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新天皇即位礼時、安倍自公政権が国民に「国旗掲揚」の協力を要請するのは権力の濫用法律違反

2019-09-30 09:50:26 | 皇室

 安倍自公政府は2019年9月20日の閣議で、「即位礼正殿の儀」が行われる10月22日に、各府省に対し、祝意を表すために国旗を掲揚させる事を決定したという。また、自治体や学校、会社などでも国旗を掲揚するよう協力を要請する事を決定したという。

 このような安倍自公政府の決定は、極めて自己都合の決定であり、法律違反というべきであり、法的には従わなければならない義務はないし、応じなければならない理由のないものである。政府がそのような決定をした背景には、平成の代替わり時に今回と同じ対応を求めたという前例があるからそれに基づいて行うという考え方のようである。しかし、そのような「前例」踏襲なる理由を認めるわけにはいかない。なぜなら平成の代替わり時には国旗国歌法(1998年8月)は制定されていなかったにもかかわらず、つまり、政府は非合法に、官庁自治体公的機関などや会社国民に掲揚を要請していたのである。つまり、自民党第2次海部政府権力を濫用して決定し協力を要請していたのである。そして、その国旗掲揚の内実は政府による強制と政府に対する忖度によって行われたものだったのである。だから、主権者国民はこの事実を理解し、政府が「決定」と「協力」の根拠とする「前例」踏襲なる理由を受け入れなければならない理由はまったくないのである。また、政府が、今回は国旗国歌法が制定されているのでから掲揚を決定したり、国民に協力を要請したりできると考えているのであればそれも誤りである。国旗法はそのような事ができる内容ではないからである。だからまた、主権者国民は法的にも政府の国旗掲揚の協力要請に応じる必要はないのである。

 「決定」や「協力要請」に応じる必要がないのは、上記のような理由とともに、さらに重要な事がある。日の丸が示している意味が憲法の政教分離の原則に違反するとともに、神聖天皇主権大日本帝国政府による侵略戦争を象徴するものであったにもかかわらず、敗戦による憲法改正後も自民党政府(現在は安倍自公政府)はその歴史を反省して変更しようともせず(戦前も日の丸は法律で国旗として制定された事はなかったので、法的に変更するというわけにはいかない)、それどころか戦争行為の正当性を示す(聖戦)ための否定してはならないシンボルとして使用してきた。それも法律で制定されていないのだから非合法で。そして、1998年8月国旗国歌法を強引に制定して日の丸を固守したのである。そして、国旗国歌法は処罰法ではないにもかかわらず、国旗掲揚国歌斉唱に反対し抗議し拒否する者に対して処分を科している(職務命令、司法判決など)事を許している状況があるからである。もちろんこれも非合法。これ以上安倍自公政府による不法行為を許してはならないし、国民は政府の意向を忖度してはいけない。安倍自公政府を喜ばせ彼らの思うつぼにはまるだけである。

 1858年に締結した日米修好通商条約(安政の五カ国条約)改正予備交渉のための岩倉遣欧使節の副使であった伊藤博文が、サンフランシスコ到着時の歓迎会挨拶の結論部分で日の丸について次のように話している。

「わが国旗(敗戦まで法律で制定されていない)の中央にある赤い丸は、最早江戸時代のように封印された帝国を示す封蠟のように見えるのではなく、将来は、本来のデザインであった昇り行く太陽の崇高な記章となり、世界の文明諸国に伍して、前方に、また上方に動こうとしているのであります」

 ここに見られるように日の丸は太陽を意味しており、それは記紀神話で皇室の祖先としている、伊勢神宮の祭神天照大神を表しているのである。つまり、日の丸は宗教的シンボルそのもので日の丸を国旗として法律で定める事は憲法の定める政教分離原則に違反するという事である。国旗国歌法は憲法違反という事でもある

 国定教科書教師用書では、「日本は日の本の国、神のつくり給うた有難い国で、日の丸はこの国柄にもっともふさわしい旗であり、『天来神授』の旗である」と書かれていたが、教師はこのような旗である事を子どもに教えよと指示されていたのである。

