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興福寺五重塔修理記事:メディアは興福寺僧が国家神道政策に無抵抗だった頽廃的過去を教訓として伝えるべき

2025-03-28 19:05:13 | 世界遺産

 2020年2月20日の朝日新聞が、世界遺産である奈良・興福寺(730年に光明皇后の発願で建立され、現在の五重塔は室町時代1426年の再建)が21年度から、約120年ぶり(1901年に屋根の吹き替え工事)に国宝の五重塔(高さ約55㍍の京都東寺に次ぐ2番目の高さ)の大規模修理を行う事を報道した。

 この記事の書き方を見て残念に思った事がある。それは、五重塔の修理は、明治維新に神聖天皇主権大日本帝国政府国家神道政策に基づいて宗教統制をするために発した神仏分離令(廃仏毀釈運動)をきっかけに興福寺の僧たちの頽廃的風潮が起こした五重塔売却という危機状況が現実化しなかったからこそ可能となったのだという事実を、国民に伝え国民が今後の教訓にできるうな内容にする事こそ、記事とする意味がある事を知るべきだという事である。

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、古代律令国家(神道神権政治)回帰する事を目指し、神道を国教とする祭政一致の政治の整備を進めた。そして、神祇官が、それまで神仏習合状態にあった宗教のあり方に対し、1868年3月神仏分離(廃仏毀釈運動)を命じた。その際、興福寺の僧たちは春日大社の神職にさせられ(実態は自ら進んでなった)興福寺は廃寺同然となった。この時に五重塔は入札をもって払い下げられ、25円で落札(評価の基準は単に金具にあった)されたのである。

 買主商人で、解体するのに大変な手数と費用が必要である事が分かり、金目の金具だけ剥ぎ取ろうとした。しかし、作業の人夫への手当も大変だとわかり、ついに焼いてしまった後金具を拾う事にした。しかし、近隣の民家から類焼の恐れがあると抗議されたため、結局買う事を止めたのである。

 『明治維新・神仏分離史料』には「奈良における神仏分離、ひいては廃仏毀釈は、興福寺において、最も激烈を極めたりき」とある。

その際の興福寺別当(長官)格の大乗院・一乗院両院家の対応について『奈良市史』には「されば排仏の事決せらるるや驚愕甚だしく、四月十三日(1868年)両院家先ず復飾(還俗)を願い出ると、一山衆徒も之に倣って復飾を願い……」との状態であった。

 上記両院に次ぐ権別当(副長官、喜多院)復飾の願いに遊民同様の僧侶、過分の高禄を世襲の事、恐縮……」と自認していた。

 1869年6月24日には、髪を蓄え、俗服を着た元僧侶たちは神職となるために、興福寺東室に集まり、神道を学ぶため国学(『古事記』)の講義を受けた。

 このように興福寺の僧たちは一斉に還俗し、寺を捨てたため、寺(五重塔)も仏像も宝物も政府によって売りに出されたのである。

 また、『明治維新・神仏分離史料』による当時の興福寺には「本寺本山既にあれども無きが如く、法音聞こえず、香烟絶え、強慾無慚の輩は、重宝什器を偸みて、私腹を肥やすに汲々たる有様にて、中に之を監督すべき官吏にして、権威をほしいまま、名画名器を私するもの少なからず、某々知事の如き其のもっとも甚だしかりしものと称せらるる」という状態も見られた。

1872年9月には、一山の土塀・諸門などがことごとく破壊された。

1882年政府は、廃仏毀釈を止め、古社寺を保存するため「古社寺保存金制度」を実施した。1889年には、広大な興福寺跡に奈良県立公園が設立された。

1909年には、大乗院庭園跡の丘陵上に奈良ホテルが建てられた。

 神聖天皇主権大日本帝国政府が推進した文明開化政策は、実利主義に立った。その社会改造は破壊的であった。歴史的伝統的なものを排斥して、古い物と見なせば、深くその価値を考えず破壊した。美術も建築も破壊又は骨董屋に並び、風俗、習慣、嗜好さえも文明開化の名の下に政治権力で強引に変えさせた。

消滅寸前にそれを免れ今日に残るものの例を挙げると、彦根城、姫路白鷺城、吉野山の桜、鎌倉大仏、名古屋城、能楽などがある。

メディアは、ある事を記事にする場合、何を目的とすべきかを熟考すべきである。

(2020年2月23日投稿)

 


「百舌鳥・古市古墳群」世界文化遺産登録記念シンポジウム:研究成果を無視した宮内庁・徳田誠志氏の発言はいち公務員の地位を逸脱したもので憲法違反

2025-03-18 09:12:25 | 世界遺産

 2019年7月28日、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を「記念」したシンポジウム「世界文化遺産へのあゆみ 百舌鳥・古市古墳群と関西大学」(関西大学・堺氏共催、朝日新聞社など後援)があった。

