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神武初代天皇没後2600年?で天皇皇后が山陵に参拝?歴史を捏造するな、天皇教復活の地ならしか?

2019-11-27 08:13:46 | 皇室

 天皇皇后が4月3日、奈良県の橿原市にある「畝傍山東北陵」を訪れた。そこは、明治政府(伊藤博文)によって、皇室では「初代天皇」と位置づける「神武天皇」(歴史学では存在は否定されている)の墓所とされたところである。そして、今回の訪問は、神武天皇の没後2600年(戦後の歴史学では縄文時代)にあたるとして、参拝したとの事。

 いわゆる「神武陵」は1863年5月に明治政府によって工事は着工され、12月に終えた。この時「神武田」にある「洞村」という集落を撤去し、住民を追い出した。明治天皇は、1877年2月11日、「紀元節」が制定されて4年目に、「神武天皇陵」に参拝した。「神門」の外の左右には「大真榊」を立て大阪鎮台から歩兵一大隊が儀仗として整列した。天皇は「有栖川宮熾仁親王」らの皇族を従えて拝礼、「お告文(祝詞)」を奏した。

 1874年5月、明治政府の太政官は各府県に対して「御陵墓調査上古墳の届出方」とする通達を出した。太政官は「上世以来御陵墓の所在未定の分」について取り調べ中で、開墾などの時、「口碑流伝の場所は勿論其の他古墳と相見え候地」は、発掘などせず、「絵図面」などを付けて教部省へ問い合わせるようにせよ、と命じた。1880年11月には沖縄県を除き「再届出方の通達」を発し、古墳と思われるような土地は、個人所有であっても、みだりに発掘してはならない、などとした。1874年7月10日、明治政府は初めて自らの手で「神代三陵」を治定した。「大日本帝国憲法」や「皇室典範」を公布した1889年夏には「十三陵」を決定し、この年、歴代天皇陵すべてを治定した。

 伊藤博文は、「十三陵」を決めた際に、「条約改正の議起こるに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代山陵の所在の未だ明らかならざるものあるが如きは、外交上信を列国に失う」事になるので、速やかにこれを検証し、治定し「国体の精華を中外に発揚」するようにしようとした(『明治紀第七』)、という。

 しかし、古代天皇陵について、当時同志社大学教授の森浩一氏は1986年6月8日の「毎日新聞」に述べている。「いまの指定のままでいいと言えるのは、天武天皇の野口王墓と天智天皇の御廟野古墳だけだ」と。

 メディアが、「神武天皇陵参拝」は天皇家の行事「宮中祭祀」(これは国家神道なる宗教行事)の一つであると書いている事についてであるが。「宮中祭祀」は現在においても基本的には1908年9月の「皇室令」第一号で制定された「皇室祭祀令」に基づいて行われているようだ。「宮中祭祀」には「大祭」と「小祭」の別があるが、これらの大半は、「明治維新後」に新たに作られたものである。「明治維新前」から行われていた祭典は、「大祭」では「神嘗祭」と「新嘗祭」及びその「鎮魂祭」のみであり、「小祭」では「歳旦」「祈念」「賢所御神楽」の三祭に過ぎないという。「紀元節」はもちろんの事「神武天皇祭」も存在しなかったという事である。「国家神道」の祭祀の基準として編成された「宮中祭祀」は、新たに作り出された国家宗教(国家神道、天皇教)の儀礼にふさわしく、新登場の祭祀が大半を占めたのである。

 4月3日(当初の3月11日を改めた)の「神武天皇祭」は敗戦まで国民の祝祭日(休日)としていた。「神武天皇祭」は、神武天皇の死去相当日に皇霊殿と陵所(墓所)において行う祭典であり、当日夜には特に神楽を奏奉して神霊を慰める「皇霊殿神楽」を実施していたのである。