 修身の教材「日の丸の旗」では「日本人のいるところには、かならず日の丸の旗があります。……敵軍をおいはらって、せんりょうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、声をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。日の丸の旗は、日本人のたましいと、はなれることのできない旗です」とあり、子どもたちに刷り込んで(洗脳)いたのである。

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企画展「表現の不自由展・その後」への安倍自公政府の姿勢は「天皇機関説事件」の狙いと同じ自由主義への弾圧だ。その2

2019-09-28 21:13:53 | 芸術

 天皇機関説事件の発端は1935年2月18日の第67帝国議会貴族院本会議で、菊池武夫など在郷軍人(元陸軍中将、右翼機関「国本社」所属)議員が東京帝国大学教授美濃部達吉を、国体に反する学説を説く「学匪」であり、「緩慢なる謀反人」であり、「学説を超越した日本観の問題」であると攻撃した事にある。衆議院でも江藤源九郎が、美濃部の『逐条憲法精義』を発禁にするように政府に要求した事にある。

 美濃部は貴族院本会議で天皇機関説の正当性を説明した。貴族院では「支持」「同意」を示す拍手が起こり、新聞メディアも好意的に報道した。しかし、この動きに右翼勢力(天皇主権絶対主義擁護勢力)は危機感を抱いた。2月28日、衆議院の江藤源九郎は美濃部を「不敬罪」で告発した。右翼団体は「機関説撲滅同盟」を結成し、天皇機関説の発表の禁止と美濃部の自決を運動目標とし政府に要求する。帝国議会でも貴衆両院の有志議員が「機関説」排撃を申し合わせ、野党政友会も岡田啓介内閣を倒す運動に利用しようと積極的に関わり出す。

 このため岡田内閣も動揺し、3月4日、岡田首相は、「天皇機関説に反対する」と表明した。12日には林銑十郎陸相も以前の答弁を翻し、「天皇機関説がなくなる事を希望する」と述べた。帝国議会の貴族院は20日、政教刷新決議を採択し、衆議院鈴木喜三郎政友会総裁が提案した「国体明徴決議」を全会一致で可決し、政府に「天皇機関説」に対する断乎たる処置を要求した。この事は政党が議会政治の理論的根拠を自ら否定したという事である。

 機関説排撃運動は議会閉会後も4月から7月にかけ全国的運動に発展した。岡田内閣は倒閣運動に発展するのを抑えるため4月9日、内務省は美濃部の『逐条憲法精義』『憲法撮要』『日本憲法の基本主義』を発禁処分とし、『現代憲政評論』『議会政治の検討』に次版改訂命令処分を出した。文部省全国各学校に「国体明徴訓令」を出した。軍部真崎甚三郎教育総監が「天皇機関説は国体に反する」との訓示を全陸軍に出した。在郷軍人会天皇機関説排撃パンフレット15万部を全国に配り、各地の在郷軍人会支部は機関説排撃大会を開催した。右翼も美濃部処分と岡田内閣打倒を目標に運動。平沼騏一郎枢密院副議長の一木喜徳郎枢密院議長の失脚策動もあった。

 そして岡田内閣は8月3日、「国体明徴に関する声明」(大日本帝国統治の大権はげんとして天皇に存すること明らかなり)を出し、「機関説は我が国体の本義をあやまるもの」とした。9月には司法当局は美濃部を再び取り調べ、美濃部の貴族院議員辞任(9月18日辞任)を条件に、美濃部の学説は出版法中の「安寧秩序の妨害」「皇室の尊厳の冒瀆」に抵触する疑いがあるが、情状を酌量し「起訴猶予」とした。10月15日、岡田内閣は右翼の激しい要求で第2次「国体明徴に関する声明」を出した。

「政府は国体の本義に関し所信を披瀝し以て国民の嚮う所を明にし愈々その精華を発揚せんことを期したり。抑々我国に於ける統治権の主体が、天皇にましますことは我国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり、……然るにみだりに外国の事例学説を援いで我国体に擬し、統治権の主体は天皇にましまさずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き所謂天皇機関説は、神聖なる我国体に戻り其本義をあやまるの甚だしきものにして厳に之を芟徐せざるべからず。……政府は右の信念に基づき茲に重ねて意のあるところを闡明し、以て国体観念を愈々明徴ならしめ其実績を収る為全幅の力を尽さんことを期す」以上

