リットン調査団」が来日したが、報告書が出る前の32年9月には「日満議定書」を交わし、大日本帝国政府は満州国を承認。33年5月31日には関東軍代表と中国国民政府軍代表とが「塘沽停戦協定」を締結し、中国に満州侵略の既成事実を認めさせ、満州国を中国本土から事実上分離、34年3月1日には清国最後の皇帝であった溥儀皇帝とする満州帝国を成立させた。

 ※関東州の租借権、南満州鉄道(長春~旅順)とそれに付属する権利は、日露戦後のポーツマス条約で、清国(中国)政府の承認が必要とされていたが、日本政府は清国の抵抗を押し切り「満州に関する日清条約」(北京条約)を締結し強奪した。

 ※昭和天皇の関東軍の軍事行動を讃える勅語

「先に満州において事変の勃発するや自衛の必要上関東軍の将兵は果断神速寡よく衆を制し速やかにこれを芟討、爾来艱苦をしのぎ祁寒に堪え各地に蜂起せる匪賊を掃蕩しよく警備の任をまっとうし或は嫩江チチハル地方に或は遼西錦州地方に氷雪を衝き勇戦力闘以てその禍根を抜きて皇軍の威武を中外に宣揚せり深くその忠烈を嘉す、汝将兵ますます堅忍自重以て東洋平和の基礎を確立しが信倚に応えん事を期せよ」(関東軍よ、よくやった、即刻の判断に基づいてためらう事もなく敵をやっつけて、わが皇軍の強さを世界中に見せつけたのも喜ばしい事だ)

 ※メディアの関東軍に対する称賛 『東京日日新聞1931年10月27日』

「満州・蒙古(モンゴル)における日本の特殊権益は“日本民族の血と汗の結晶”」と擁護・宣伝し、戦争熱を煽り、軍事行動を支持した。」

 ※リットン報告書(1932年10月1日に日中両国に通達された。)

「日本軍の武力行使は自衛のためでなく侵略行為であり、不戦条約に違反し、中国の主権を侵している。満州国が住民の自発的な運動によるものとは認められない。日本軍が賊と称している者も、大部分が祖国防衛のための行動である」と認定。「単なる現状回復ではなく日中間に新しい条約を締結させ、満州における日本の本来の権益を確保させる事や、満州には中国の主権の範囲内で広範な自治を認める自治政府をつくり、その政府に日本人を含む外国人顧問を任命する方向で解決を図るべきだ」と報告。

 ※日本の国際連盟脱退

「連盟は1932年11月21日から報告書の審議に入り解決策の試案を作成したが、その審議中に関東軍は満州国の領土をさらに拡大するために熱河省に侵略した。33年2月の臨時総会で、日本の満州国承認の撤回や日本軍の満鉄付属地内への撤兵などの勧告案を42対1の賛成多数で採択した(反対は日本、タイは棄権)。日本全権松岡洋祐はこれを拒否し、会場から退場。1933年3月27日に連盟脱退を通告(1935年5月発効)。同日、天皇は脱退に関する詔書を発布した。36年のワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約失効で、日本の国際的孤立は決定的となった。」

 安倍首相談話の中段の部分では、その主語が「我が国は」、「私たちは」となっているが、先にも述べたが、首相談話としてはおかしいし、間違っている。彼は無理矢理に国民を自分と同じ立場に抱き込むために故意に使用していると考えられるが、不愉快である。我々は、国民と安倍政権とは別の物である事を明確にしておかなければならない。侵略戦争は神聖天皇主権大日本帝国政府が加害者として行った事であり、国民は被害者でありながら加害者にされてしまったのである。政府(政権)と国民の責任の程度と内容は異なる。彼の論法は敗戦処理内閣である東久邇宮内閣の「一億総ざんげ」論法をとっている。国民はその論法を認める事はできない。

