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焼き捨てられた「日の丸」─1987年沖縄国体

2024-08-10 11:34:58 | 国旗・国歌

 1987年に開催された「沖縄国体」では、10月26日の「ソフトボール開始式」直前の10月22日に、日本ソフトボール協会会長・広瀬勝氏は沖縄県国体事務局に電話をかけ、26日の「開始式」で「日の丸」「君が代」を実施しないのであれば「会場を変更せざるを得ない」と通告していた。それも同協会の他の役員に諮っていない独断であった。

 「国民体育大会開催基準要項」は国体主催者が作成し、主催者は、財団法人日本体育協会・文部省・開催地都道府県とし、各競技会については会場地市町村を含めたものとなっていた。「基準要項」18大会式典(四)には「次の項目を必ず式典中に取り入れるものとする」とあり、その項目の中に、➀秋季大会開会式があり、「国旗掲揚」(国旗・国歌法の成立は1999年8月で、「日の丸」「君が代」はこの時点で法的には国旗ではない)「天皇陛下お言葉」がある。しかし、「君が代」はなかった。

 沖縄県「実施要項」は、「基準要項」にもとづいて作成されたが、〈一、基本方針〉では、「各競技会の開始式及び表彰式は、基準要項、同細則に基づき、会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議のうえ実施する」とし、〈二、式典内容〉の「エ」では、「国旗掲揚」と明記。「基準要項」では「大会開会式」には必ず「日の丸」掲揚しなければならない事になっていたが、各競技会における「開会式」においては、協議する余地があるにもかかわらず、沖縄県(西銘順二県知事1978.12.13~1990.12.9)は「国旗掲揚」とした。

 沖縄国体が終了した12月10日、「沖縄タイムス」(本土メディアは報道しなかった)が、「日体協国体委員会国体開催基準要項細則改定した事について以下のような記事を掲載した。

「これまで明確にされていなかった開始式、表彰式での国旗掲揚を、開、閉会式と同様、実施要項に盛り込み、義務付けた。開始式、表彰式の国旗掲揚は、開催基準要項及び細則で明記されていなかった事から、実施に際しては開催県の国体事務局などが別途に開始式などの式典要項を作成し、これに国旗掲揚を盛り込むケースが多かった。今回の改定は、読谷村の問題(ソフトボール会場での「日の丸」焼き捨て事件)の再発を防ぐ狙いからと受け止められる」

(2024年8月10日投稿)

 

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改訂版:日の丸・君が代は国家神道(天皇教)のアイテムだ!要請は信教の自由を侵害する憲法違反だ!

2023-09-14 08:58:13 | 国旗・国歌

 2015年4月に、「適切な対応を要請したい」と表明していた安倍自公内閣の下村文科相が6月16日、東京都内であった国立大学長会議で、全86の国立大学長らに対して、卒業式や入学式で、国旗国歌について「取り扱いについて適切にご判断いただけるようお願いする」「ただし、学習指導要領に基づいて実施を指導してきた小中高校とは異なり、各国立大学の自主的な判断に委ねられている」と述べた。記者団の「適切な判断とは国旗を掲揚し、国歌を斉唱する事か」という質問に応え、「文科省としてそういうお願いをした」「最終的に各大学の判断。大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない。お願いしているだけだ」と答えた。(4月安倍首相は、参院予算委員会で、国立大に税金が投入されている事を理由に、国旗掲揚国歌斉唱が「正しく実施されるべきだ」と述べた。教育再生実行会議委員の麗澤大教授・八木秀次(日本会議)は「学問の自由への介入ではない、小中高では学習指導要領で浸透したのに、多額の税金が投入されている国立大があえてしないとしたら国立大とは一体何なのか、国旗は日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」と主張。)

 6月15日、安倍自公政権文科省の有識者会議が、「国立大学改革」の一環として国立大への「運営費交付金の配分」見直しを決定したが(この見直しの発想に問題があるが、人文社会系学部の廃止の発想と同じであるが)、彼らはこの交付金の配分見直し」と「要請」をリンクさせている。掌握している権力を恣意的に利用し(私物化)、表面的には「自主的な判断を」とか「お願いしているだけだ」と言ってるが、本音では「言う事を聞かないのなら金はやらないぞ」という「脅し」をかけて、強要している。この手口(麻生副首相の言葉)は陰険な嫌がらせや制裁をちらつかせて認めさせるやくざの手口」と同じであり、民主主義政治では許すべき事ではない。敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国では権力側為政者の常套手段であったが、安倍自公政権ワールドはその時代錯誤の体質を強くもっており、放置できない。彼らは2018年度から小中学校の「道徳」を正式教科としたが、今回の「要請」(強要)を見ても、生徒に国民に対し「道徳をうんぬんする資格」を有しているとは思えないし、他の政策(安保保障法制)の審議姿勢をみても国民の権利と幸福を保障しなければならない事を使命とする「為政者としての資格」を有しているとは思えない。