 今回のような形で世界遺産に推薦し、また、それが意外にも登録された事が「記念」すべき事といえるかどうかという問題が早速起きている。それは、徳田誠志・宮内庁書陵部陵墓調査官の発言である。それは、

 『皇室の先祖を葬った陵墓は、今も「まつり」が行われている「生きたお墓」だ。保護・保全のために宮内庁は調査を行っているが、「仁徳天皇陵」については第1濠での浸食などが課題』という内容である。推薦時点で抗議を受けた呼称「仁徳天皇陵」をそのまま使用している点である。それも、徳田氏はどんな肩書であろうと、いち公務員に過ぎない人間である。憲法第15条には、1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とあり、2項には「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあり、主権者国民のために奉仕する存在として位置づけられている。にもかかわらず、主権者国民であり、専門家でもある「日本考古学協会など歴史・考古学系の13団体」からの抗議を受けておりながらも、なおも事実に基づかないまま「皇室の先祖を葬った陵墓」と決めつけ、その「呼称」として「仁徳天皇陵」を公の場で使用し発言する(欺く)というのはどういう態度なのであろうか。主権者は国民であり、その国民を冒瀆する発言態度を決して許してはならない。徳田氏は処分の対象とすべきはもちろんであるが、彼の言動を認めている宮内庁長官責任をも問うべきである。

※これに関連して別稿「百舌鳥・古墳群:『イコモス』の世界遺産登録勧告の判定は信用できない。安倍自公政権は科学的研究を無視し歴史を捏造する歴史修正主義者集団」を参照してください。

(2019年9月12日投稿)

 


百舌鳥・古市古墳群:「イコモス」の世界遺産登録勧告の判定は信用できない。安倍自公政権は科学的研究を無視し歴史を捏造する歴史修正主義者集団

2025-03-18 09:07:43 | 世界遺産

 百舌鳥・古市古墳群は49基の古墳で構成され、その内29基は、神聖天皇主権大日本帝国政府が天皇家の陵墓として指定したものを、戦後の自民党日本国政府が非合法的であるにもかかわらずその「指定」をそのまま引き継ぎ、天皇家の陵墓として占有し、宮内庁の管理下に置き、研究者の自由な立ち入りを禁止し全面的な発掘調査も実施させないため、被葬者や築造時期などは科学的学術的に明らかになっていない。また、文化財保護法での「特別史跡」や「史跡」という文化財にも指定されていない。そのような状態にある、宮内庁管理下のいわゆる「陵墓」を、文化庁大阪府などは世界遺産登録の手続きの際仁徳天皇陵古墳」「履中天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」として行っているのである。これは歴史の捏造と言って良い行為であり、学術研究を冒涜する行為(日本考古学協会など歴史・考古学系の13団体は学術的に被葬者が確定していない中で特定の被葬者の名をつける事は誤った理解を導く可能性があると批判している)であり、主権者国民の真実を知る権利を否定する行為であると言うべきで、決して許してはならない。このような状態にあり、登録に対して虚偽の説明をしているいわゆる「陵墓」に対し、疑問を呈する事もなくイコモスが登録を勧告したという事については、その評価が適正に行われたのかどうか極めて不信に思う。組織は公明正大に機能しているのかどうか極めて疑わしいと言わざるを得ない。

 2019年5月13日、ユネスコの世界文化遺産の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に登録するよう勧告した。その知らせを受けて歓喜する地元の人々の反応をみると、遺産登録する正しい意味をまったく理解していない。彼らにとっては、「正しい」意味などはどうでもよい事であるのだ。遺産登録をきっかけに商売を繁盛させる事ができるのではないか、今以上に金儲けができるのではないかという事(つまり、深く物事を考えず、儲かりさえすれば良いとして、そのためには周りの雰囲気にあわせて何でもやるという習性。深い意味を分かろうとせず、何となく楽しく思い、まわりに同調してお祭り騒ぎをする習性)こそが狙いなのである。極めて姑息で無責任な商売人根性金儲け主義に基づいているのである。この行動の仕方は残念であるが日本人独特のもので、神聖天皇主権大日本帝国下においては、今日以上に強いものであって、侵略戦争を肯定する事にもなった意識である。例えば、Co・FUNカフェ経営者は「ご飯を前方後円墳形に盛ったランチを提供している」。古墳の缶バッジのプロデューサーは「お祭り騒ぎで一般の人も巻き込んでいきたい」。土産物店では16年にメーカーと共同で「古墳こんにゃく」を開発し、観光客向けに販売してきた。はにわ作り体験ができる「河内こんだハニワの里 大蔵屋」がオープンした。

 2017年1月31日NHK「ニュースホット関西」では、「古フンでコーフン 魅了される人々」と題して、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録をめざす堺市民の様子を伝え、NHKが視聴者に賛同を呼びかけていた。

