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足立康史(日本維新の会)、そのファッショ体質

2025-04-10 12:29:38 | 足立康史

 ※2017年8月2日に投稿したものを再投稿しました。

 憲法改正の際の国民投票について、衆院憲法審査会の議員団が、2017年7月11日から10日間の日程でヨーロッパ3カ国を視察し、識者から意見を聞いたという。

 その視察中、やはり「日本維新の会」、やはり「足立康史」と言ってよい事をやっている。つまり、彼らの単純で独善的でファッショ的体質を隠す事無く、またまた自ら暴露したという事である。

 それは、フェイスブックに「憲法改正発議に民進党の強硬な態度も障害ですが、公明党の態度も事態を複雑にしている要因だと改めて認識した」と書き込んだという事である。

民進党はすでに自民党安倍政権と結託している小池・希望の党の破壊工作により解体させられた。

 その理由は、公明党の北側一雄が17日に、イタリアのレンツィ政権を支えた現役官僚と会談した際、「改憲の国民投票を政権への信任投票にしてはならない。そのためにも政権与党の枠組みとは別に、合意形成していく事が非常に大事だと認識している」と、憲法改正発議に野党の賛成を取り付ける事の重要性を強調した事にある。

 日本維新の会や足立康史の発言や行動から見た体質(思想、価値観、自民党の別動隊、補完勢力など)については国民はすでに充分よく理解しているところであるが、安倍自公政権により、憲法改正発議という事態になれば、もちろんそうさせない事がそれ以前に大切であるが、そういう事態に陥った場合、日本維新の会の動きは「共謀罪法」の時の強行採決の流れと同様の事を企てる事は十分に予想しておくべきである。

(2017年11月15日投稿)

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足立康史(おおさか維新)は謝罪の仕方さえ知らない国会議員なのか?

2025-04-10 12:23:37 | 足立康史

 足立康史氏(おおさか維新の会)は2016年4月21日の衆院総務委員会で、民進党に対し「あほ」「ふざけるなよ、お前ら」など罵詈雑言を発した。足立氏の罵詈雑言は今国会で3回目。民進党から懲罰動議が出ている。

25日夜のテレビ・ニュースでは、「おおさか維新の会」の馬場氏ら2名が民進党の元へ「謝罪」に訪れていた。

その画面を見ながら感じた事は、足立氏はなぜ謝罪に来なかったのか、という事であった。

なぜ、馬場氏らは足立氏とともに来なかったのか。馬場氏らの考えでそうしたのだろうか。それならそれはなぜかを伝えるべきであるし、そう馬場氏の考えでなければ足立氏はなぜ進んで来ようとしなかったのかを知りたい。足立氏は謝罪の意思が無いのかも知れないから。

本来誠意ある謝罪というものは、本人が謝罪しようとする相手の元へ自ら足を運び顔を見せて自分の反省の気持ちを示す事で成り立つものだ。謝罪される方は、謝罪しようとする者の態度を目の前にして、謝罪しようとする人間の反省の気持ちがどれほどかを計り、許す気持ちになったり、許せない気持ちをより強くしたりするものだと思う。また、自ら足を運んだとしても円満解決するとは限らないものである。

足立氏のように自ら足を運ばず顔を見せなければ、謝罪には値しないと相手が思うのは社会の常識である。足立氏は親からどんな教育を受けて育ったのか。また、今日まで人とどのように接しその中から何を学んできたのだろうかと思う。それも、現在、国会議員である。このような国会議員は今まで見たことがない。

あまりにも自己中心的で、自分こそ正しいとする傲慢な性格の人間であると思う。このような性格の人間は足立氏に限らず、物事を公正公平に判断できる能力を持ち合わせていないと思う。足立氏がもし私が述べたような人間であれば、足立氏は国会議員の資格はないのではないかと思う。辞職してもらえるとありがたいが、そうはしないと思うので、次期選挙で落選させるべきだろう。

(2017年11月15日投稿)

 

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足立康史は第99条「憲法尊重擁護義務」否定の確信犯、国会議員の資格有せず辞職勧告すべきだ

2025-04-10 12:16:12 | 足立康史

 足立康史氏は、2018年2月5日の衆院予算委員会で、またまた誹謗中傷の暴言を吐いた。内容は、「加計学園問題の本丸は石破茂・元地方創生相。なぜ野党は追及しない。石破氏は野党とグルかもしれない」や、立憲民主党の辻元国会対策委員長についても「国交副大臣の時に(自治体に)補助金を配って(国有地購入費を実質)ゼロ円にした」などである。

