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国連女子差別撤廃委の皇室典範見直し要求、安倍自公政権抗議で削除の問題

2025-04-11 10:38:33 | 皇室

 「天皇家」を特別扱いする安倍自公政権ワールドは国民の命と生活の安全、幸福追求を阻む。

 2016年3月9日の新聞に「皇室典範見直し要求 国連委の当初案政府抗議で削除」の見出しが載った。国連女性差別撤廃委員会が3月7日に発表した日本に対する勧告を含む「最終見解の案」に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直し(改正)を求める内容の記述があったという。これを知って私は、これまでの勧告などでは「皇室典範」に関する内容はまったく含まれていなかったために、このような勧告もするのだと驚いた。それとともに国連委は委員会の原則に基づいて真摯に仕事をしていると感じた。

 この「最終見解の案」に対して、安倍自公政権が、「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」という理由で抗議をした。その結果、委員会は最終的に「皇室典範」に関する記述削除に応じたという。

 国会ではこれも仲間内どうし結託して準備された「演技」と言えるが、皇室制度について国民がもつべき認識について、国民に対するマインドコントロールを意図して、政党「日本のこころ」の和田正宗議員がこの真偽を問うたのに対する岸田外相の答弁は「女子に対する差別への言及だったが、我が国の皇室制度や諸外国の王室制度もそれぞれの国の歴史や伝統が背景にあるという事、女子に対する差別目的とは全く別の事柄であると説明した」との事。和田氏は「一国の皇位継承権にまで言及するのは許せない。さらなる対応は」と続けたのに対し、岸田氏は「今後しっかりと説明し、理解を得るべく努力は続けていく」と答弁した。

 官房長官も岸田氏と同様に9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げる事は全く適当ではない」と述べている。

 和田氏と菅氏の説明をどう考えるか。彼らは委員会の勧告の意味を正面から真摯に受け止めようとしていないのである。委員会の考え方とは異なる考え方に固執妄執し委員会の考え方を認める気がないのである。この姿勢は日本政府(最高裁も)が「委員会」を軽視、冒涜しているものでもある。この事はほかの内容(夫婦同姓など)の勧告を見れば一貫している事が分かるはずである。そして、説明になっていない説明?をして委員会の理解を得て削除させたように答弁し述べているが、普遍的な考え方や理念(男女平等、人間平等)を認めようとせず「安倍自公政権の主張」を押し通しただけであり、委員会側は呆れて安倍自公日本政府とは「会話が不能」と思った事であろう。

 皇室制度や皇室典範はたかだか120年前に作られたもので、天皇家は政治的に利用され歴史の表面に登場させてもらったのである。それもそれ以前のあり方とは一変(変身)した姿内容で。明治天皇が「ひげ」や「眉毛」を伸ばしておらず「書き眉毛」「化粧」をしていた事は歴史の事実である。また、国民から知られない存在から、徳川に替わって日本に君臨し、新たに国民を支配する存在である事を知らしめるために「全国巡行」をしたのではなかったのか。そして、初の「皇室典範」と、ドイツ憲法をアレンジした「大日本帝国憲法」を制定し自らの地位を確固たるものにしたのではなかったのか。その間にはその動きに反対する国民の「自由民権運動」を警察軍隊という「国家暴力」で殲滅したのではなかったのか。そして、その国家体制(神聖天皇主権制)を国民から守るために「治安維持法」などの治安立法を制定したのではなかったのか。そして、神聖天皇主権大日本帝国の存立と膨張を目的として国民を動員して行った数々の「侵略戦争」の最高責任者として存在したのではなかったのか。そして、敗戦時に天皇家を将来再び支配者として復帰できるように、米国との間で天皇家存続のための「取引」をしたのではなかったのか。その「取引」により「沖縄の島と島民」を「米国米軍の基地」として売ったのではなかったのか。それが皇室制度の真実の「歴史」と「伝統」ではないのか。