 問題は、このような「神武天皇祭」を天皇皇后が「まことしやかな顔」をつくって参拝する事の意味である。科学的な研究の成果を認めない非科学的な大日本帝国憲法下の国家神道に基づく「宗教」行為を行ったという事なのである。そして、メディアがこの「参拝」について報道をしながらも(意図的に)ほとんど問題の重要性について「コメント」を発表しないという異様さ」を「主権者国民」は気づいているのかという点である。おそらくほとんど感じていないと思われる。主権者国民の「無知」につけ込んで、かつての「明治維新政府」が捏造整備した「現人神天皇制」と同じ思想に基づく、安倍自公政府の謀略と考えるべきなのである。

 今回の天皇の「神武天皇陵参拝」行為は「神武天皇」の「実在」を「捏造」しようとする「謀略」と捉えるべきなのである。子どもたちが学校教育で教科書で「神話」を学んでいるとすれば、子どもたちにとっては「神話」(作り話)ではなくなり、「真実」として受け止められていく効果を生むという事なのである。

 さらに、重要な事は、このような「私的であるとともに思想的に偏向し現憲法の定める政教分離原則を無視した無価値な行為」に主権者国民の納めた貴重な多くの「税金」が、「限られた為政者たち」によって「無駄遣い」されているという点なのである。

 最後に、1977年4月の参議院内閣委員会で社会党の秦豊氏が「陵墓」を「公費」で賄っているのなら、「発掘」させるべきだと意見を述べた事を紹介しておこう。「天皇陵は国民共通の文化財だが、宮内庁は陵墓としておさえ、学術調査の対象にはなり得ない、として拒んでいる。今後ともずっと拒否するのであれば、天皇陵の維持管理に関する予算は認めるわけにはいかない。内廷費に加えるべきだ国民の共通財産的な、歴史的価値あるものについて調査の対象にしてもらいたい、と言うと、それは拒否する、予算は国家のものを使います、天皇家の私的なものは守り抜きます。これでは憲法88条「皇室財産・皇室の費用」「すべて皇室財産は、国に属する。すべての皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」に誠実に対応しているとは、とても思えない

(2016年4月5日投稿)

 

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朝日新聞は大嘗祭(皇室神道儀式)実施が政教分離原則違反であり、公務員の憲法尊重順守義務や主権者国民の権利を侵害する事こそ啓発すべき

2019-11-15 15:20:39 | 大嘗祭

 朝日新聞は、2018年3月17日の「天皇の代替わり 7」の記事で、大嘗祭(新嘗祭)に使用する小道具について、どこの地方の新穀を使うのかは、19年5月の新天皇即位後に占いで決めるとか屏風は誰に依頼するのかとか装束はどうするのかとか。短期間で準備をする宮内庁職員が忙しくなると書いて筆を終えている。これだけではメディアは主権者国民の知る権利の最も重要な点に応えた内容とはいえない。

 この大嘗祭(新嘗祭)に関してメディアが主権者国民に伝えるべき事は、憲法が「主権者国民の人権を保障すべき義務を有する」と定める、「国家公務員や地方公務員」に対し、安倍自公政権が大嘗祭の実施それ自体が憲法の政教分離原則に違反する事であるにもかかわらずそれを認めないだけでなく、さらにその上に国事行為と位置づけて、「公務員」である自らと、「国家公務員や地方公務員」を「皇室神道宗教儀式」に従事参加させようとする価値観についてであろう。安倍自公政権は大嘗祭(新嘗祭)を皇室神道の宗教儀式であり憲法(政教分離原則)違反である事を認める気がなく、政府が「公務員が主権者国民に対する義務を遂行する事を認めない」事を押し付ける公務執行妨害をしているとみなすべきであり、その事により、主権者国民にとっては、憲法が主権者国民に保障する政教分離原則(基本的人権の尊重)が侵害否定される結果をもたらしているのであり、憲法が実質を伴わない言葉だけのものに変質させられているのである。

 この在り方は安倍自公政権が、大日本帝国憲法において、国民を臣民(天皇の家来)とし、信教の自由については「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」とした(思想信条の自由については認めていないので条文は存在しない)のと同じ価値観を現在の国民にも強要し定着(社会的儀礼や習俗的行事とみな)させようとしている事を意味しているのである。天皇家皇族も大嘗祭(新嘗祭)をやめようとする意思がないから、彼らも安倍自公政権と結託して平成の代替わりに引き続き実施しようとしているものと考えてよいのである。

