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自公政権は検定を恣意的(歴史修正主義)価値観押しつける制度へと変質させた、敗戦までの国定教科書(超国家主義思想の教化)制度復活狙う

2024-04-30 14:10:31 | 教育

 今回の教科書検定は、新基準で実施された。新基準は自民党の提言を受け、安倍自公政権が2014年に導入した。新基準は昨秋に合格した中学教科書に続いて、高校の地理歴史・公民の検定に初めて適用した。新基準とは、①政府見解がある場合はそれに基づく ②特定の事柄を強調しすぎない ③近現代史で通説的な見解がない数字などの記述では諸説ある事を示す、の3つの基準を追加した内容。

 今回の検定については、日本教育法学会浪本勝年理事教育法が、「文科省の見解を書かせる検定が広がっていると感じる。執筆者は異論があっても、合格するためには従わざるを得ない。検定制度は敗戦後、民間の創意工夫を生かすために導入されたが、敗戦までの国定教科書の時代に近づいているのではないか。研究者らが第三者委員会をつくって意見をまとめ、執筆者が参考にするなど、政権の見解を過剰に影響させない仕組みを考える必要がある」と話している。

 新基準の3つの項目内容についてであるが、①と②③とはその中身の質が異なるものである。②③は強いて言えば教科書編集上の方針で、印刷ミスや校正漏れなどのチェックに関わる内容に近いと考えられる。しかし、①の基準はそのようなものでなく、「政府見解」とは、安倍自公政権の歴史観を意味しており、それに基づく事を強制する内容である事に気づかなければならない。この政府見解」というものは、敗戦までの文部省の、日本史で言えば「日本史教育の指針」を言い換えて「ごまかし」たものと考えるべきである。

 敗戦前に、文部省の「図書編集官」として「日本史教科書」の編纂を担った人物である「喜田貞吉」が、1910年に著した『国史の教育』には興味深い事が書かれているので紹介したい。

 『国史の教育』は、学校で歴史を学ぶ子どもたちに真実に近づけさせない事を書いているのです。彼は「一口に歴史といっても、学問として研究する歴史と、一般世間の人の目に映ずる歴史と、普通教育に応用する場合の歴史の3つがある。この間には、余程の区別がなければならない。」とし、「第1の学問としての歴史の場合には、遠慮会釈なく過去の真相を明らかにするのだという。歴史の真実を押し隠し、美化する事があってはならない」としている。第2の世俗の目に映ずる歴史については、「学問としての歴史を研究した人の目からすると、ずい分偏っている、一般世間の人には真相がわからないので、過去の人物や事件の像を、自分の考えを加味して勝手に描いている。これは人情の然らしむる所で、まことにやむを得ない」としている。この考え方は世俗の人々を馬鹿にした「歴史教育論」といえる。そして今回の新基準による検定と重要な関係をもつ、第3の普通教育向けの歴史については、「歴史学から見ると間違っていても、普通教育ではかえって利用できることがある。日本の歴史は大体において善美であり、普通教育においては、この「大体」という事が何よりも大事だ」としているのである。そして、文部省が「日本史教育の指針」として、「国体(天皇制)の大要」を知らせ、「国民たるの志操を養うものと定めていたので、この指針からはずれる歴史を子どもたちに教えてはならないとされていたのである教師についても、歴史学の専門誌や著作を読んで、それを子どもに話す教師に対しては「不心得な教師」としていたのである。この第3こそ安倍政権の新基準そのものなのである。国民はうまく騙されたのだ。日本の教育は安倍自公政権が子どもたちに、彼らの恣意的な歴史観(歴史的研究の成果に基づかない作り話、歴史修正主義)や価値観を「教化」するものに変質させられたのである。

③については、安倍自公政権の「不作為の責任」を追及すべき内容であると考える。神聖天皇主権大日本帝国政府敗戦間際に「公文書」など「証拠」を焼却隠滅し、連合国による「戦争責任」追及を受けないようにした。この事を考えれば、安倍自公政権は、侵略国加害国として他人事のような責任がないような態度をとる事は許されず、自ら明らかにしなければならない責任を負うている。にもかかわらず、自ら「証拠」隠滅をしておきながら、「証拠」がない事を理由に、安倍自公政権に都合のよい「表記」を求めたものといえる。

 安倍自公政権は、学習指導要領も検定基準も自己に都合の良いように変質させ、彼らの偏向した価値観を国民に押し付ける(洗脳する)ための制度としたのである。今後もさらに、国民の幸せのためではなく、彼らの幸せのために改悪を続けてゆくだろう。

(2017年3月26日投稿)

 

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尖閣・釣魚島の日中合意を反故にし脅威を煽る自作自演で自衛隊増強を正当化する安倍自公政権

2024-04-30 10:49:22 | 領土問題

 2017年、中高学校学習指導要領改訂案本体に、「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しない事を扱う事」という「政府見解」が盛り込まれた。同じ「政府見解」は3年前の2014年1月28日、安倍自公政権の意向で、教科書執筆者や授業の指針となる指導要領の「解説に入れられたが、政府が法的拘束力をもつとする「本体」に盛り込んだという事は、政府の意向に沿った教科書の使用しか認めず、それに従わない教師に対して安倍自公政権が処分できる根拠となるという事であり、これは敗戦まで神聖天皇主権大日本帝国政府が教科書を「国定化」し、学校教師には「国定教科書使用義務けていたのと同じ意味を持ち効力を発揮する。つまり、安倍自公政権は「教科書国定化」への地ならしをしているのであり、近い将来に「国定化」をめざしているのである。この改訂はこれまでの安倍自公政権が推奨する「育鵬社版」の採用促進運動を推し進める手法から、自己の政治権力にものを言わせて学習指導要領に法的拘束力がある事を利用して、安倍自公政権の意向に沿った「内容」へと、すべての「教科書」を統制し変えていく手法へと転換したという事であろう。そして、この手法を推し進める事によって、実質的には「国定」と言ってよい教科書を作ろうとしているのである。その事は、2017年2月2日の自民党本部で開かれた「領土に関する特命委員会で、「領土関係の記載がやっと完成して誠に喜ばしい」委員長新藤義孝前総務相は改定内容を評価している事や、佐藤久彦参院議員も「指導要領に入ると先生は授業でパスできなくなる」と発言している事からもうかがえる。