 皇室を国民とは異なる世界に住む国民より上位に立つ存在と見なしてはいけない。憲法第1条「天皇の地位・国民主権」で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるように、天皇家を存続させるか否かは「国民」の意志により決定する事なのである。和田氏や氏の発言はそれを故意に無視し国民にとって「神聖不可侵」な存在であり「そうあるべき」と、結託して演技でアピールしたのである。日本国憲法の第99条「憲法尊重擁護の義務」を認めない立場(確信犯)を取っているのである。

◎新皇室典範に見る天皇家の差別的体質

 天皇家は人権侵害(差別)の総元締め以外の何物でもない。皇室典範第1条「皇位継承の資格」では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と明記されており、日本国憲法の「男女平等の原則」を適用していない憲法違反であるし、今日のグローバルな価値観に反している。この事に安倍自公政権は真摯に「国民」に対して答えよ。そして、天皇家についてのあらゆる課題は主権者である「国民」に対してオープンで行うべきである。国連の勧告についても「国民」が考えるべき事であり、「国民」に提示すべき事であると受け止めるべきであり、国民の考え意思を尊重する手立てをして当然ではないか。なぜしないのか。したくないのである。

第3条「継承順序の変更」では、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、……皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とあり、身体障害を持つ場合には、皇位継承から除く事ができるとしている。身体障害者に対する人権侵害差別であり、憲法違反である。国民の象徴が差別を容認しているのである。

第22条「成年」では「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」とあるが、国民の成人年齢は未だに20歳であるのはどういうことなのか。天皇家は日本国民ではないのか、別格の別世界の人間として扱っている事を意味しているのではないのか。世界のほとんどの国では18歳としているにもかかわらずである。

第26条「陵墓」では「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を、その他の皇族を葬る所をとする」とあるが、墓所の呼び名を変えて差別化しているが、今日その必要はまったくないと考える。憲法違反である。外国ではありえない。特別扱いをするべきではない。

以上のような日本国憲法の原則に違反(憲法違反)した、人権を認めない内容が定められている事は問題である。このような規則法律で天皇家を存在させておく事は主権者である国民として責任を感じるべき問題である。天皇家には皇室典範には国連委が勧告として指摘した以外にたくさんの問題を有しており、国民的課題として取り組むべきであり、少なくとも改善すべきであり、天皇制自体の「廃止」も考えなければならない。

(2016年3月26日投稿)

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皇室典範内容は憲法原則違反、差別の元締め的特徴、玉音放送、東京大空襲、メディア

2025-03-01 19:32:26 | 皇室

 天皇家が最近よくメディアに登場している。天皇家の存在を国民の意識に定着させる事が目的である。また、近い将来において、日本の「元首」の地位に就く上でのムード作りである。『自民党憲法改正草案』第1章第1条には、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。草案解説では、「明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していた。また、外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われています。我が国において、天皇が元首である事は紛れもない事実ですが、……元首として規定する事の賛成論が大多数でした」とある事が背景にあり、それをメディアが翼賛化して報道しているのである。そういう視点が必要である。

◎現皇室典範に見る天皇家の差別的体質

天皇家は人権侵害(差別)の総元締めである。

皇室典範第1条「皇位継承の資格」では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあり、日本国憲法の男女平等の原則に基づかない男尊女卑思想(女性差別に基づく憲法違反である。2016年3月に国連女子差別撤廃委員会勧告で女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直し(改正)を求めたが、安倍自公政権は抗議をし削除させた。国会でも岸田外相は「我が国の皇室制度は歴史や伝統が背景にある。女子に対する差別目的とは全く別の事柄である」と説明。菅官房長官も「国民の支持を得て今日に至っている。女子に対する差別を目的としていない」と述べている。安倍自公政権は世界で普遍的な考え方や価値観を認めようとしないのである。この姿勢は選択的夫婦別姓制度においても同根である。

第3条「継承順序の変更」では、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、……皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とあり、身体障害を持つ場合には、皇位継承から除く事ができるとしている身体障害者に対する差別人権侵害であり、憲法違反である。

第22条「成年」では「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」とあるが、国民の成人年齢は未だに20歳であるのはどういうことか。世界のほとんどの国が18歳となっているにもかかわらずである。天皇家は日本国民ではないのか、国民とは別格の別世界の人間である事を表している

