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甘粕憲兵大尉による「大杉栄虐殺事件」顛末に見える神聖天皇主権大日本帝国為政者メディアの価値観

2023-08-28 12:20:11 | 関東大震災

 関東大震災後の1923年9月16日夜、甘粕正彦憲兵大尉による大杉栄夫妻と甥虐殺事件が起きた。甘粕は淀橋署特高刑事から大杉の行動予定を聞き出し、16日夕方、任意同行に成功した。

 甘粕とその部下たちは、大杉と同伴の妻・伊藤野枝、甥・橘宗一(6歳)の3人を東京麹町の東京憲兵隊本部に連行し、ろくに尋問もしないで次々に絞殺し、死体は構内の古井戸に投げ込み犯行の隠蔽を図ったという。

 淀橋署は大杉の所在は教えた事により、大杉たちが行方不明となったので、警視庁に「憲兵が検束した。その後不明。あるいは殺されたか」と報告した。警視庁は戒厳司令部に照会したが、憲兵司令官・小泉六一は「検束」をも否定した。

 9月18日夜、『報知新聞』夕刊が「大杉夫妻行方不明、憲兵が連行」との記事を載せたため、警視総監・湯浅倉平山本権兵衛首相に改めて報告した。陸相・田中義一に糾した。田中は「激怒」して、同月20日で小泉、小山介蔵・東京憲兵隊長(甘粕の直属上司)を停職処分とした。福田戒厳司令官も更迭した。

 陸軍当局は、隠蔽や正当化は困難である考え、24日に甘粕の殺人行為を明らかにし、軍法会議にかける事を発表した。発表文は「(甘粕の)犯行動機は、平素より社会主義者の行動を国家に有害なりと思惟しありたる折柄……大杉栄等の震災後未だ(治安の)整わざるに乗じ、如何なる不逞行為に出づるやも計り難きを憂い、自ら国家の蠧毒を芟除せんとしたるに在るが如し」というものであった。

 軍法会議は10月8日が初公判であった。新聞はこの裁判を異例の大きさで記事にし、「社会主義者の奸計を未然に防いだ国士」として祭り上げた。報道界も国民も、甘粕は上からの命令に従ったものと受け止め、個人的な憎悪の対象とはならなかったようだ。

 また、軍首脳は、甘粕は信念に基づいて社会主義者は殺しても、子殺しをするような殺人鬼ではないというキャンペーンをはり成功した。

 甘粕本人は、「子どもを殺す必要はないと思っていた。子どもまで殺す気はなかったが、部下がやってしまった。しかし、すべて自分の責任である」と露骨に部下の罪をかばう上官を演じた。

 判決は12月8日。甘粕は懲役10年(求刑15年)と軽かった。しかしそれさえ、甘粕は刑期の3分の1を務めただけで、1927年2月に釈放され、陸軍の金で妻同伴で渡仏した。1930年には満州に姿を見せ、陸軍の特務機関と深い関係を持ち、満州国政府の要職を歴任し、晩年は満映理事長として暗躍した。そして、1945年8月20日、ソ連軍の満州侵入に際して青酸カリ自殺した。甘粕正彦憲兵大尉らによる大杉栄夫妻らの虐殺は「陸軍による犯罪」だったというべきである。

(2020年5月8日投稿)

 

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関東大震災下、陸軍警察主導で組織的に実行された王希天など中国人大量虐殺受難者慰霊式から日本の労働運動が学ぶべき事

2023-08-28 12:01:40 | 関東大震災

 今年2018年は関東大震災から95年。大震災下で陸軍警察主導で虐殺された在日中国人の慰霊式(今回で6回目)が9月9日、「関東大震災中国人受難者を追悼する会」の主催で実施された。同会の共同代表は、田中宏・一橋大名誉教授、林伯耀・旅日華僑中日交流促進会。

