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(改訂版)岸田首相の安倍追悼の辞を読み解く

2024-09-26 23:28:52 | 国葬

 2022年9月27日、安倍氏の「国葬」名の違憲違法の非合法葬儀を強行した岸田首相が、自身の「追悼の辞」にどのようなメッセージを盛り込んでいるのかを、思いつくまま読み解いてみよう。

 まず、「追悼の辞」の最初に「従一位、大勲位菊花章頸飾」と安倍氏が受章している勲位名を述べているのは、安倍氏を「国葬」とする事が、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府における「国葬令」(1926年10月21日公布、1947年12月31日失効)に基づき正当なものであると表明しているという事である。「国葬令」第3条には、「国家に偉功ある者に対し、天皇の特旨により国葬を行う事ができる」とあり、「国家に偉功ある者」とは、複数の組閣経験と没日以前に最高位の「従一位、大勲位菊花章頸飾」を授賞している事などとなっていたからだ。戦前回帰をめざす岸田自民党首相としては当然の事だったのだ。また、国民の反対を押し切って強行実施したのは、実際はどうであれ、本来の「国葬」を実施したように後世の国民に思い込ませるために、歴史を捏造するためでもあった。そのためには、現行の憲法や法制度において違憲違法であろうと、国民の非難反対に遭い黙祷や弔意表明の協力を要請できず戦前のように実施できなかろうが、何が何でも「国葬」の名称使用にこだわったのである。これは意図的な憲法や法律の蹂躙であり、現行の民主主義政治体制国家体制を変更する政治テロ行為である。

 岸田首相は、現行の民主主義政治体制国家体制を変更し、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰をめざした安倍自公政治を正当化し、積極的に支持し継承する決意を表明している。例えば、「この国の進むべき道を、聴衆の前で熱く語りかけておられた」「あなたは、まだまだ、長く、生きていてもらわなければならない人でした」「日本と世界の行く末を示す羅針盤として、10年、いや20年、力を尽してくださるものと、わたくしは、確信しておりました」「わたくしは、外務大臣として、その時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとする」「(拉致事件について)わたくしはあなたの遺志を継ぎ、全力を尽くす所存です」「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓う」などの表現に、安倍自公政治のすべての正当化と安倍氏に対する熱い支持の意思を表明している。偏向した憎しみや加害者意識のない正義感も含めて

 岸田首相が支持する安倍自公政治については、「次々と戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題にチャレンジした」事であると評価し、それはまず「私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ」という表現は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰の意志を伺わせる。具体的に「(安倍氏の)国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省へ昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けた。教育基本法を改め新しい日本のアイデンティティの種を蒔きました」と述べ、岸田氏は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰をめざす意志を明確にしている。

 岸田首相が支持する安倍氏の安全保障政策については、「米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、インド、オーストラリアとの連携を充実させて「クアッド」の枠組みをつくった」「平和安全法制、特定秘密保護法など、我が国の安全は、より一層保てるようになった」とし、対中国、ロシア、北朝鮮に対する敵視政策を支持している。

 岸田首相は、日本の青年たちに対し、安倍氏のように生きる事を勧めナショナリズムの高揚を煽っている。「『戦後レジームからの脱却』を実現するのは、私たちの勇気と、英知と、努力である。日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか」と述べ、安倍氏を、「あなたこそ勇気の人であった」と讃え、青年たちのめざすべき理想の人物と述べているのである。

 そして、岸田首相は、国民にはもちろん世界の人々に対しても、実態(米国追随の北朝鮮中国敵視政策のみの安保体制の強化や、沖縄県民の意志を無視した政治姿勢などなど書き尽くせない)とは全く正反対であり許すべからざる「欺瞞」を極めつくした言葉安倍氏を称賛顕彰している。それが「日本と、地域、さらには世界の安全を支える頼もしい屋根をかけ、自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に、世界のだれより力を尽したのは、安倍晋三その人でした」というものである。この「国際秩序」というのは米国政府(また将来的には日本の自民党政府)以外の政府がリーダーであってはならないとする考え方のものである。

(2022年10月1日投稿、2日改訂)

 

 

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岸田首相が内閣府設置法を解釈変更し、安倍氏の「国葬儀」を閣議決定した法的根拠なきモデル

2023-12-10 19:47:46 | 国葬

 「国葬令」は、神聖天皇主権大日本帝国政府が1926年10月21日に、勅令「大正15年勅令第324号」として公布したもので、「国葬」の規定を明文化したものである。その第3条は「国家に偉功ある者」に対し、「天皇の特旨により国葬を賜う事ができる」としている。しかし敗戦後、「国葬令」は失効したので、「国葬」はなくなった。