第26条「陵墓」では「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を、その他の皇族を葬る所をとする」とあるが、墓所の呼び名を変えて差別化しているが、今日その必要はまったくないと思う。憲法違反である。外国ではありえない

以上のような日本国憲法の原則に反した(憲法違反)、人権を認めない内容が定められている事は問題であると思う。このような規則で天皇家を存在させておく事は問題である。

日本国憲法第1条「天皇の地位・国民主権」では「……、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある事に基づいて、少なくとも改善すべきである。また、天皇制自体を「廃止」すべきである

 『憲法改正草案』第6条「天皇の国事行為等」5項では、「第1項及び第2項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」とあるが、これは「靖国神社」の国営化、天皇の靖国参拝を狙っている事をうかがわせるものであるので注意すべきである。

◎「玉音放送」

 今年8月1日付で、「玉音放送」を宮内庁が録音原盤から再生し公表した。「玉音放送」とは、1945年8月15日正午に臣民に向けてラジオ放送された、昭和天皇が自ら「大東亜戦争終結に関する詔書」を読み上げた録音の放送の事である。

 以下、天皇が臣民に訴えた言葉の抜粋(朝日新聞の記事を基にしたが、原本により近い形に修正した)と、矢印(→)以下は私の注釈である。

 「帝国臣民の平穏無事を確保し、すべての国々が共に繁栄する喜びを分かち合う事は、皇祖皇宗(歴代天皇)が大切にしてきた教えであり、朕が常々心中強く抱き続けているものである。」→臣民とは天皇皇族の家来を指し、国民の事。家来は主人の主君のために命をかけて奉公するのが原則。

 「英米2国に宣戦したのも、まさに帝国の自存と東亜(東アジア諸国)の安定とを心から願っての事であり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、もとより朕の本意ではない。」→満州事変以来の中国などとの戦争を日本による侵略戦争であると認識していない。戦争最高責任者である事の無自覚と責任回避。

 「敵国は新たに残虐な爆弾を使い、……」→新たな残虐な爆弾とは、原子爆弾の事でその使用を非難している。天皇制大日本帝国でも、東大と京大で原爆製造の研究が行われていた事には口を閉ざしている。

 「朕はいかなる手段で赤子を守り、歴代天皇の御霊にわびる事ができようか。」→赤子とは臣民の事で家来の意味。家来は主人のために命を捧げるのが原則。

 「東亜(アジア諸国)の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。」→1943年11月に「大東亜共栄圏」の結束を図るため開催された「大東亜会議」に参加したアジア諸国の協力にもかかわらず、アジア諸国の解放ができなかった事が残念であるとの事。「大東亜共同宣言」では「共存共栄・独立尊重・互恵提携・文化高揚などが採択された。ビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ、フィリピン、自由インドの7カ国。

 「朕は、ここに国体を護持する事ができ、忠義で善良な臣民の真心を信頼し、常に臣民とともに過ごす事ができる。」→国体とは敗戦までの神聖天皇主権国家を指し、天皇に対する臣民の対応の在り方を護持できた事を喜び、改めて一方的に押し付けている。

 「感情の高ぶりから節度なく争い事を繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである」→戦争終結の御前会議では「戦争を続ける事はかえって国内治安の乱れる事が考えられる」(保科善四郎手記)との発言があり、神聖天皇主権体制そのものを脅かすような国内危機の出現を予想した。敗戦よりも敗戦によって起こる混乱と国体変革を恐れた天皇を中心とする支配階級は、国民と軍隊が起こすかも知れない動揺を抑えるために、最後の切り札として天皇の権威を利用(聖断)したのである。戦争終結が「聖断」によってもたらされたという物語をつくり最大限に活用し、翼賛体制化しているメディアは、「玉音を拝して感泣嗚咽」「朝夕詔書を奉戴して再建へ」と「天皇の慈悲深さ」を宣伝した。