 彼らはまた、「要請」について「大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない」(下村)とか「日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」(八木)と主張するが、このような要請(強要)は憲法第23条の「学問の自由はこれを保障する」事を侵害しているし、改正教育基本法第7条「大学」にうたう「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供する事により、社会の発展に寄与するものとする」②「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」という事を無視したものである。まさしく強要」であり「介入」以外の何物でもない事は明白であるし、そもそも「お願いする」というような表現をする類の事柄ではない重要な事柄である。しかし、それを無視し正当な事として「要請」するというところに、彼ら安倍自公政権ワールドがいかに民主主義を尊重していないかが証明されているし、「民主主義を大切に思う国民」にとって危険な集団であるかを感じさせる。

 さらに、今回の「要請」を「強要」「介入」「憲法違反」として批判・抗議・阻止しなければならない根本的な理由は、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚・国歌斉唱」を強要する本当の目的を許すわけにはいかないからだ。 

 安倍自公政権ワールドはひた隠しにしているが、それは国旗=日の丸」「国歌=君が代が明治から敗戦までの間、学校教育や国民教化において恐ろししい力を奮っていた天皇教(国家神道)」の宗教アイテムだったからである。キリスト教でなぞらえるならば、国旗は「天照大神をシンボライズしたもので「キリスト像」にあたり、国歌は「天皇を讃える歌で「讃美歌」にあたるものであったからである。ちなみに、キリスト教の経典「聖書」にあたるものは、「教育勅語であった。安倍自公政権ワールドは神聖天皇主権大日本帝国への回帰国家神道の復活を目指しているが、この実施率の多寡が、かつての敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国と同様に、彼らにとっては国民に皇国臣民としての自覚を持たせる指導の成果を測る指標となるのである。そのために彼らにとって絶対譲れないものが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」の例外を認めない強要なのである。安倍自公政権ワールドは、神聖天皇主権大日本帝国への回帰天皇教(国家神道)の復活という目的を、国民にウソをついて騙し、「やくざの手口」を使い達成しようとしている。

 以上の事から分かるように、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」を「強要」するという事は、国家権力が「国家神道」という宗教を「強要」する事であり、憲法第20条「信教の自由を「侵害」するものなのである。また、改正教育基本法第15条「宗教教育を侵害するものなのである。

⇒憲法第20条「信教の自由」➀信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加する事を強制されない。③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

⇒改正教育基本法第15条「宗教教育」②国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教活動をしてはならない。

 この安倍自公政権ワールドに対して、民主主義政治を尊重する立場に立つ者としては当然の事ながら、抗議し阻止しなければならないという事になる。闘いを挑まれた、大学教員や弁護士ら計216人が呼びかけ人となり、「国旗に正対しての国歌斉唱は国家への忠誠を誓わせる儀式で、大学に要請するのは言語道断」とする声明が発表され、6月10日、文科省に提出されるなど各地で抗議の動きが巻き起こっている。

 安倍自公政権ワールドは、日本のすべてを永遠に私物化する事をめざしているが、我々は独裁政治をする安倍自公政権ワールドに、日本の自然や郷土や国家、生活や人生や命を委ね任せるわけにはいかない。内閣総辞職、衆議院解散、政権交代を目指そう

(2015年7月4日投稿) 

 

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旭日旗は国会で法律として制定されたものではない。小野寺前防衛相は国民を欺いている

2023-05-26 18:52:22 | 国旗・国歌

 韓国海軍の報道官が2018年9月27日、済州島で開く「国際観艦式」に関して、日本などの14の参加国に対し、「自国の国旗と太極旗だけを掲揚するのが原則である」とする通知を8月31日付で伝えたと発表した。日本の海上自衛隊に対し、発足以来自衛艦旗として使用してきた「旭日旗」を使用しないよう要請する事を目的とするものであった。また、10月3日には「艦首と艦尾に旗を掲げない」との条件も追加した。

 これに対し小野寺前防衛相は9月28日、「国内法令で義務づけられており、当然掲げる事になる」「国内法に則って対応する」という安倍自公政権の意志を表明した。

 ところが、安倍自公新政権の岩屋毅防衛相は10月5日、観艦式に際し「護衛艦の派遣を中止する」と発表した。

 海上自衛隊の自衛艦は、形式上では「軍艦」としての要件をすべて果たしているが、国内法では「軍艦」としての地位は与えられていない。しかし、海洋で活動するという特性上、外交上では治外法権など国際法軍艦としての地位(特権)の一部が認められている。このような事から「自衛艦旗」は、正確には「軍艦旗」とは言えないが、外交上では「軍艦旗」と同じ扱いを受けている。