 このニュースを知って私は違和感をもった。それは、「仁徳天皇陵」とか「応神天皇陵」という表現を使用していたからである。なぜなら、高等学校の教科書では、「大山古墳(伝仁徳陵)」とか「誉田御廟山古墳(伝応神陵)」と書かれているところを上記のように表現していたからである。

 教科書で上記のように表現されている大きな理由には、いわゆる「仁徳」や「応神」と称される人物の古墳であるかどうか、発掘調査研究が実施されていないため、学問上確定する事はできないという点と、「仁徳」や「応神」の時代には「天皇」という称号を使用しておらず、「大王」を使用していたという点が歴史学界の認識となっているためである。また、「大王」が「大和政権」の「リーダー」であるとの理解も誤りで、支配被支配の階級関係に基づく「支配者」と理解すべきである。

 この点だけで、NHKの編集内容は「放送法第4条」の中の「報道は事実を曲げない」という規定に明確に違反した「偏向報道であるといえるもので、視聴者に対して訂正と謝罪をすべきであるとえる。さらには、「BPO放送倫理検証委員会」において問題とすべきであると考える。

 「天皇陵」と指定し、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」という呼称を使用しているのは「宮内庁」の独善的判断といえるものなのである。それというのも、宮内庁はこれまで、「天皇陵は陵墓であり学術調査の対象にはなり得ない」として、研究者による発掘調査研究をまったく認めてこなかったため、研究者には学問的にまったく信憑性が疑わしい判断であると見なされているからである。歴史学者の森浩一氏は「今の指定のままでいいと言えるのは、天武天皇の野口王墓と天智天皇の御廟野古墳だけだ」(『毎日』1986年6月8日朝刊)とし、大塚初重氏は「古墳時代の天皇陵31基のうち、現在の治定(指定)と被葬者が合致しているのは、天智天皇陵と天武・持統天皇の合葬陵の2基だけ」としているのである。

 ちなみに、宮内庁は1973年に「歴代天皇陵の決定について」という文書を公表した。それには、幕末までの陵墓探索結果を明治政府が継承した事、探索考証の根拠は「古事記、日本書紀、延喜式その他の古文献並びに伝承等」によった、と正当化している事を付け加えておこう。そして、現在、宮内庁が管理している「皇室典範」第27条に規定する「」は、「歴代天皇陵」は111、「歴代外天皇陵」が13、皇后陵が62で合計187である。また同様に、「墓」は893である。

 ところで、神聖天皇主権大日本帝国政府はなぜ歴代天皇陵指定しなければならなかったのか。それは他でもなく、神聖天皇制国家神道体制、政教一致の政治)を精神的支柱とした大日本帝国政府の重要な政治アイテムとして利用し、国民を効果的に支配統治する事とそれを諸外国にアピールするためであった。大日本帝国政府太政官は1874年5月、各府県に対して通達「御陵墓調査上古墳の届出方」を出した。内容は、「上世以来御陵墓の所在未定の分」について取り調べ中で、開墾の時、「口碑流伝の場所は勿論其他古墳と相見え候地」は、発掘などせず、「絵図面」などを付けて教部省へ問い合わせるようにせよと命じた。1880年11月にも宮内省は、沖縄県を除き「再届出方の通達」を出し、古墳と思われるような土地は、個人所有であってもみだりに発掘してはならないと命じた。そして、74年7月10日には、大日本帝国政府としては初めて「神代三陵」を指定した。

 そして、大日本帝国憲法と、皇室典範が公布された1889年、歴代天皇陵をすべて指定したのである。『明治紀第七』には、「条約改正の議起るに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代山陵の所在の未だ明らかならざるものあるが如きは、外交上信を列国に失う事になる速やかにこれを検証、治定し国体の精華を中外に発揚しようとした」とある。

 伊藤博文は、天皇が「万世一系」であるとする「作り話」を、真実であると思わせるために「歴代天皇陵」を偽装偽造し、日本国民はもとより外国に対してアピールする事が狙いだったのである。

 伊藤が主導した「大日本帝国憲法」の前文にも、(上諭)「朕祖宗の遺烈を承け万世一系の帝位を践み」とあり、第1条には「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と定めた。「皇室典範」の「前文」にも、「天祐を有したる我が日本帝国の宝祚は万世一系歴代継承し以て朕が躬に至る」と定め、第1条に「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」と定めた事からも、「万世一系」を真実と思わせる「日本の歴史」を改めて偽造する(現代でいえば歴史修正主義に基づく歴史)事が喫緊の最重要課題であったのだ。