 関東大震災では、朝鮮人虐殺や日本の社会主義者・大杉栄夫妻らの虐殺(甘粕事件)や河合義虎、平沢平七ら10人の虐殺(第2次亀戸事件)はよく知られていると言って良いが、中国人の大量虐殺(大島町事件)と王希天虐殺事件は知られているとは言い難い。しかし、虐殺受難者名簿だけでも750名以上が記載されているのである。そして、今日においても日本政府(安倍自公政府)は陸軍警察による王希天を含む中国人虐殺を認めておらず隠蔽し続けているのである。その事は歴史を改ざんしている事でもある。そして、もちろん賠償もなされていない

 慰霊式には王希天の遺族ら15名が出席した。挨拶した来賓は、服部良一社民党国際担当常任理事、中村まさ子江東区議会議員などであった。

 なお、遺族は安倍自公政府(日本政府)に以下の事を要求している。

1、日本政府は必ず、国家としての責任を負い、この歴史的事実を認め、1923年関東大震災時に虐殺された旅日中国人労働者・行商人及び彼らの遺族に謝罪する事。

2、1924年に日本政府(清浦内閣)が決定した賠償方針(1人400円の慰藉金)に基づき、現行の国際慣例、物価水準に適合させ、受難者人数を修正(当時、死者不明あわせて約500人とした)のうえ賠償を実施する事。

3、歴史を以って鑑とし、後の世代にこの歴史事実を伝えるため、受難現地に、記念碑を建立し、並びに中国人と朝鮮人を含む虐殺歴史記念館を建設する事。

4、日本の歴史教科書に書き入れ、日本の若い世代にこの歴史を知らしめ、そこから教訓をくみ取らせる事。

などの4点である。

 大日本帝国下の憲法においては、天皇が主権者であり、国民は主権者とされておらず、国民に知る権利を認めず、神聖天皇政府に都合の良いように改ざん、隠蔽、湮滅がまかり通っていたのである。そして、それを継承するのが安倍自公政権である。

 ちなみに、王希天虐殺事件は、軍隊や警察によって社会主義者や労働運動活動家らが殺害された亀戸事件や、大杉事件と根は同じである。社会主義者をやっつける事は即出世につながると考えられていた時代であった。排日の巨頭、日本の社会主義者らとの交友、共済会での労働者の人権主張など、どれをとっても王希天は日本の官憲には目障りな存在だったのである。この官憲の行為に対してはそれを支持する国民の中国人朝鮮人など外国人に対するいじめと排除意識が育まれていた。この事件は労働行政に問題があり、中国人労働者政策に問題が存在したのであるが、日本の労働運動にも大きな衝撃を与え、この後、総同盟と評議会に分裂した。また、神聖天皇主権大日本帝国政府は、1925年には治安維持法を公布し、国民を戦争への道へ向かわせるのであった。

 王希天と交友関係にあった学生たちは、後に中国共産党の主要メンバーとして、あるいは市民として中国解放に身を挺したが、この事件を隠蔽した神聖天皇主権大日本帝国帝国政府の首謀者たちは、軍国主義の主要メンバーとして侵略戦争を推進したのである。

 外国人労働者問題はまさに現代の問題である。主権者国民は、安倍自公政権や東京都知事など為政者による過去の歴史の隠蔽行為を許さず、過去の真実から教訓を学びとり、自らを幸福へ導く生き方を大切にすべきである。

(2020年9月4日投稿)

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「朝鮮人虐殺」内閣府HP、「削除ではない」と前言をごまかし本音を隠蔽し開き直る

2023-08-28 11:57:32 | 関東大震災

 2017年4月19日、内閣府は、HPで中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会(2003~10年度)報告書」が閲覧できなくなっている件で記者会見を開き、閲覧できない理由は「HPの刷新に伴うもので、意図的な削除ではない。技術的な問題で、刷新が終われば4月中にも再び閲覧できるようにする」と説明した。

 関東大震災の報告書の第2編(09年作成)には「殺傷事件の発生」として「朝鮮人虐殺」について、「震災全体の死者・行方不明者が10万5千人を超え、このうち殺害による死者数を1~数%と集計。官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と書いていた。