 国体明徴声明」によって、「機関説的天皇解釈」、換言すれば「立憲主義的議会主義的憲法解釈」はまったく認められないものと位置づけられ、軍部ファシストの主張する「神聖天皇主権絶対主義的憲法解釈」こそが公認正統な解釈(思想)であるとされる事となったのである。それは議会政治の否定であり自由主義思想の否定を意味した。この後、神聖大日本帝国政府はファシズムを益々強化し、国民に対し天皇や国体を楯に非合理的な思想宣伝を押し付け、それを批判する国民は「反国体」「非国民」として弾圧し、同調圧力を加え、沈黙し服従せざるを得ないようにしていったのである。

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企画展「表現の不自由展・その後」への安倍自公政府の姿勢は「天皇機関説事件」の狙いと同じ自由主義への弾圧だ。その1

2019-09-28 16:55:09 | 芸術

 大日本帝国憲法については、穂積八束や上杉慎吉らに代表される「天皇主権絶対主義的憲法論」が公認学説となっていたが、美濃部達吉東京帝大教授は明治末期以来、『憲法講話』(1912年3月)などで「天皇機関説」を唱え、上杉らの憲法思想を「言を国体に借りてひたすら専制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮装の下に其の実は専制政治を行わんとするの主張」だと批判した。それに対し上杉は雑誌『太陽』(1912年6月号)に『国体に関する異説』を発表し、美濃部を攻撃した。それは、天皇に主権があるという国体の概念に、法的な意味だけでなく、日本固有の歴史的倫理的意味を持たせ、これを立憲制か専制かという政体の概念よりもはるかに重視したものであり、天皇機関説は、日本を民主国とし、天皇を人民の使用人視するものである、というものであった。美濃部はそれに対し、『太陽』(1912年7月)に『上杉博士の「国体に関する異説」を読む』と題して反論。「天皇を人民の使用人とするものでもなければ、日本が君主国である事を否定して民主国だとしたわけでもない、それは誤解も甚だしい」と。

 上杉と美濃部の論争は大正デモクラシー(第1次護憲運動)の時期であり、上杉らの天皇主権絶対主義的憲法解釈勢力大正デモクラシー立憲主義的議会主義的憲法解釈勢力との思想闘争であった。そして、その結末は、議会と民衆運動による「大正政変」で桂内閣」を53日で総辞職させた事によって、美濃部の天皇機関説が政治的に勝利し、それ以後、学会の主流で正当な学説として認められる事となったという事であり、大日本帝国憲法体制を支える事となったという事である。

 そして、1935年の「天皇機関説事件」は、天皇主権絶対主義的憲法解釈勢力による反撃であった。1931年の満州事変以後、侵略戦争や社会問題に疑問を持つ人々が生まれ、32~33年には治安維持法違反で検挙される人々が最大に達した。「司法赤化事件」のほか、小学校教員、兵士、華族の子弟など天皇制を支える諸分野にも及び、内務省や司法省は、メディアを統制してその脅威を宣伝し、天皇主権絶対主義擁護派の危機感を煽り国民には恐怖感を煽り自由主義思想学問弾圧の布石とした。

 1933年の滝川事件の火付け役であった蓑田胸喜(狂信的右翼団体の原理日本社の蓑田は、『司法官赤化事件と帝大赤化教授』と題したパンフを作り、「司法官赤化事件」の原因が東京帝大の美濃部、末弘厳太郎、京都帝大の滝沢幸辰らの教授たちの法学思想にあるとし、これら自由主義的法学者を「赤化教授」と攻撃)らの国体擁護連合会が、1935年1月には、「美濃部達吉博士、末弘厳太郎博士の国憲紊乱思想について」と題した文書を配布し、美濃部に対する攻撃を開始した。