 「国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、……総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、……揺るぎない志をしっかりと持ち、誓って国体の精華を発揚し……」→日本は神国であり、不滅である事を信じ、その国体の精華を発揚すべき事を誓いなさいとしている。

つまり、この詔書は、天皇を中心とする支配階級が、「天皇制護持」だけが重要事であって、それを将来の日本国においても不変のものとして臣民に対し念押しをしたものであり、それ以外は何も考えていなかったという事を示している。国民の犠牲も、アジア諸国に与えた苦難や被害や損失なども。この事は、この戦争の本質を如実に現わしている。

 朝日新聞は、記事の最後に「総力戦の行き着いた果てに防空壕で起きた事を、世代を超えて記憶し、風化に抗し語り継いでほしいとの願いを感じる」としているが、余程の「お人よし」である。手前勝手な解釈をしてはいけない。歴史は事実をきちんと押さえなければただの恣意的な作り話となり、誤った評価判断を生む。語り継ぐ価値のあるものとするために、メディアがやるべき使命は、国民が歴史の真実に、より以上近づくための正しい情報を提供する事である。

◎御文庫付属室(防空壕)と東京大空襲について

 戦争終結を決めた御前会議の場となった「御文庫付属室」も「玉音原盤」と同時に公表した。「御文庫付属室」は1943年1月から天皇皇后が生活していた場所である。1945年3月10日の「東京大空襲」時、天皇皇后はどのような行動をしていたのか。渡辺清氏『私の天皇観』によれば、

「1945年3月10日東京大空襲で奇怪な事実がある。B29が大挙、爆撃を開始したのが午前0時8分、それから7分も経過した0時15分に空襲警報が発令された。その理由は、床の中ですでに安らかに眠っている天皇を起こすのは誠に恐れ多い、という東部軍司令部参謀の配慮から、一秒一刻を争う状況の中で、あたら7分間も空襲警報を遅らせたのである。その7分はたった一人の天皇、45万坪の広大な屋敷の中に広さ500坪余、500㌔爆弾もはね返すという厚さ3㍍のコンクリート、配電、除湿、防音装置に調理室までついていたという堅牢な大防空壕を有していた天皇一人の安眠を妨げないようにという事だったとは、心の煮える思いがする」とある。

朝日新聞1945年3月19日付では、

畏し、天皇陛下戦災地を御巡幸 焦土に立たせ給い御仁慈の大御心 九重の奥深くまで醜翼の羽搏き伝わり、高射砲の轟音響き渡る皇国の危局、朝に夕に一億国民ひとしく忠誠の心いまだ足らざるを嘆き悲しむ、今はただ伏して不忠を詫び奉り、立っては醜の御楯となり、皇国三千年の歴史を太しく護り抜かんことを、誓うのみである。ああ、しかもこの不忠の民を不忠とも思し召されず、民草哀れと思し召し、垂れさせ給う大御心の畏さよ。18日、天皇陛下は帝都の空襲戦災地の御巡幸を仰せ出だされたのである。」→天皇の本心はいかなるものであったか、翼賛体制化した新聞による、「天皇の行為を賛美する」記事はどういう効果を生んだであろうか。言をまたない。

 1964(昭和39)年には、来日した「東京大空襲」の総指揮官カーチス・ルメイ天皇や自民党日本政府は最高の栄誉「勲一等旭日大綬章」を贈った。主戦派のルメイは、太平洋戦争末期のトルーマン政権下で、都市全面爆撃に反対したハンセルに代わって司令官となり、一夜にして10数万の死者をだした「東京大空襲」を含む日本無差別爆撃の張本人である。ルメイは後にヴェトナム戦争下の米空軍参謀総長にもなった。昭和天皇や自民党日本政府が、自らが起こした侵略戦争を、米政府を、どのように位置づけていたのかが分かる。

(2017年3月14日投稿)

 

 

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象徴天皇皇族が戦後今なお原始オカルト宗教である皇室神道の最高祭祀者を続ける民主主義国日本