 ところで、4月18日の段階で内閣府の担当者の説明では、「朝鮮人虐殺」の内容について、「なぜこんな内容が載っているんだ」という苦情批判の声が多く、掲載から7年も経つので担当部局内での判断で、すべての報告書を載せない決定をし、データを順次消す作業をしている。掲載した資料は今後も保管され、希望者にはメールでの配布を検討する」としていた事を考えれば、冒頭の記者会見の説明とは整合性がない事は誰の目にも明らかである。つまり、事実は意図的な「削除」(歴史を修正する)であったが、問題が大きくなり、安倍政権の評価にマイナス影響が出る可能性を恐れて、速やかな火消しを狙い、とりあえず前言をごまかすために詭弁を弄し、追及をかわして開き直ろうとしている事は疑いない。また、安倍政権に追及が及ぶのを避けるために「担当部局内での判断」とし、さらに、自己が責任をかぶる事をも避けるために「技術的な問題」という説明で事実をスリカエているのも姑息な考えである。「削除した意図は安倍政権にとって都合が悪く認めたくない歴史的事実であるからで、それを国内外の眼に触れないように隠滅しようとしたと考えて間違いない。安倍政権は自己にとって都合の良いように歴史を書き変える事を意図しているのである。その事によって国民を洗脳し、政権を支持するようにさせようとしているという事である。

 以下に、朝鮮人虐殺の実態を紹介しておこう

 関東大震災は1923年9月1日正午頃に起きたが、午後3時頃には早くも「社会主義者及び鮮人(朝鮮人への蔑称)の放火多し」「鮮人が井戸に毒を入れた」「鮮人が暴動を起こしている」などの流言が発生し、翌2日午前10時頃には「不逞鮮人の来襲あるべし」となり、午後2時頃には「鮮人約3千名、既に多摩川を渉りて洗足村及び中延附近に来襲し、今や住民と闘争中なり」というまでに拡大した(警視庁『大正大震火災誌』)。この流言は計画的に流されたものであるか、民衆の対朝鮮人蔑視感情の裏返しの恐怖感の爆発なのかは明確ではない。しかし、その流布に警察、軍隊が大きな役割を果たした事は否定できない。というのも、2日、警視庁は朝鮮人の厳戒を管内に命令していた。また、同日在郷軍人を中核に組織された自警団が、午後6時発令の戒厳令下で広範な朝鮮人狩りを行っていた。自警団は、鳶口、竹槍、こん棒、銃剣などを持って全通行人を検問し、朝鮮人と疑わしきものは手当たり次第に殺した。3日、朝鮮人の暴動が事実無根とわかり、当局は自警団の行き過ぎを抑えようとしたが、抑えきれなかった。荒川放水路、利根川原、多摩川原などでは数百人の朝鮮人が殺された。暴行の範囲は東京、横浜から関東一円に及び、被虐殺者3000名とも6000名ともいわれる。朝鮮人虐殺が行われている時、社会主義者の虐殺も行われた。亀戸事件と大杉事件である。

 朝鮮人革命家金山の回想を聞き取った、ニム・ウェールズ『アリランの歌』では、「9月3日、政府は東京の警視総監に朝鮮人無政府主義者と民族主義者が日本人無政府主義者と協力して家を焼き払い、人々を殺し、金銭や財産を盗んだりしている旨を布告させ、住民には生命と財産を守るためにあらゆる必要手段を用いよ、と訴えた。この布告は人目に付くあらゆる場所に貼りだされた。それは嘘であったし、住民の大多数はどう考えてよいかわからなかった。しかし、反動どもはすでに20人ないし100人ずつの隊をつくって密に動員され、短刀、竹槍、日本刀、ハンマー、鎌などをふるって、たちまち虐殺を始めた。多くの朝鮮人に竹槍で拷問を加えながらなぶり殺しにした。拷問者たちはまわりに並んで拍手喝采した。若い女学生や婦人もそれに加わった。……3千名の死者は大部分東京、大阪、名古屋など不安動揺しつつあった工業中心地で殺されたものである。9月5日に、日本政府は虐殺を中止する事、また警察はすべての朝鮮人を保護すべしという命令を出した。そうした上で、約10万人を朝鮮に強制送還した。朝鮮人同胞が虐殺されていたその時に、朝鮮本国ではすべての朝鮮人家庭が米を無料供出して日本人を助けねばならなかった。われわれ朝鮮人は日本人を飢餓から救うため200万担(1担=約60㌔)の米を与えたのだ」としている。