 平成の代替わりの「大嘗祭」は知られているので別稿に譲り、ここでは2017年の「新嘗祭」の様子について、いかに政教分離原則が無視され、国民の基本的人権が否定されたかを紹介したい。

 宮中献穀のための新穀は天照大神に供えるものである。今回も実施するという大嘗祭にはどの地方の新穀を使うのかは、19年5月の新天皇即位後に占いで決めるというが、毎年の新嘗祭の新穀は毎年全国各地で栽培させており、そのために毎年5月には全国で田植えの祭(御田植祭)が実施されている。2017年の北海道では比布町が選ばれた。献穀者の選出は、賞典長(皇室使用人の長、人件費は内廷費)から都道府県知事に対し、「本年度の新嘗祭に献穀を希望する者がある場合(皇室からの要請とせず国民からの希望に応える形式をとっている)は、別紙のような方法で受納しますから、よろしくお取り計らい願います」との文書が送られ、市町村長を通じて地元農協に伝達され、決定された。田圃には「新嘗祭献穀圃場」「耕作者○○」と書かれた高札が立てられた。田植え当日は上記の関係機関(奉賛会を含む)から約50名の出席があり、神職の下で、田圃に注連縄を張りお祓いをしたうえで、田圃耕作者の町役場勤務の女性2名、JAぴっぷ町勤務の女性3名、など6名の早乙女により苗を植えた。

 9月にはこの献穀米を刈り取る神事「抜穂祭」を行うが、九州南島原市では、地元の小学生が動員され、刈女、田男とされた。参加者は、市長、市議会議員、各町内会、各市内団体、地元小学校、長崎県議会議員、長崎県知事などであった。「お田植え祭」「抜穂祭」のいずれも知事や市町村長、県市議会議員、小学校教員など公務員が関わっており、小学生など住民も動員されている。

 10月下旬には耕作者夫妻が皇居に行き宮中行事に出席し献穀した。夫妻は農具や儀式ごとの祭服を新調したり、「直会」の飲食代、交通費、新調の礼服など高額の出費となった。ちなみに、献穀者または同居の家族が忌にかかった場合は献穀を遠慮するよういわれた。

 以上のような準備を前提として、安倍自公政権と新天皇(天皇家皇族)が2019年には戦前からの国家神道の宗教儀式である「大嘗会」(2018年は新嘗祭)を国民の税金を使い実施しようとしているのである。「大嘗祭」とは一体どのような意味を持つ宗教儀式なのであろう。

 国民学校6年の修身教科書「大嘗祭の御儀」に書かれている内容を紹介しよう。

「大嘗祭は、わが国でいちばん大切な御祭であります。御一代に御一度、神代そのままに、こうごうしいこの御祭をあそばされるのは、実にわが大日本が、神の国であるからであります。……これこそ、実に大神と天皇とが御一体におなりあそばす御神事であることを明らかにするもの、と申さねばなりません。」

 

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天皇・皇族に対する敬称は国民主権に反する神聖天皇主権大日本帝国の遺物であり廃止すべきだ

2019-11-10 18:21:17 | 皇室

 敗戦後に施行された現行の皇室典範には、第23条に「敬称」の規定がある。「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする」とあり、2項には「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする」とある。

 ところでこの「陛下」という敬称のルーツはどこにあるかというと、神聖天皇主権大日本帝国政府(伊藤博文)が制定した旧皇室典範にある。そして、その解釈書である『大日本帝国憲法義解』(伊藤博文)によれば、「第4章 敬称」第17条「天皇太皇太后皇太后皇后の敬称は陛下とす」については、「つつしみて按ずるに、陛下は臣下より天子に敷奏する時の敬称なり」と解説している。「敷奏する」とは「臣下が天子に申し上げる」という意味である。つまり、「陛下」という敬称は、「臣下(国民)が天子(天皇と三后)に対して使用しなければならない敬称」であるとして定めたものなのである。また、「第4章 敬称」第18条「皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王の敬称は殿下とす」についても上記解釈書では「陛下」と同趣旨の敬称である事を解説している。