 わたしはすでに、2017年11月27日のブログ「足立康史「犯罪者」発言:自民・希望も「謝罪で決着」認識を主権者国民は糾弾しよう」において、足立氏は誹謗中傷発言の「確信犯」であり、国会議員に課せられた憲法第99条「憲法尊重擁護義務」を認めない価値観の持ち主であり、暴言の内容自体ももちろん肯定されるものでない事は明らかであるが、それ以前の問題として、彼が国会議員となるべきものが有すべき資格を有していない事は明らかである事と、このような「暴言」を繰り返す再犯の可能性が高い人物であると判断し議員辞職勧告まですべき旨を提言した。

 しかし、自民・希望が「謝罪」で決着させたため、足立氏は運よく議員生命を断たれなかったのであるが、やはり「確信犯」だけに、前回は本心ではない「謝罪」のフリをしただけであり、予想通りまたまた今回の暴言発生である。所属する「日本維新の会」自体にも自浄能力はないのであるから、主権者国民は足立康史に今度こそ辞職を要求し退場させるべきである。そして、日本維新の会をその補完勢力としている安倍自公政権の退場も実現させよう。

 闘いは、あきらめの気持ちを感じた時に負けが決まるのである。

※2017年11月27日ブログ「足立康史『犯罪者』発言:自民・希望の『謝罪で決着』認識を主権者国民は糾弾しよう」など足立康史に関して別稿もありますので読んでください。

(2018年2月8日投稿)

 

 

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足立康史「犯罪者」発言:自民・希望の「謝罪で決着」認識を主権者国民は糾弾しよう

2025-04-10 12:08:09 | 足立康史

 足立康史衆院議員(比例近畿ブロック、日本維新の会)は、2017年11月15日の衆院文部科学委員会で、学校法人「加計学園」獣医学部新設問題についての審議で質問した際、自民党の石破元幹事長、希望の党の玉木代表、立憲民主党の福山幹事長の名前を挙げ、証拠や根拠を示さず、「犯罪者だと思っている」と発言した。

 16日には、当然の事であると思うが、3党の国会対策委員長は事の重大性に鑑み、それぞれ維新の遠藤国対委員長に抗議した。それを受けて、維新の片山共同代表は早々と足立議員に対し「表現には気をつけてもらいたい」と厳重注意した。それに対し足立議員は、誰が聞いても明らかに確信的発言としか思えないにもかかわらず、白々しく「自分では限定したつもりはない」と言い逃れをしたうえで、「陳謝し、撤回したい」と述べたという。また、片山氏は記者団に議事録からの削除は「やむを得ない」と述べたという。

 名前を挙げられた人たちやその議員の所属政党、当該委員会の委員長と委員たちはどのように対処するのか強い関心をもって様子をうかがっていたが、同月17日、足立議員は維新の遠藤国会対策委員長と国会内の3党の控室を訪れ、各党の国会対策委員長に「つたない表現だった。当事者や国民に不快な思いをさせた。深く反省し、撤回し、謝罪を申し上げたい」と述べたという。

 しかし、片山氏に対して「自分では限定したつもりではない」と、グダグダと言い逃れをしているところからみて、また、これまで何度も問題発言をしてきている(懲罰は科されていない)事からも、発言の重大性を真に認識しているとは到底思えないし、謝罪も形式的に行っているだけとしか思えない。このままでは再犯の可能性が高い。

 にもかかわらず興味深いのは、今回の発言に対する各党の対処である。発言直後においては、「懲罰動議」を含む厳しい対処を思わせていたが、結果的に、立憲だけが「懲罰動議」を衆院に提出し、自民・希望は足立議員の謝罪を受け入れ、同調しなかった事である。自民・希望には厳しく対処できない後ろめたさが存在するのであろうか。そのように思われても仕方がないであろう。

 また、もしそうでないとしても、自民・希望は国民に対して支持者に対して、「これくらい大した問題ではない」と表明した事になっているが、それでよいという事であろうか。たぶん、自民・希望は足立発言が国民にとって重要な大問題であるがために、それを故意に矮小化して国民に受け取らせようとしていると考えるべきである。

 足立議員の話法(論法)は、神聖天皇主権大日本帝国議会においてよく行われたものと同種同レベルのものであり、戦前の権力者側の常套話法(論法)である中傷による「印象操作」であり、戦後の人権を重んじる民主主義の下では時代錯誤の話法であり、決して許してはならないものである。

 足立議員の発言、話法(論法)は、憲法尊重擁護の義務を負う国会議員としては失格である。

 足立議員の発言を謝罪で決着させる国会議員や政党の意識、メディアの意識は、これまでの曲がりなりにもなんとか守られてきた日本国の常識もついに変質させられ崩壊させられる動きが露わになったという事である。

 今回の足立発言を謝罪で決着すれば、今後は国会議員が何を言っても、国民が主権者として、問題として指摘し糾弾する事は不可能となるであろう。

(2017年11月27日投稿)

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