※蓑田の動きを受けて、貴族院菊池武夫衆議院の宮沢裕は、第64帝国議会で政府に対し帝国大学の「赤化教授」追放を要求。特に滝川の『刑法読本』について無政府主義的であると攻撃した。政府はこれを受け入れ、内務省が1933年4月11日、『刑法読本』『刑法講義』の2著を発売禁止とした。また、鳩山一郎文相小西重直京都帝大総長に4月22日、滝川の『刑法読本』の内乱罪や姦通罪についての解釈は内乱を煽動し、姦通を奨励する危険思想であると非難し、滝川を辞職または休職させるよう要求。小西は文部省の処分要求を受け入れず、また京都帝大法学部教授会は、問題は滝川個人の問題ではなく、大学における学問研究の自由の問題であり、「政府の方針と一致しない」という理由で教授の辞職を要求するのは大学の自治への介入であるとして文部省に反駁。斎藤実内閣は5月25日、文官高等分限委員会を開き滝川の休職を決定し発令した。(つづく)

 続きは「その2」を参照してください。

 

 

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天声人語の郝景芳の短編SF小説『弦の調べ』批評:安倍自公政権下の国民は現代中国国民と同類

2019-09-25 22:22:46 | 文学・歴史

 2019年9月24日の朝日新聞「天声人語」に中国人・郝景芳の短編SF小説『弦の調べ』の批評が載っていた。

 宇宙から来た鋼鉄人に侵略され、人間に服従を求めるが、滅亡させるわけではない。人間は従順でいる限り、それ以前と同様に自由に暮らしてゆける。その鋼鉄人が共産党であるように思えるという。そして、共産党の指導(支配)下にある現代中国人、政治を批判しない限り、それなりに自由であるとしている。加えて鋼鉄人(共産党)に抵抗する中国国民の言葉「みなが受け入れ、運命だとあきらめているのに、どうしてわざわざしなくてもいい事をする必要があるのかと思う事がある」を、民主派の苦悩に聞えるとしている。

 この批評を読んで、すぐに頭に思い浮かんだ事は、つまり、現代中国国民の意識状況が上記のようであるとするならば、それはそのまま天皇制民主主義(国体)に基づく安倍自公政権下の日本国民の状況と同じだという事である。

 そして、その日本国民の意識状況は、神聖天皇主権大日本帝国政府下の日本国民(臣民)にその淵源があるのである。それ思わせる史料「塩田庄兵衛・渡辺順三編『秘録・大逆事件』上巻 大逆事件被告宮下太吉予審調書」を以下に挙げておこう。

「私は明治40(1907)年以来亀崎地方の人々に社会主義について説いてきましたが、政府や役人などについて話すときは社会主義を納得してくれるようでしたが、皇室に関する事を言うと、我が国は外国とは国体が違うとか、皇統連綿であるとか申して私の説に耳を貸しません。……41年11月10日、天子(天皇)が大府駅を通過されるという事でありましたから、私も同所へゆき、『無政府共産』という小冊子を拝観の群衆に配り、前と同様の説明をいたしましたが、やはり人々は皇室の事になると、私の説にいっこう耳を傾けようとしないのです。そして警察官が天子(天皇)の通行する道筋の2丁以内で農業する事ができないという触れを出せば、人々は喜んでそれに従うのでした。それで私は、我が国の人々はこのように皇室に対して迷信を持っているのだから、とても社会主義を実行する事はできない。そこで……、天子(天皇)も我々と同じく血の出る人間であるという事を示し、国民の迷信を破らねばならむと覚悟致しました」