 米国、豪州、欧州諸国に対し、「支援」と「善意」と「寛容」という言葉を何度も使用しているが、これは、意図的に「へりくだり」、上記の国々人々を持ち上げていい気分にさせる話法であるが、狙いは、言いたい事も言いにくくさせる効果を狙ったものであり、国内外の批判を封じ、彼と同じ立場へ抱き込む論法である。これは偽善者、詐欺師常套手段である。そして、その国々へのお返しとして、「積極的平和主義」なる考えで行動することなのだと自己の政策をアピールしているのである。しかし、中国・韓国に対しては暗に批判し孤立させて、日本に歩み寄らせようとするとともに、安倍政権に批判的な日本国民の政権批判を弱めさせる効果を狙っているのである。捕虜問題の和解と植民地支配の和解とはまったく異なったものであるにもかかわらず同じように扱おうとしており、加害者としてとるべき誠意ある対応を放擲している。

しかし、自由も平等も人権も民主主義も保障していないうえに、何もできていない(原爆被害補償、空襲被害補償、従軍慰安婦問題、核兵器廃絶など)のに、また、まったく矛盾した事をしている(国旗国歌の強制、靖国神社への参拝、米国の核の傘の抑止力、原発再稼働、安保法制改訂、集団的自衛権行使、教育基本法改訂、教科書検定基準改訂、憲法改訂など)のに、耳触りのよい言葉でアピールするのは、狡猾な偽善者、欺瞞的で非情な人間の手法である。それも国民を自分勝手に仲間に抱き込んだ表現で。

 自分自身の「お詫び」「侵略」「反省」の言葉がないのは、冒頭の植民地支配についての認識にうかがえる「他の国もやっていたのに日本だけが悪いのか」という歴史修正主義の認識であるから、必要ないと考え意図的に使用しないのだと思う。戦後生まれの者は謝罪をする必要がないと若者にアピールしているけれど、若者に謝罪の意識を持たれると軍事行動である「集団的自衛権」は行使できないからである。しかし、戦後を生きる日本人は多かれ少なかれ、戦中に得た富の分配を受け継承にあずかっているのです。又、損害賠償も放棄してもらった。逆にアジアの国々は日本の侵略戦争によって多くの富を失い順調に発展できなかった。家庭も破壊され家族も失い、個々人の人生も将来も狂わされたのである。

 国内の戦後補償軍人軍属(戦犯も含む)には手厚い(ご褒美の意味である)が、それ以外の国民には受忍論を押し付けている。戦争に反対した平和を主張した人々、その事によって命を奪われた人々にはまったく目もくれません。名誉回復も行われていません。この事は安倍政権のアジア太平洋戦争に対する認識を示している。戦争を侵略と認めず正当化(聖戦、自衛戦)しているという事である。また、政府として国民には補償はもちろん謝罪さえしていない。天皇に対する国民の当然の奉公であるとみなしているから。

沖縄米軍(米国)の支配下に譲り渡した事、現在も辺野古新基地建設問題については、どこで歴史認識を明らかにするのか。

 最後に、談話には日本国憲法という言葉がまったく出てこない。これも安倍政権が成立をめざす「自民党憲法改正草案」とはまったく別物ですから、当然です。出す気はさらさらなかったという事です。

安倍政権は政権を担当する資格はない。世界をリードする資格もない。

(2015年8月15日投稿)

 

 

 

 

 

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杉田水脈「生産性がない」主張:安倍首相の「私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていない。生産性がないと言うと、大変つらい思いに」は杉田発言を否定しておらず幇助している

2025-03-10 09:57:18 | 安倍政治

 杉田水脈衆院議員(自民党)が、同性カップルについて「生産性がない」「税金を投入してよいのか」と月刊誌『新潮45』2018年8月号で多様な生き方を認めない主張をし問題となっている事について、TBS番組で安倍首相は「私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていない。生産性がないと言うと、大変つらい思いに私も妻もなる同じ自民党。『もう辞めろ』ではなく、まだ若いから、注意をしながら仕事をしてもらいたい」と述べた。