 ところで現在の「自衛艦旗」いわゆる「旭日旗」についてであるが、小野寺前防衛相は「国内法令で義務づけられている」「国内法に則って対応する」と主張し、「自衛艦旗」が「旭日旗」であるかのように受け取れる主張をしていたが、それはそういう意味で受け取るべきでなく、「旭日旗」であるか否かはさておいて、単に一般的な意味で、「自衛隊旗」を「掲げるか否か」という事についてであって、自衛隊法では「揚げる事が義務づけられている」という事を主張していると考えるのが正しい受けとめ方であろう。なぜなら、国会で、「自衛艦旗」は「旭日旗」とする、とした法律が制定された事実は存在しないからである。つまり、「旭日旗」は法律で定められたものではないからである

 神聖天皇主権大日本帝国海軍の軍艦旗をそのまま自衛艦旗とする事を決定したのは、時の首相吉田茂の判断によるものだったからである。小野田前防衛相は故意に上記のような主張をし、国民を欺こうとしていると言って良い。

 また、韓国政府の要請は、「旭日旗」がなぜどのようにして「自衛艦旗」とされたのかという経緯について、主権者国民が気づく機会を与えてくれたとともに、2人の防衛相や安倍自公政権の主張や姿勢が正当性を有するものかどうかや「旭日旗」を今後も「自衛艦旗」として使用する事が良い事なのかどうかを改めて考えてみる機会を与えてくれたと言って良いのである。(2018年10月7日投稿)

※2021年7月18日の朝日新聞によると、オリパラ大会組織委員会は、「旭日旗のデザインは日本国内で広く使用されており、政治的主張にならない」として、旭日旗を競技場内への持ち込み禁止物品にはあたらないとしているという。また、日本の大会関係者は「IOCと韓国のやりとりは把握していないが、その後の取り扱いにも変更はない」と話しているという。組織委員会も大会関係者も、まともな判断力を持ち合わせていないようだ。民間で使用するものがいる事と、政府が公的な場所で使用を認める事とは意味が異なる事も理解できないようだ。実態は、理解したうえでの事であるのは見え見えであるが。そして、持ち込んだ者に責任を負わせ組織委らは責任を回避しようとする姿勢にも極悪な陰険さがうかがえるというべきである。

(2021年7月19日投稿)

 

 

 

 

 

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「君が代」では何故「さざれ石(小石)」が「巌(大石)」となるというのか?

2021-06-01 21:44:45 | 国旗・国歌

 人類は大昔、森羅万象に「霊魂」が宿っていると信じていたという。そして、大昔、日本列島に住んでいた人間も同様であったという。それを「アニミズム(有霊観)」ともいう。

 広辞苑では「自然界のあらゆる事物が、生物と無生物とを問わず、生命を持つものと、それに精霊特に霊魂観念を認める心意」としている。

 木には木霊、稲には稲霊、言葉には言霊、国には国霊、家にも船にも道具類のようなものにも霊魂があると思っていたという。

 そして、民俗学においては明らかになっているが、日本人は、「」にも霊魂が宿っていて、その霊魂が成長すればその「」も大きくなると考えていたようである。

 この事から、国歌とされた「君が代」の「さざれ石(小石)巌(大石)になる」とするのは、この「」が成長するという信仰を背景にしていると考えられ、「」=「天皇」の長寿を願う事を意味する歌なのである。

 ちなみに、「君が代」は極めて原始的宗教色の濃い歌であるという事にもなる。世界の国々の中でも唯一のものだろう。憲法の政教分離原則との関係も興味があるが。

(2021年6月1日投稿)

 

 

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2012年野党自民党の国旗損壊罪新設法案に対する日本弁護士連合会会長の反対声明

2021-01-29 22:33:43 | 国旗・国歌

 2021年1月26日、自民党「保守団結の会」所属の高市早苗氏らが、下村博文政調会長と面談し、日本の名誉を守るため、日本国旗(日の丸)を傷つける行為を罰する「国旗損壊罪」を新たに盛り込んだ刑法改正案を、今国会に議員立法で提出するよう要請し、下村氏がそれを容認した。ところで、この趣旨の法案は2012年自民党が野党時代に提出して廃案になった過去がある。今回の動きはそれを再度蒸し返すものである。それに対抗するため以下に、当時日本弁護士連合会が会長名で出した「反対声明」を紹介したい。