 この「陛下」「殿下」という敬称は、神聖大日本帝国が天皇主権である事を国民の意識に浸透させるための「小道具」として政府が臣民に強制したものであったが、敗戦後制定された「国民主権」を原則とする現「日本国憲法」の精神とは相反するものであり、使用し続ける事を許してはならない廃止すべきものである。このような些細に見える事柄を糾していく事こそ建前ではない実質的な民主主義(国民主権)政治を導く。

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高市総務相も同類同罪、自民3議員辺野古受注業者から寄付受ける:返金して済ませる感覚は主権者国民を愚弄

2019-11-10 18:20:00 | 沖縄

 2019年9月19日、高市早苗総務相が、代表を務める「自民党奈良県第2選挙区支部」が2017年10月の衆院選期間中に、警察庁や防衛省と取引があった企業から30万円の寄付を受けていた事を明らかにし返金した。高市氏は「報道機関の取材を受けて判明した。寄付を受けた時点で企業と国の契約関係を知り得る方法はなかった。公職選挙法には抵触しない」と述べ、返金理由については「疑義を持たれるのは不本意で、道義的な観点から」と述べた。

 私は、この発言を知って彼女の傲慢ぶりに改めて呆れてしまった。これが何年も国会議員や大臣をやってきた人間の発言なのかと腹立たしい。しかし、紛れもなく、これで通用するのが現在の安倍自公政権の政治手法であるという事だ。この寄付は公選法に明らかに違反しているといえるにもかかわらず、素直に認めようとしない。違反行為である事を取材されて初めて知る、という法律に対する順守義務の無頓着無責任主権者国民に対する国家公務員としてのモラル意識の欠如。「疑義を持たれるのは不本意」とする開き直り不法行為を「道義的な観点から」と罪悪感のカケラも見せずすりかえ偽善者幼児にも劣る言い訳「返金すれば罪に問われない」という手前勝手な常識の欠如した御都合主義の感覚。これは、見つからなければ法律違反行為もやって構わない、という論理だ。何度も言うが、これが(道徳を教科化した)安倍自公政権の体質なのだ。この政権に公明公正というモラルは存在せず主権者国民に対してだけ強要し統治(支配と言っても良い)しやすくするのである。このような違法行為は高市氏だけに止まらず自民党組織に広く深く蔓延っている

 2019年6月27日の新聞に、2017年の衆院選の期間中(各政党支部の政治資金収支報告書では、17年の衆院選公示日直後の10月12~13日)に、沖縄の自民党衆院議員3人がそれぞれ代表を務める政党支部が、米軍辺野古新基地建設工事を受注した浦添市の建設会社から、それぞれ20万円、合計60万円の寄付を受け取っていたとする記事が載っていた。

 寄付を受け取っていたのは、国場幸之助氏(比例九州ブロック)が代表の自民党1区支部、宮崎政久氏(同)が代表の同2区支部、西銘恒三郎氏(沖縄4区)が代表の同4区支部である。

 公職選挙法第199条は、「衆議院議員及び参議院議員の選挙に関してはと、地方公共団体の議会の議員及び長の選挙に関しては当該地方公共団体と、請負その他特別の利益を伴う契約の当事者である者は、当該選挙に関し、寄附をしてはならない」と定めている。 

 建設会社は15年2月~18年3月、辺野古での護岸工事を他社との共同企業体で計約91億円で沖縄防衛局から受注していた。これ以外にも、2件の仮設道路工事も単独で受注していた。

 各支部はメディア(報道機関)からの取材を受けた後の6月中旬に返金したという。

 この事件では、自民党議員やその支部の体質が、いかに規範の遵守意識が緩いかを示している。もし、メディアがこの事件を取り上げなかったならば、そのまま「ほうかむり」をして済ませる(バレなければ何をしても構わない)つもりであったという事である。何と目を離せない悪質な連中であろうか。また、「返金」したという事であるが、これについても、「返金すれば許される」と思う体質を有しているようであり、素人ではないにもかかわらず、あまりに規範を軽視無視しているとともに、不誠実で、主権者国民を馬鹿にした対応である。それを許す国民意識が存在しているからであろうが。国民も自業自得という所か。それはともかく、安倍自公政府による辺野古新基地建設をやめさせる攻撃材料として徹底糾弾するべきである。