 この安倍首相の発言について、メディアは何の反応も示さないところを見ると、これによって自民党総裁兼首相への追及を終えたとしているようである。しかし、メディアはその使命を果たしたとはいえない。この発言は一言でいえば、杉田発言を「否定」するものではなく、「肯定」「同意」した上での発言であると理解すべきである。なぜなら、「子宝」について「残念ながら恵まれていない」という言葉は、「子宝」をもうける事が「あるべき理想の価値観」である事を前提としていると見なしてよく、「子宝」に恵まれない事を否定的に認識し、それを「負い目」と感じる事を正常とみなし、「大変つらい思いになる」と発言しているように、「大変つらい」事だと思わなければならない、とする価値観に基づく言葉であると解釈できるからである。そしてその価値観は必然的に同性カップルを、「子宝」を欲しない価値観をもつものとみなし否定すべきものとするからである。

 また、二階幹事長の「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」という、杉田氏の主張は「問題ではない」とする意の発言への批判を経て自民党見解が出されたが、安倍首相の上記の発言「注意をしながら仕事をしてもらいたい」は、自民党作成「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」の内容やその事の正しい理解の増進を目的とした法律を制定すると公約している動きとは異なる姿勢を示すものであり、「主張」を述べる際に「感情を傷つけたり不快に思われない」ような「表現」をするように注意を促したものと理解するのが妥当であろう。

 杉田氏は、異性のカップルを「あるべき正常な姿」とみなし、そして、子孫を生み増やすものであるという前提に立っており、それとは異なる同性カップルを「異常な姿」で子孫を生み増やさないものとして「あるべき姿」ではないとみなしている。さらに、それを彼女の個人的な価値観としてもっているという形で留めておくのではなく、論文として雑誌に公表し公衆に訴えかけたという事は、同性カップルを認めず、意図的に公けに非難し、同性カップルを侮辱しその賛同者を増やし居場所をなくそうとする事を目的としていると見なされても当然であろう。これは人権侵害に関わる主張なのである。杉田氏はそういう理解ができないようである。そしてこの価値観はさらに極端になれば優性保護思想に基づく「人間の選別」に行き着く事を読み取るべきである。かつてのナチスの行為の基礎となった優性保護思想の現代版である。ナチスの手法をテキストとした、ハンセン病患者やその他の障害者(精神・身体)に対する神聖天皇主権大日本帝国政府や戦後自民党政府のもつ優性保護思想に基づく国民への対処の姿ながる価値観なのである。

 どのような価値観を持とうが自由である事は憲法第19条「信教の自由」や第13条「個人の尊重や幸福追求権」で認められているが、それは個人的なレベルにおいてであり、公の場で一方的に他者の価値観を「非難」する事を認めているものではない。第21条で「表現の自由」が認められているではないかと言う人がいるかもしれないが、それも無制限一方的に認めているわけではないのである。それは憲法の別の条項で保障している権利を侵害しない限りにおいてである他者に対して上記の内容の権利を否定したり無視したりする事があってはならないからである。つまり、多様な生き方やカップルのあり方を尊重する事を定めていると考えるべきであるそれは第11条「基本的人権の享有」であり、第13条「個人の尊重、公共の福祉」であり、第14条「法の下の平等」である。     

 2018年10月24日、杉田衆院議員は月刊誌の主張について、「当事者の方々を差別する意図は一切ないし、人権を否定するような事も一切ない」との述べ、「不適切な記述であった」と認めながらも、撤回をしない意志を発表した。「当事者の方々を差別する意図は一切ないし、人権を否定するような事も一切ない」「不適切な記述であった」これは自民党議員の差別発言の常連や発言後に気づいた者がよく使う(常套)自己を正当化する「言い訳」の言葉である。差別発言や人権侵害を意図して行う人間はあまりいない。しかし、それが差別発言であったり人権を侵害したりしている事があるものなのである。無意識に使う言葉や行為にその人の価値観が表れるのである。もし、意図して行うものはそれは確信犯である。この点でわざわざメディアを使った杉田氏の「生産性ない」主張はこの確信犯以外の何物でもないといえる。それを今になって「そのつもりは一切なかった」というのは、大人として国会議員として通用しない。そして、杉田氏の取材発言は支離滅裂で矛盾し思考の浅薄さを暴露しているだけでなく、謝罪の言葉は一切ないしその意思が無い事がうかがわれる独善傲慢そのものが露わに見える。安倍自公政権や自民党議員の体質がまた露見したのである。