2025-02-19 13:41:56 | 皇室

 日本の中世社会では、時の為政者たちは神々の実在を信じており、その神々の戦争が存在すると考えていた。

 『吾妻鏡』には1183(寿永3)年、源頼朝が義経らを派遣し、木曽義仲と平家を追討しようとしていた1月19日夜、「鹿島大明神が賊徒追討に出陣する」という夢告が、鹿島社(茨城県鹿島町)の社僧にあり、翌20日夜、同社の宝殿が不気味に鳴動し、鹿や鶏が激しく群れ騒ぐ中、真っ黒い雲が宝殿を覆い、やがてその雲が西にたなびいていったとある。頼朝は、「鹿島大明神が上洛された、との報告後、敵を滅ぼす事ができた。誠に大明神霊験あらたかなるものがある」と述べ、朝廷に鹿島社の保護と尊崇を要請している。また、頼朝自身もこの件で鹿島社に恩賞を与えており、大明神の出陣を信じていたと見做してよい。

 『花園天皇日記』には1314(正和3)年、北九州で、「蒙古が襲来したため、我々が防戦しているが、香椎(宮)の神は半死半生の重傷を負った。祈禱してくれたなら、もう一度出陣して蒙古と戦うつもりだ」という託宣があったとし、この報告を受けた天皇は、自らの不徳がこうした外寇を招いたと自責して、仏神の助けを乞い願っているのである。また、「祈祷してくれたならば、もう一度出陣して蒙古と戦うつもりだ」とあり、「祈禱」というものが神々を奮い立たせて戦闘に赴かせる手段であったという事がわかる。祈祷は、暴力であり軍事力であり、神々の世界での戦闘行為そのものであったといえる。

祈祷……宮中で行われた公的な祈祷には「太元帥法」がある。国家鎮護の目的で、平安初期から正月行事として行われた。真言密教の修法で、大壇上に「百の利剣、百の弓箭、法具」などを配置して行った。元々敵調伏を祈り国王の威力を増進させる方法で、敵国伏滅のためにも随時行われた。日清・日露戦争昭和天皇即位時アジア・太平洋戦争などでも行われた。

 戦争に勝利した場合には、神仏にも恩賞が与えた。鎌倉後期には、神風により蒙古を撃退してくれたとして、幕府・朝廷は寺社の経済的保護政策を強力に推進した。

 神聖天皇主権大日本国政府は、アジア・太平洋戦争開戦翌年1月には、元寇(蒙古襲来)の際の先例に倣い、全国7社の一の宮である武蔵の氷川、上野の貫前、伊豆の三島、駿河の浅間、若狭の若狭彦、美作の中山、肥後の阿蘇の各社で、敵国降伏祈願祭を執行した。アジア・太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月、神祇院は『神社本義』を刊行し、「我等日本人が先ず自ら拠り進むべき道は、古今を貫いて易らざる万邦無比の国体に絶対随順し、敬神の本義に徹し、その誠心を一切の国民生活の上に具現し、もって天壌無窮の皇運を扶翼し奉るところにある。これ即ち惟神に大道を中外に顕揚する所以である。……かくて皇国永遠の隆昌を期する事ができ、万邦をして各々その所を得しめ、あまねく神威を諸民族に光被せしめる事によって、皇国の世界的使命は達成せられるのである」と述べている。

 1942年には「国民学校高等科」の「音楽一」の教材の中に、陸軍軍楽隊士官・永井建子が1892年に作詞作曲した軍歌『元寇』を取り入れ子どもたちに歌わせた。

「1、四百余洲を挙る 十万余騎の敵  国難ここに見る 弘安四年夏の頃

   なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり

   ※正義武断の名 一喝にして世に示す

 2、多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢  傲慢無礼もの 倶に天を戴かず

   いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな

   ※ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

 3、こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く  ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば

   死して護国の鬼と 誓いし箱崎

   ※ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

 4、天は怒りて海は 逆巻く大浪に  国に仇をなす 十余万の蒙古勢は

   底の藻屑と消えて 残るは唯三人

   ※いつしか雲はれて 玄海灘月清し

 早稲田大学は、『都の西北』制定以前に、『元寇』の替え歌煌々五千の炬火』を校歌としていた。漫画『はだしのゲン』の作中で「ゲン」が繰り返し歌う「八百八州のこじき、ざる持って門に立ち……」も同様に「替え歌」である。福岡県福岡市にある筥崎宮境内には曲碑がある。