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伊藤博文を顕彰する菩提寺「博文寺」が敗戦まで韓国ソウル南山にあった、伊藤を讃える安倍政権の歴史認識は偏向している

2019-11-10 18:18:43 | 戦争遺跡

 ※以下は2016年10月29日投稿のものを再投稿したものです。

 ※別稿「明治150年記念式典反対 大日本帝国憲法を称賛し国民のルーツである日本国憲法を否定する行為」を合わせて読んでください。

 韓国併合後の1932年10月26日(伊藤の24周忌)からアジア太平洋戦争の敗戦まで、現在の韓国ソウル南山の東(奨忠壇公園東の高台)、現在韓国最高級ホテル「新羅ホテル」があるあたりに、朝鮮総督府の事業として伊藤博文を顕彰する事を目的に造営された、菩提寺「博文寺」が存在したという事はあまり知られていない。正式名は「春畝山博文寺」で、「春畝」は伊藤の「号」であり、元々伊藤の「祠堂」があった。

 菩提寺とはいっても、墓も檀家もない寺であったが、1930年代の日本では「大陸旅行」ブームが高まり、朝鮮や「満州」への観光、視察、修学旅行が盛んになった。京城(1910年韓国併合後、日本政府が改称)に立ち寄った旅行者の見学先の一つとして組み込まれていた。

 1930年代制作の絵ハガキの説明文によると、「博文寺は渓流や丘がある美しい緑に包まれた奨忠壇公園の丘上にある故伊藤博文公を祀った寺院であります。この寺院は昭和7年に竣工した曹洞宗の立派な鉄筋コンクリート造りです。吾々は明治偉勲の霊を弔い、その風貌を偲びつつ塵一つ落ちていない清浄な境内は勿論、鬱蒼と茂る松林をわたる風は岩にむせぶ渓流に和して、風韻洵に掬すべき四辺の風光を賞で乍ら散策する事は実に意義深いことであります」と書いている。

 日中戦争期には、戦死者を対象に「韓国併合功労者感謝慰霊祭」(1939年11月)などの国家的行事が開催された。

 造営の発端は、伊藤が統監であった頃に秘書官を務めていた児玉源太郎の長男・児玉秀雄が1929年に朝鮮総督府(第2次斎藤実総督)政務総監に就任した時に、伊藤を顕彰する施設を作る事を提唱した事にある。 

 財団法人「伊藤博文公記念会」が組織され寄付金を集めた。「記念会」は「伊藤博文公の徳風を敬仰し、赫々たる偉業を永く後世に記念する」、「公の冥福を追修し併せて朝鮮に於ける仏教の振興を期し、精神的結合を図り、以て朝鮮統治に貢献」する事を目的とした。

 設計は、東京帝国大学建築学教室の教授・伊東忠太(平安神宮、築地本願寺、朝鮮神宮も設計)で、鎌倉時代の禅宗寺院様式に朝鮮風を加味したもの伊東は地理的位置も考慮し、京城の北に日本政府の朝鮮統治機関・朝鮮総督府(1910年)、その南の南山に朝鮮全土の総鎮守府として天照大神と明治天皇を祀る朝鮮神宮(1925年)、そして総督府から南東に「博文寺」を置いて、京城をその中に取り囲むようにした。

 造営された「南山」は、李氏朝鮮王朝が名づけた「聖山」で、山頂に山神の祠「国師堂」がある朝鮮民族にとって開国精神が宿っている由緒深いところであった。また、第26代高宗皇帝が1900年に、閔妃暗殺事件の際に戦死した大臣を讃えて祠堂「奨忠壇」を建て、抗日の象徴として毎年春秋に祭祀を実施していたところであった。

 しかし、「国師堂」は、朝鮮神宮を建てる際に、ソウル北西の仁王山」へ移転させた。また、「奨忠壇」は、1908年、対日感情を悪化させるという理由で祭祀を禁じ、さらに1919年には、一帯に「」の木を植えて「奨忠壇公園」として公園化し総督府が管理するようにした。つまり、朝鮮民族の民族精神を抹殺し、日本人に同化させるために、その痕跡を隠滅したのである。