 新皇室典範における葬儀の規定も第25条のみで、「天皇が崩じた(死去)時は、大喪の礼を行う」とだけある(2019年制定の皇室典範特例法では、上皇の崩じた(死去)時も大喪の礼を行う事を加えた)。これにより、1951(昭和26)年の貞明皇后(大正天皇の皇后)の死去時には「事実上の国葬」(国葬に準ずる)を実施したが「国葬」とは明確にせず、皇族については「国葬」を実施していない。2000(平成12)年に死去した香淳皇后(昭和天皇の皇后)も同様であった。

 敗戦後、「国葬令」失効後の1967(昭和42)年10月20日に死去した吉田茂元内閣総理大臣の葬儀については、佐藤栄作内閣総理大臣が「国葬儀」なる形式を閣議決定し、同年10月31日に日本武道館で実施した。この「国葬儀」なる形式による実施について佐藤自民党政府は、「国葬」と「国葬儀」とは異なるという欺瞞的詐欺的見解を主張し「国葬儀」を正当化した。しかも、「国葬儀」当日は、官公庁のみならず一般国民にも、黙祷や弔旗の掲揚行事や歌舞音曲の自粛を要求し「国葬」と変わらぬ状況を呈した。

 1968年5月の衆議院決算委員会においても、当時の田中龍夫総理府総務長官行政措置としての国葬儀である」と以下のような意味不明で根拠法も存在しない「国葬儀」なるものを正当化する屁理屈答弁を行った。

「今後これに対する何らかの根拠法的なものは作らないかという御趣旨でありますが、これは行政措置といたしまして、従来ありましたような国民全体が喪に服するといったようなものはむしろ作るべきではないので、国民全体が納得するような姿において、本当に国家に対して偉勲を立てた方々に対する国民全体の盛り上がるその気持ちを組みまして、その時に行政措置として国葬儀を行うという事が私は適当ではないかと存じます」

 1969(昭和44)年の参議院内閣委員会においても、当時の床次徳治総理府総務長官は、以下のような独善的な屁理屈答弁をしていた。

「今お話にありました国葬という事の意義自体が、今日の考え方と、あるいは過去において使いましたものと、必ずしも観念が合致していないのじゃないかと思います。この点はひとつ十分検討する必要がある。国民をあげて喪に服するという考え方、あるいは国の経費をもって葬儀を行う、この点、端的に申しますと、この二つの間にはかなり差があります。したがって、今後国葬というものを、どちらを主体にして考えていくかという事になりますと、なかなか、ご意見のように、国をあげて喪に服するという事になると、やはり一つの形が考えられるわけでありまして、この点は十分ひとつ検討すべきものと考えておりますので、さよう申し上げた次第であります。

 只今御引用になりました吉田元総理の葬儀につきましても、国葬儀として取り扱うという事になって、儀という字が入っておる。国葬そのものではないところに、その当時色々検討致しました結果、ああいう取り扱いになったと承っておるのでありまして、御意見もありますが、しかしこの点は十分検討致したいと思います」

 つまり、「国葬」とは、国費をもって葬儀を実施するだけでなく、国民あげて喪に服する事を要求するものであり、「国葬儀」としたのは、政府が経費を出して葬儀を実施するだけのもので、区別すべきであると、依拠する法律もない事を無視して非合法の「国葬儀」(事実上の「国葬」)実施を正当化する答弁をしていた。

 岸田文雄内閣総理大臣は、上記のような吉田茂の「国葬儀」強行のための詐欺的屁理屈手法をテキストとし、さらにそれに加え、国会でも国民間においても共通認識となっていないにもかかわらず突如、内閣府設置法第4条第3項33号を「国の儀式である国葬儀行政権の作用に含まれる」という再びの詐欺的屁理屈で解釈変更し、むりやり根拠法に仕立て、2022年に安倍晋三元内閣総理大臣を「国葬儀」と閣議決定し、同年9月27日に実施したのである。これでは法の支配もなく法治主義でもなく自公政権が権力を濫用して国民を支配する独裁国家にすぎない。

(2023年4月7日投稿)

※2023年7月3日、松野博一官房長官は記者会見で「国葬儀として執り行う事を決定した場合には国会に対して説明し、終了後は概要を国会に報告する事が適当であると考える。時の内閣において責任を持って判断していく(明文化しない)」などと述べた。法制化しない事は、政府がよく主張する「法の支配」の尊重の下では、今後政府は「国葬」を実施するよりどころとなる法律が存在しないのであるから、「国葬」は実施出来ないと理解するのが常識的な理解である。それでもなお上記のような理屈を主張し「国葬」を強行実施するならば、それは「非合法」行為であり、「犯罪行為」と見做されても仕方がないと警告する。主権者国民憲法に則りそのように理解している。自公政府は上記のような「非常識な理屈」を懲りずに改めて再び主権者国民に押しつけているが。自公政権はその思考様式や政治姿勢が独善的で非民主的で今日通用しない事を自覚すべきだ。

(2023年7月28日投稿)

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