 敗戦直後の11月12日天皇は、伊勢神宮、神武天皇山陵、明治天皇陵にそれぞれ「終戦奉告」のため参拝した。さらに12月3日、皇族男子を宮中に呼び、「歴代天皇に親しく自分がお参りして終戦のご奉告をしたいのだが、今の状態ではできない。みなで自分の代わりに御陵に参拝してほしい」と命じた。12月初旬、7人の皇族は手分けして全陵を参拝した。高松宮は京都・月輪陵など40数陵、閑院宮は奈良・聖武天皇陵など15陵、朝香宮は大阪・応神天皇陵など16陵といった具合にであった。

 秋篠宮夫妻は「立皇嗣の礼」を終えた報告という事で、2022年4月21日に天照大神を祀る伊勢神宮を参拝し、22日には天皇皇族が初代天皇と見做している神武天皇陵を参拝した。先進国に、このような事を行っている国が存在するだろうか?それも国民からの巨額の税金を使って。

(2022年4月24日投稿)

 

 

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朝日新聞記事「御養蚕始の儀」:朝日自身の価値観を憲法に照らして記事を書け

2025-01-25 09:52:19 | 皇室

 朝日新聞は、雅子皇后が2020年5月11日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕始の儀」を初めて行った事を伝えた。そして、この「」の意味については、「明治以降、歴代の皇后が引き継いできた伝統行事である」とする極めて粗雑な説明で済ませている。これでは「フェイク記事」と言われても仕方がないだろう。また、読者はこの記事により、誤った歴史を植え付けられてしまうだろう。

 なぜ、このような雑な説明しか行わないのだろうか。理由を考えてみた。それは、皇室の慣例の儀礼行事の一つであるから実施する事は「当たり前」で、それを主権者国民に伝えているだけだと単純に考えているのだろうか。しかし、それではあまりに浅薄な認識で記事を書いているという事になる。まさかそんなはずはないだろう。それならばなぜだろう?考えられる事は「意図的に」このような記事を書いたのではないかという事である。それは多分、主権者国民に皇后や天皇・皇族に対する親近感とさらには敬意を育ませる事を目的としているためなのではないかという事である。

 「御養蚕始の儀」は「明治以降の皇后」が引き継いできた、と説明しているが、主権者国民に対して、もう少し丁寧な説明をすべきであろう。「明治以降」としているがそれは何故かを詳しく説明すべきである。この「儀礼」は神聖天皇主権大日本帝国政府が、国民の精神的支柱とするべく生み出した新興宗教「国家神道(天皇教)」に基づき、皇后の役割として「創出」したものであり、当時の輸出基幹産業であった「生糸産業の発展」を皇祖皇宗(天照大神に始まる歴代天皇)に祈るためのものであったのである。このような背景があるにもかかわらず、説明しない書かない手法は、読者(主権者国民)に「欺瞞」「洗脳」効果を期待する手法と言って良く、まるまる「ウソ」を書く手法と同類である。朝日新聞はこの「儀」が、帝国政府により極めて政治的な意図をもって創られた「儀礼」である事を主権者国民に伝えるべきなのである。

 ちなみに、明治以降の神聖天皇主権の「天皇制」には2つの顔がある。1つは「軍国」の顔であり、もう1つは「慈愛」の顔である。そして、「慈愛」の顔は、臣民(国民)を懐柔し統合する事を目的として見せてきた「顔」である。敗戦後の日本国憲法に定められた「国事行為」の中の特に「栄典の授与」や、「生前譲位のお言葉」にある「象徴的行為(公的行為)」がそれに当たる。また、「慈愛」の顔は女性皇族の「慈愛」の顔で、彼女たちはそれに適った役割を担ってきた。「坤徳」という言葉があるが、これは「皇后の恩」という意味であり、皇后及び女性皇族は積極的に社会事業に関わってきた「顔」である。