 そのような準備を整え、1932年、「公園」の東方に伊藤博文を顕彰する「博文寺」を造営したのである。

 さて本堂はコンクリート造りであったが、その他の建物の資材はどこで調達したのか。一言で言うと、王朝の宮殿の建物を移築したのである。例えば、庫裏は景福宮の「濬源殿」、鐘楼も景福宮の「石鼓壇」である。門は「慶煕宮」の「興化門」である。

 景福宮は、豊臣秀吉による文禄慶長の侵略により完全焼失したが、1865年に高宗の時代に復元された。しかし、朝鮮総督府は、主要殿閣を壊し、日本人料理店や寺院の装飾建築物として処分したり、京城の日本人密集地帯であった南山洞、筆洞、竜山などの日本人の住宅として売却した。

 集中的に撤去し始めたのは1915年夏に「景福宮」を会場として開催した「朝鮮物産共進会」(始政5周年記念事業)からであった。展示館を作るために大小の殿閣を壊し、7万坪の敷地を準備したのである。また、1929年には「朝鮮博覧会」(植民地政策20周年記念事業)が開催され、景福宮は完全に外見だけしか残らなくなったのである。歴代国王の肖像画を祀った「濬源殿」などは「博文寺」に移築され、1935年には一般公開された。

 ついでながら、昌慶宮には1907年に総督府は、動物園を開設した。22年には王宮内にを植えて、完全に公園化し、24年からは夜間公開を始めた。

 昌徳宮文禄慶長の侵略で完全焼失したが、総督府が再建し内部は完全に日本式庭園に変えた。

 慶煕宮は、1900年代に、日本人が宮内に学校を造るために破壊した。

 徳寿宮は、元々慶運宮であったが、1907年の「ハーグ密使事件」の後、高宗皇帝を退位させるとともに総督府が名称を変えたのである。「大安門」も同時に「大漢門」に変えた。意味は「大泥棒が住むところの門」というもので、総督府による皇帝に対する腹いせである。

朝鮮民族に対する植民地政策、それは朝鮮民族の民族性民族精神を抹殺し、日本人に同化させる政策であるが、日本政府朝鮮総督府はすでにこの時点から着々と進めており、その苛烈さがどのようなものであったかが感じとれるであろう。日本政府は韓国皇族については韓国併合によって日本の皇族に編入していたのである。これ以降の民族性抹殺政策は周知のとおりである。

 さて、この「博文寺」は1932年10月26日に落成した。この時、昭和天皇銀製の香炉とともに香華料を下賜し、日本の皇族もすべて花瓶を下賜した。

 1945年日本の敗戦による、解放後、博文寺は仏教系青年・学生寮として使用されたが、壊されたのであろう。その後その場所に、迎賓館が建設され、1970年代には韓国最高級ホテル・新羅ホテルも建設された。また、南山の朝鮮神宮も取り壊され、そこには伊藤博文を暗殺した朝鮮民族の英雄として安重根の碑と資料館が建設されている。さらに、景福宮に建設した朝鮮総督府庁舎も取り除かれた。

 ※最近、安倍政権は「明治150年記念式典」を実施する事を発表したが、それは彼らが過去の日本の真実の姿を隠滅し、彼らにとって都合のよい事だけを取り上げ称賛し、国民に対して「明治以降の日本は素晴らしい国である」という「作り話」(歴史を書き換える歴史修正主義)を作り信じさせ、それを誇りに思わせ、彼らの意のままに従う人間に改造し、憲法を改悪し、理想とする大日本帝国を復活させようとしているという事である。「明治100年記念式典」を実施した事支持した事は過ちである。それに気づき再び過ちを繰り返してはならない。我々のルーツは「日本国憲法」である。安倍自民党の歴史認識は偏向しており、無批判に受け入れてはいけない。

 この時代錯誤の安倍政権を支持翼賛する事は、安倍政権と同類同罪の否定的な評価を受け、自らの生活を破滅に導くであろう。 

  

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