「■刑法の一部を改正する法律案(国旗損壊罪新設法案)に関する会長声明■

自由民主党は、5月29日、日本国を侮辱する目的で国旗を損壊し、除去し、又は汚損したものは2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する『国旗損壊罪』を新設するための刑法改正案を国会に提出した。自由民主党の説明では、現行刑法には、外国の国旗については損壊罪が明記されているが、自国の国旗に関する条文がない事が問題だという。

刑法における外国国章損壊罪が規定された理由は、それらの罪に当たる行為が外国を侮辱するものであることから、国際紛争の火種となり、外交問題にまで発展する可能性があり、ひいては日本の対外的安全と国際関係的地位を危うくするからとされている。他方、上記「国旗損壊罪」の保護法益は明確ではないが、少なくとも外国国章損壊罪と同様の保護法益が存在しないことは明らかである。

日本において国旗とされる日の丸は国民の間に広く定着しており、愛着を感じる人も少なくない。しかし、国家の威信や尊厳は本来国民の自由かつ自然な感情によって維持されるべきものであり、刑罰をもって国民に強制することは国家主義を助長しかねず、謙抑的であるべきである。同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告スポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。

この点、米国では、連邦議会が制定した国旗保護法の適用に対し、連邦最高裁が「国旗冒涜を罰することは、この象徴的存在をかくも崇敬され、また尊敬に値するものとせしめている自由を弱体化させる」として、違憲とする判決を1990年に出している。

日の丸は、戦前、国家主義高揚の手段の一つとして使われた経緯を有しているため、国旗・国歌法が制定された今日においても、過去のいまわしい戦争を想起させるとの意見、また近隣諸国民に対する外交上の配慮から、日の丸は国際協調を基本とする現行憲法にふさわしくないとする意見も少なくない。国旗・国歌法制定の際の国会質疑においても、こうした過去の経緯に配慮して、国旗・国歌の義務付け尊重規定を設けることは適当ではない旨の政府答弁がなされている。

これに対し、国旗損壊罪を制定している諸外国の中でも、ドイツイタリアは第2次大戦中の国旗を現在は国旗として使用していないことを考慮すれば、第2次大戦中の国旗を現在も使用している日本においては、国旗損壊罪の法制化に当たり上記のように戦争被害を受けた内外の諸国民の感情に配慮する十分な理由がある。

以上を踏まえ、当連合会は、「国旗損壊罪」の法制化に反対する。

2021年(平成24年)6月1日

日本弁護士連合会 会長 山岸 憲司

                                 以上

以下は参考として書いておきます。

➀「テキサス州対ジョンソン事件」で米国最高裁は1989年、抗議目的で国旗を焼却した人を処罰したテキサス州法を「違憲」とした。「政府は表現が不快だとか、それを支持し得ないからといって(行為を)禁止する事はできない」との判断を示した。米国憲法修正第1条は、表現の自由を保障している。

刑罰を科すとなると、制限されるのは、国旗に敬意を表したくない人にまで敬意を表す事を要求する事になる。敬意の表明を要求する事は、思想・良心の自由(憲法第19条)の制約にあたるとするのが日本の最高裁判例である。

③自民党の憲法改正草案は、その第3条に現行憲法には存在しない「国旗及び国家」の条文を明記している。

第3条「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。

2「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」

 国旗・国歌について上記「草案」Q&Aで「我が国の国旗及び国歌については、既に『国旗及び国歌に関する法律』によって規定されていますが、国旗・国歌は一般に国家を表象的に示すいわば『シンボル』であり、また、国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、3条に明文を置くこととしました、と説明している。

ついでながら「草案」第4条にも現行憲法には存在しない「元号」の条文を明記している。

第4条「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する」

③日本国憲法:大逆罪・不敬罪の廃止新憲法の成立にともなう刑法改正に際しての日本政府とGHQのやりとり)

「1946(昭和21)12月20日、ホイットニー民政局長は、木村篤太郎司法大臣に対し、不敬罪、大逆罪に関する規定を定めた刑法第73条から第76条までの条項を削除するよう指示を与えた。これを受けて吉田茂首相は、12月27日付のマッカーサー宛書簡で、➀天皇の身体への暴力は国家に対する破壊行為である事、②皇位継承に関わる皇族も同様に考えられる事、③英国のような君主制の国においても同様の規定がある事、を理由に大逆罪の存置を訴えた。しかし、民生局法務課長アルフレッド・オプラーは、吉田の書簡の内容について調査を行い、米国大統領及び英国国王には日本の大逆罪に該当するような特別規定は存在しない、と結論づけた。この調査結果を踏まえ、47年2月25日、マッカーサー吉田宛書簡で、吉田のあげた存置理由について反論し、天皇や皇族への法的保護は、国民が受ける保護と同等であり、それ以上の保護を与える事は新憲法の理念に反する、と吉田の訴えを拒絶した。

 

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