 杉田衆院議員の公的主張は、主権者国民侮辱行為に相当するものであるとともに、主権者国民全体の基本的人権を侵害する憲法違反の行為であるというべきである。「当事者の方々」という取材発言は、同性カップル当事者だけに目を向けた発言でしかない。それは杉田氏の近視眼的で物事を正確に理解できない「ものの見方」そのものを表しているのであり、杉田氏の主張や取材発言は当事者だけが不快に思ったりする問題ではなく、憲法を尊重して生きている主権者国民全体に対して非難攻撃する発言であるとみなすべきであり、安倍首相の発言はそれを幇助したというべきである。

 主権者国民は、杉田氏の月刊誌の主張はもちろんの事、安倍首相の発言や杉田氏の取材発言を黙過してはいけない。世界の人々から安倍自公政権はもちろん日本国民も人権尊重に対する意識レベルを疑われている問題である。メディアもその使命と責任を改めて自覚すべきである。「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングにおいて、今年日本のメディアは67位である。この順位は、自主規制をしている内容(天皇制、憲法、大学・学校教育、在日朝鮮人、原発、自衛隊、沖縄米軍基地などなどに関わる問題)を含めばさらに低下する。メディアは、日本が民主主義国であるかのような幻想を振りまいてはいけないし、安倍自公政権の体質が、神聖天皇主権大日本帝国政府の政治を讃美し、現行憲法に基く人権尊重を理想とする政権ではない事を、隠されているもっと多くの事実に基づいて明らかにすべきである。

(2018年10月27日投稿)

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N国はやっぱりただの無法者集団、異文化理解に欠け国民生活に混乱を振りまくだけ、政界から退場させよう

2025-02-07 23:59:50 | 安倍政治

 NHKから国民を守る党(N国)の立花孝志党首は、参院選で初めて知った時から、憲法を尊重する国民としては、彼の発言や態度などから、彼の価値観や思想が非常に気になっていた。彼は人権感覚に欠けているようにみえ、そのため異文化への理解やその尊重、異文化との共生に価値を認めていないようにみえていた。

 その推測が当たっていた事が比較的速いスピードで立証されてきた。それは先ず、北方領土問題に関して憲法違反である「戦争煽動発言」をした丸山穂高衆院議員の入党をこだわりなく認めた事である。

 そして、極めつけが、立花氏が動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開した9月19日の動画での発言である。それは、

「世界平和をするためには、人口コントロールだと思っている。馬鹿な国ほど子どもを産むから。馬鹿な民族というかね」であるとか、「(人口対策としては)アホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう」と。また、「ある程度賢い人だけ生かしといて、後は虐殺して」とも発言したのである。

 これらの発言は、彼がいかに憲法理念を無視した公務員にあるまじき「無法者」であるかを明らかにするものである。主権者国民は、憲法理念を無視したり否定している皇室、閣僚、議員、公務員には直ちに国会から退場してもらうべきである。

 立花氏や丸山氏のような発言は、戦後国会史上、初めてである。主権者国民がこのような発言を黙認し問題視しなければ、自ら主権者としての立場の維持を危うくし、主権者の立場喪失に導くだろう。

 主権者としての立場は、主権を侵害する敵から、主権を守るために闘う事によってこそ保障されるのである。権利は闘いによってのみ獲得維持できる。

(2019年9月29日投稿)

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原敬首相の実像、政治目的は政友会の党勢拡大と盤石化、民衆の国家への統合とそのための教化にあった。

2024-06-24 07:28:27 | 安倍政治

 原敬首相は、立憲政友会の党勢を拡大する事とその党勢を盤石なものとする事を目的とし、1919年5月23日に改正衆議院議員選挙法を成立させた。その内容は大きく2つあった。その一つが小選挙区制の採用であった。彼の掲げた理由は、①選挙民と候補者との関係を密接にし得る事、②同士打ちを回避できる事、③政党の地盤を強め得る事、④選挙費用を節約できる事、⑤選挙干渉の効き目を減少せしめる事、などであった。しかし、その真の狙いはもちろん立憲政友会の地盤強化にあった。