 そしてこれらの事件は、前年の議会で廃案となった過激社会運動取締法案が9月7日に治安維持の緊急勅令として発動されたり、1925年の治安維持法制定の大きなきっかけとなった。

(2017年8月26日投稿)

 

 

 

 

 

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関東大震災下の朝鮮人虐殺:プロ文雑誌『種まく人』は直後に政府・メディアの国民への説明姿勢に抗議した

2023-08-28 11:37:06 | 関東大震災

 関東大震災においては、神聖天皇主権大日本帝国陸軍が1日即座に事実上の「戒厳令」(正式には2日)を発令し、政府内務省朝鮮人虐殺報道を禁止した。そのためもあって、政府が報道を解禁する同年10月21日になってやっと新聞は自警団などによる朝鮮人に対する暴行虐殺を報道した。しかし、そのような状況下で、すでに3日の時点で小牧近江らのプロレタリア文学雑誌『種まく人』は、「帝都震災号外」を発行し、自然災害においても貧困者の多くが最も悲惨な目に遭う事や、軍隊や警察、自警団(在郷軍人、青年団など)などによる朝鮮人に対する暴行虐殺について、政府が国民に対してまったく釈明をしない事について厳しく抗議していた事を忘れてはならない。それは、

「震害地に於ける朝鮮人の問題は、流言飛語として政府側から取り消しが出たけれども、当時の青年団その他の、朝鮮人に対する行為は、厳として存在した事実である。悲しむべき事実である。呪詛すべき事実である。憎悪すべき事実である。拭うても拭うても、消す事のできない事実である。震災と共に起こった、こうした事実を目の当り見せつけられた僕たちは、出来るだけ冷静に、批判考究、思索の上、僕たちの立場からして敵味方を明確に凝視する必要を感ずる。果たしてあの、朝鮮人の生命に及ぼした大きな事実は、流言飛語そのものが孕んだに過ぎないのだろうか?流言飛語そのものの発頭人は誰であったか? いかなる原因で、その流言飛語が一切を結果したか? 中央の新聞は、青年団の功のみを挙げて、その過を何故に責めないか? 何故沈黙を守ろうとするのか?」というものである。

※歴史は語らなければ、なかった事にされてしまう。権力の横暴との闘いは自身の記憶(記録)との闘いである。

(2019年2月16日投稿)

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ALPS(多核種除去設備)が除去できないのはトリチウムだけでなく発がん物質ストロンチウムやDNA損傷の炭素14ほか多数

2023-08-28 10:48:25 | 原発

 東京電力社長・小早川智明氏は、2021年4月16日の福島市内での会見で、福島第一原発の「汚染水」を「海洋投棄処分」する前提として、「トリチウム以外放射性物質については、規制の規準を確実に下回るまで何回でも浄化処理をする」としているが、ALPSでは取り除く事ができない、「汚染水」に含まれている放射性物質は、トリチウムだけではないようである。

 グリーン・ピースによると、ALPSではトリチウムだけではなく、炭素14も取り除く事ができない。また、取り除くはずであったが残ってしまっている放射性物質は、ストロンチウム90、セシウム137、セシウム134、コバルト60、アンチモン125、ルテニウム106、要素129、プルトニウムなどたくさんある。

 ストロンチウム90は、カルシウムに化学的性質が似ており、人の体内では骨や骨髄に蓄積して発ガンの危険性がある。炭素はすべての生き物の基本構成要素なので、炭素14は体内のあらゆる場所で細胞DNAを損傷する可能性もあるという。

(2021年4月17日投稿)

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