 現在、安倍自民党首相は、現行の日本国憲法を廃止し、「自民党憲法改正草案」を日本の新しい憲法に置き換えようとしているが、その際、現行の「前文」をも廃止し、新「前文」の初めの部分に、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」という文言を定めている。この「長い歴史と固有の文化」という文言に「大日本帝国憲法」の「万世一系」の意味を含ませているのである。また、現行「皇室典範」においては、第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めているため、「生前譲位」問題の検討においても、「女性宮家の創設」を含む「皇室典範」改正の必要性を認めないのである。

(2019年11月13日投稿)

 


ユネスコ分担金支払い保留の傲慢手法による歴史書き換え(歴史修正主義)は戦前同様の力こそ正義の外交

2025-03-18 09:02:54 | 世界遺産

 ユネスコ分担金安倍政権が支払わないという問題が起こっている。菅官房長官は支払いを保留している事について、10月14日の会見で、「昨年、政府が知らない中で様々な事が決められた。こうした事が正常化されるかどうかを見ながら対応を考えたい」と、中国が申請した「南京大虐殺の記録」を記憶遺産に登録した事を理由とする発言をした。また、審査過程で関係国の意向を聞くなどの見直しを求めている。この発言は、ユネスコの登録審査が「異常な状態」にあるかのような印象を与える事を狙ったものであり、安倍政権の極めて傲慢な姿勢を表した発言であるというべきであり看過すべきではない。

 また、支払いを保留している理由はそれだけではないのである。メディアは意図的に大きく取り上げていないのであるが、それは今年6月、日中韓などの民間団体が旧日本軍の慰安婦に関する資料の遺産登録申請をしたからである。

 金を積んだり、金を積まなかったりで、自己の意思要求を適える、目的を達成する、つまり金を使って金にものを言わせてあらゆる事柄を解決するという発想があり、適法であるかどうかではなく、公平公正かどうかではなく、正義に適っているかどうかではないのである。もちろん普遍的な理念などカケラも持ち合わせていない。この手法はこれ以外のあらゆる事柄に対する対応に表れている。そして、このような手法を正当なものであると考えているのである。これが新自由主義というものであり、安倍政権の体質なのである。

 このような体質を露わにし出したのは、上記のような日本の「侵略戦争」に関する内容が登録申請される動きが出てきてからである。この事は安倍政権が、余程アジアの人々の主張が信用できないという事を訴えたいのか、それとも、余程後ろめたい公けになっては困る認めたくない内容であるという事なのか、という事になると思うが、間違いなく後者であると言ってよい。安倍政権は、学問的には非科学的で恣意的な解釈(捏造)に基づくものであるが、彼らにとっては死守すべき重要な「美しい国」という日本歴史のイメージをそこねる内容を否定したいのである。これは歴史修正主義であり、これを黙認したり許すならば、この先彼らは、これまでの科学的研究で明らかにされた日本歴史のすべての内容を彼らの歴史観によって書き換えていく事だろう。すでに始めているが。また、現在起こっている様々な場所での様々な事象についても彼らの恣意的な解釈がなされていくであろう。これもすでに始めているが。

 なぜこのような傲慢な姿勢や手法をとる事ができるのかというと、手本とする前例があるからである。それは、安倍政権の親分である「米国政府」が、パレスチナ加盟に反発して2011年秋から分担金の支払いをやめているのである。

 「力こそ正義の外交」の一つの例は「国際連盟脱退」の歴史にも見られる。

「中国は、満州事変が起こると国際連盟規約に基づき連盟に提訴。日本政府も調査団派遣を提案。これを受けて1932年イギリスのリットンを団長とする調査団(英米仏独伊代表の5名)を現地と日本・中国に派遣。調査中に関東軍は「満州国」の建国を宣言させ、斎藤実内閣は日満議定書で満州国を承認。

 リットン報告をもとに、連盟は1933年2月の臨時総会で、日本の「満州国」承認の撤回や日本軍の満鉄付属地内への撤兵などの勧告案を、42対1で採択。日本全権松岡洋右はこれを拒否し、総会会場から退場。翌月に連盟からの脱退を通告。さらに1936年のワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約失効で、日本の国際的孤立は決定的となった。」

これ以後の日本の歩んだ歴史は周知のとおりである。

(2016年10月16日投稿)

 


大仙古墳は戦国時代城郭とされた

2025-03-18 08:56:13 | 世界遺産

 司馬遼太郎も『街道をゆく 2』で述べていたが、近年世界遺産に登録された大阪府堺市に存在する「大仙古墳(伝仁徳陵古墳)」は戦国時代、「国見城」という城郭として利用された事実がある。『日本城郭体系』(新人物往来社 1980年刊)にもきちんと城郭として登録されている。戦国時代、堺市周辺を支配していた阿波(徳島県)の三好氏の勢力の城郭という事になる。

 明治時代天皇陵とされる前には、墳丘上には神社が建っていたとも言われ、誰でも訪れる事ができたようである。

(2022年4月14日投稿)