 もう一つは有権者の納税資格要件を10円から3円以上に引き下げた事であった。この狙いはどこにあったか。原敬は「普通選挙」を直ちに実施する事には反対であった。帝国政府や社会に脅威を与えているのは、民衆の成長であり、普選法の背後には階級制度を打破しようとする「不穏なる思想」が潜んでいるとみていた。そこで納税資格要件を引き下げたのであるが、その事により有権者数を倍増させるのであるが、そのほとんどは地方農民の小地主や上層自作農民であり、彼らが有権者となる事が政友会に有利な状況を生むと計算したのである。原敬による有権者の納税資格要件の引き下げと小選挙区制の成立は帝国政府の利益を計算した民衆対策であったのである。民衆による民主主義的な運動の高まりに理解を示すように見せながら、実は民衆運動を押さえつける事を狙っていたのである。原敬は民主主義的な民衆運動に対し挑戦をしたのであった。

 原敬の民衆対策からもその事は明らかであった。彼の「民衆像」は「保守と進歩」の調和による「鉄の如き国民性」(『原敬全集』下)であった。それは民衆の帝国政府・社会に対する義務を強調し、民衆を帝国政府に統合していくものであった。民衆の協調性をうたい、帝国政府への忠誠観念、自治公共心を養成する考え方は、民衆の政治的成長を防止し、逆に民衆を操作していく上での根本としていた。「健全な国家」を築き上げるために民衆に「危激の思想」にかぶれないよう「自重自制の精神」をいかに修得させるかを大きな課題としていた。

 原敬の民衆教化対策としては1919年3月以降内務省を通じて推進していた民力涵養運動があった。この狙いは民衆に「犠牲奉公の精神」を発揮させ「国体の精華」を発揮させる事、勤倹主義をもって生活の改善をはからせ、「協同調和の実」を上げさせる事にあった。この運動は県・郡・市町村の行政を通じて社会の底辺におろされた。担い手は地方の共同体に拠点を持つ青年団、婦女会、産業組合などで、府県郡市町村が指導したのであった。

 そして、この運動は大日本帝国政府を安定させるために、民主主義的な社会運動に対する政府の抑圧弾圧政策の露払いの役割を果たしたのであった。それが山川均・堺利彦らが1920年に12月に結成した日本社会主義同盟の禁止(21年)であった。また、朝鮮における1919年の三・一独立運動に対する弾圧であった。

(2018年10月27日投稿)

 

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カンボジア国会開会式典に日本公使出席:普遍的理念なく経済的利益のみを目指す安倍自公政権の狡猾さの表れ

2024-02-28 01:01:08 | 安倍政治

 2018年7月の総選挙後、初の国会が開かれたカンボジアでの開会式典に、各国・地域の駐カンボジア大使が招かれた。招いたのはフン・セン首相であるが、欧州連合(EU)や、米国、豪州などの大使は、最大野党・救国党を参加させないために解散させたうえで実施を強行した総選挙は「公正ではない」として欠席した。当然の対応であろう。しかしである。在カンボジア日本大使館(安倍自公政権)は大使を出席させなかったが、代わりに公使を出席させた。この対応は、公平公正などの普遍的理念や価値観を尊重する立場に基づくものではなく、経済的利益だけを計算したものである。また、このような対応は敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府の中国や東南アジアへの侵略政策における常套手口であったが、安倍自公政権はそれをテキストとしているのである。安倍政権は国民主権の現憲法下においても主権者を無視して行っているのである。それは主権者国民に対する説明を誠実に行わないところをみても明白である。在カンボジア日本大使館は大使が欠席し代理に公使が出席した経緯に対して「諸般の事情を踏まえた」という意味不明な言葉を発するだけで済ませており、主権者国民に対する説明責任を果たさなければならないという意識がまったくない事からも明白である。安倍自公政権はあらゆる事について、手に入れた権力を私物化し、彼らの好き勝手したい放題をしているのである。そして、後は野となれ山となれ(自分たちが政権の座にある現在さえ良ければこれから先はどうなっても構わないという意)であり、国民には責任を負うつもりはないのである。この思考様式は前世紀のものであり、「力こそ正義」「数こそ正義」という思考様式を受け継ぐものであり、安倍自公政権がそうであるがゆえに「維新150年」を記念しようとするのである。

(2018年9月9日投稿)

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