大逆事件第2次桂太郎政府は1910(明治43)年5月25日、信州の宮下太吉を「爆裂弾製造」容疑で検挙したのをきっかけに、6~7月にかけて「天皇暗殺容疑」に切り替え、全国各地で直接行動派を一斉に検挙した。裁判は秘密裏に急がせ、11年1月18日には幸徳ら24人に死刑を宣告した。翌日に半数の12名を無期懲役としたが、24・25の両日には幸徳ら12名の死刑を執行した。それは、社会主義者を「大不忠、大反逆徒、吾人その六族をたおすも、なおあきたらざるの思いあり。万人ひとしくその肉を食い、その屍に鞭打たんとねがうところ」(『東京朝日』『東京日日』)、「天地も入れざる大罪人というべく、その死刑宣告は、法治国として一点の非難すべきものあるを認めざるなり」(『万朝報』明治44年1月19日)とみなし、一切の社会運動を抹殺するために企てられた生贄の儀式であった。この事件をきっかけに社会主義者の活動の自由は極端に制限され、冬の時代が始まり、政府は天皇制思想(天皇教)以外を異端とし、権力で排除できる社会状況を意識的に作り上げていった。この事は言論の自由を抹殺して政府による思想の独占と思想の統合を図ろうとするものであった。富山県知事浜田恒之助は「我国体の万国に卓越せる所以を知らしめ苟も忠孝の大義を誤る事なからしむべく十分の訓諭を加」える事を要請する内訓を、各学校長や郡市長に出すとともに、さらに、専門学校中等学校長会で行った訓示事項の実行状況について報告させ、中等学校の教師に生徒の学問の自由を抑圧する検察官的役割を果たさせようとした。

 日本国民は、天皇制を払拭清算できない限り、真の民主主義や人権保障は実現しないのである。そして、安倍自公政権による洗脳政治によって刷り込まれている、「日本は民主主義国家である」とする幻想、の中で生き続けさせられるのである。

 最後に、私たちが自覚すべき事がある。それは、

「日本人は褒められた時には、自分を含めて得意になる。また、日本人は欠点を指摘されたり批判された時には、自分の反省材料とするのではなく、それ見た事かと喜ぶ気持ちがある。この時には、自分だけはその例外だと勝手に決めており、自分以外の日本人への批判だと思っている。このような身勝手な矛盾が通用するかぎり、日本人は真の自分を知らないままで不幸になっていくよりほかにない」という事である。

(2019年9月25日投稿)

 

 

 

 

 

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荻生田文科相、加計文書で「私の名前使い調整」:名前を使って服従忖度させる手法が常套手法なんだ!森友学園問題も

2019-09-23 16:01:09 | 森友・加計問題

 文科相に就任した荻生田光一氏が2019年9月11日の会見で、17年に文科省で見つかった加計学園の獣医学部新設に荻生田氏が関与した事を示す文書(17年に文科省で見つかった)について、「私の名前を使って省内の調整を図った人たちがいたのだろう」と説明した。

 文書は、2016年に、荻生田氏が「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」などと発言したと記している。この文書について上記のように説明したという事である。

 加えて、荻生田氏は「(当時の文科)副大臣から、省内の意見の対立を収めるために名前を使った人たちがいた」との説明を受けた、とも説明したり、「自身の文科政務官時代に知り合った局長級幹部と、官邸以外でもやりとりをした事が文書作成につながった可能性がある」とも説明している。

 これらの説明で重要な点はまず、荻生田氏が、責任を問われる事を回避しようとするために、自身の直接の発言ではない(命じたものではない)という事を回りくどく主張したものであるという事である。しかし、それには説得力がなさすぎる。なぜなら常識では、自分の名前を許可なく利用(かたる)された場合、それも自身の部下がそれを行った場合、その利用した人物(この場合は自身の部下)を探し出し、責任を問い処分を下すのが常識であろう。しかし、そのような事を一切していない。この状況をどのように理解するべきであろう。

 答えは簡単である。文書の内容は荻生田氏自身の説明によって、荻生田氏の発言以外の誰のものでもない、という事が改めて明確になったという事である。そして、安倍自公政権においては、事を決定する場合、「(権力者の)名前を利用する」という手法は非常識なものではなく、通常良く行われている事だという事を国民に明らかにしたという事である。また、荻生田氏の部下は、それに「服従」「忖度」する資質を培養されているという事を明らかにしたという事である。荻生田氏の会見の狙いとは違い、このように安倍自公政府組織が機能している事を、国民の前に暴露する結果となったといえる。

 森友学園問題においても、「(権力者の)名前を利用する」という手法がとられたのであり、その際は安倍首相と昭恵夫人の名前であった。

 安倍自公政権は、戦後史上、最も主権者国民を馬鹿にした政権であり、最も主権者国民が馬鹿にされた政権である。

(2019年9月23日投稿)

 

 

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