 「軍国」の顔は、天皇陸海軍の最高司令官であり、元首であり、政治と軍事の最高権力者の地位にあった事。また、男性皇族は全員軍人となり、軍国日本の象徴であった事である。 

 敗戦により、神聖天皇主権大日本帝国政府が崩壊したあと、新憲法の下に、国民主権の新しい日本国が樹立され、天皇・皇族も、憲法を「尊重擁護」しなければならない立場に立つ事となった。という事は、天皇・皇族は、政府の1機関と考えるべきであるから、憲法第20条3項に定められた「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という事や、第89条に定められた「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という事を「尊重擁護」しなければならないという事である。

 そのように考えると、朝日新聞は、皇后が上記の「御養蚕始の儀」を手前勝手に「伝統」として継承してきた事自体を憲法違反の行為として問題とすべきであり、また、軽率に「伝統」という言葉を使用して説明をするべきではなく、皇后(天皇家)に対して直ちに廃止するよう要求する事を目的として記事を書くべきなのではないのだろうかと考えるのだが。

 皇后や天皇・皇族も「御養蚕始の儀」を行う事などが今日まったく無意味である事を理解すべきである。また、そのために、主権者国民の税金がいかに無駄に費やされているかを理解すべきである。

憲法第88条「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」

(2020年6月19日投稿)

※2022年6月12日朝日新聞は「皇室の伝統行事「養蚕」は明治以降、歴代皇后が継承し、約150年続いてきた。皇后さまは2020年から取り組んでいる。今年は5月11日に「御養蚕始の儀」に臨み、同月19日には天皇陛下とともに蚕に桑の葉を与える「御給桑」を、今月1日には長女愛子様も加わってご一家で、御給桑と、繭造り用の器具である蔟に蚕を移す「上蔟」も行った」と載せた。

※2022年7月13日朝日新聞は「皇后さまが、皇居内の紅葉山御養蚕所で『御養蚕納の儀』に臨んだ。宮内庁によると、皇后さまは、純国産種の「小石丸」と、白繭、黄繭の生糸の束を供えた神前に拝礼した。同庁は同日、生糸の写真を公開した。同庁によると、皇后さまはコロナ禍に伴う様々な制約などがある中、無事に御養蚕納の儀を迎えられ、関係者に感謝の気持ちを示していたという。美しくつややかな生糸を見た皇后さまは、歴代皇后が大切に引き継いできた養蚕を今年も無事に終えられた事を、感謝の気持ちとともに、感慨深く思っている様子だったという。」と載せた(2022年7月13日)。

※2024年6月5日朝日新聞は「皇后さまは4日、皇居内にある紅葉山御養蚕所で、カイコに桑の葉を与える『御給桑』に臨んだ。今年は純国産種『小石丸』約5万頭などを飼育しており、この日は小石丸のカイコ400頭に桑の葉を一枚一枚丁寧に与えていた。カイコがすぐに葉の上に登ってくる様子を見て『もう(葉の上に)上がってきている』などと目を細めつつ、作業にあたっていた。養蚕は明治時代から皇后に受け継がれている伝統行事。」と載せた(2024年6月5日)。

 

 

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皇紀2600年奉祝式典に建築使用した「光華殿」は今いずこ

2025-01-24 22:32:44 | 皇室

 オリンピックを取り上げたメディアの記事のなかに、1940年に神聖天皇主権大日本帝国政府が実施した「皇紀2600年奉祝式典」の事に触れている事がある。ところでこの「式典」実施のために、皇居前に「光華殿」と名づけた「式殿」を建築した。現在その場所には存在しないため目にする事はできないのであるが、建物は1942年にそっくりそのまま「小金井公園」内に移築しているのである。そして、文部省国民錬成所の建物として使用したのである。

 敗戦後は学習院中等科の建物とされ、平成天皇が学んだりしたが、1993年には小金井公園」内に開設された「江戸東京たてもの園」の「ビジターセンター」とされ、「たてもの園」の出入り口兼休憩所として利用されている。

(2020年8月25日投稿)

 

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