 主権者国民はこのような手法を許してはならない。この手法は学習指導要領手前勝手解釈し、なし崩しに変質させるものであって、非合法的詐欺的手法であり、主権を持つ国民を愚弄した手法である。学習指導要領が法的拘束力をもつとされながら、安倍自公政権の恣意的な意向だけで変質させる事ができ、主権者国民に強制できるという指導要領の扱い自体が根本的な問題であるが、その現状を安倍自公政権が当然視し、国会でも問題視されず許している事に対して、主権者国民は異議を唱えるべきである。

 

下記は今回のタイトルに関連する、2016年9月27日投稿の「尖閣・釣魚島の日中合意否定し脅威煽る自作自演で自衛隊増強を正当化する安倍政権」を再録したものです。ぜひ読んでください。

 2016年9月24日の朝日新聞にNPO法人「言論NPO」の「日中共同世論調査」結果が載っていた。「良くない印象」を抱いていると回答したのは、日本側91.6%(昨年88.8%)で、昨年より悪化した。その原因は「尖閣問題の影響」との事である。

 なぜ、「尖閣問題」が影響したのか。それはほかでもなく安倍自公政権中国批判を激化させ、中国を悪者に仕立てたという事である。そして、安倍自公政権に対して翼賛的姿勢に立つメディアの報道姿勢にある事は間違いない。両者は結託して中国に対する「悪印象」を意図的に国民に植え付けてきたのである。つまり、国民を洗脳してきたという事である。調査結果はその洗脳効果が表れているという事で、安倍自公政権やメディアはさぞご満悦であろう。

 しかしそこには、安倍自公政権が卑劣な対中国政策をとっている事(その火付け役は、現在豊洲市場問題でも世間の顰蹙をかっている「石原慎太郎」である)と、メディアも安倍自公政権に翼賛的な情報を無責任に主権者国民に垂れ流し世論操作をしているという事が存在する事を主権者国民は知らねばならない。しかし、残念ながら主権者国民はまんまと騙されているのである。

 さて、安倍自公政権の卑劣な対中国政策とはどういうものか。特に看過できない事は、安倍自公政権が2014年に、自ら中国政府との間で交わした「4項目の合意文書」への遵守姿勢である。つまり、合意を誠実に遵守しなかったという事ある。

それまでの日中政府の関係を大まかに見ると、 

 1972年9月に日中国交正常化がなされた。その前の1969年ごろから台湾出身の米国留学生が中心となり、「保釣運動」という「釣魚島防衛運動」を起こし、米国政府が沖縄返還で「釣魚島」を日本に渡す事に反対していた。

 その時、1972年7月に公明党委員長竹入義勝が中国を訪問し、周恩来と会談し、国交正常化交渉において「尖閣・釣魚島」問題が争点となるかどうかを事前に探り、日本側の立場を伝えた。それは「竹入メモ」といわれるもので、そこには周恩来首相は「そうです、尖閣列島の問題にも触れる必要はありません。竹入先生も関心がなかったでしょう。私もなかったが石油の問題で歴史学者が問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。この問題は重く見る必要はありません。平和五原則に則って国交回復する事に比べると問題になりません。」と述べたとしている。

 また、『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店)によると、竹入が先に「尖閣の問題はどうなのか。これは日本の領土だと私は思う」と言うと、周恩来が笑いながら「いや我々も同じような見解を持っていますよ。この問題は重要ではありません。国交正常化に比べたら問題になりません。これはお互いに棚上げにして資源があるんだったら共同開発すればいい。」と述べている。

 1978年10月に来日した鄧小平も「棚上げ論」を明言した。それは「尖閣列島を我々は釣魚島と呼ぶ。呼び名からして違う。確かにこの問題ついては双方に食い違いがある。国交正常化の際、双方はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約の際にも同じくこの問題に触れない事で一致した。中国人の知恵からして、こういう方法しか考えられない。というのは、この問題に触れると、はっきり言えなくなる。確かに一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水を差したがっている。だから両国交渉の際は、この問題を避けるのがいいと思う。こういう問題は一時棚上げしてもわない。我々の世代の人間は知恵が足りない。我々のこの話し合いはまとまらないが、次の世代は我々よりもっと知恵があるだろう。その時はみんなが受け入れられる良い解決方法を見出せるだろう。」という内容である。

 ところがその後初めて、1996年2月19日の衆院予算委員会において橋本龍太郎自民党政権池田行彦外務大臣が「棚上げ論」を「否定」する。その内容は「尖閣列島につきましては、我が国の立場は、これは歴史的な経緯から言いましても、また国際法上から言いましても、我が国固有の領土であり、また、現にその地域を我が国が有効に支配している、こういう事でございますので、我が国としては、そもそも中国との間において尖閣列島をめぐる領有権の問題は存在しない、こういう立場をとっているところでございます。」というものである。

 この時点のこの発言は、自民党日本政府一方的領土問題(棚上げ論)の存在を「否定したという事を意味した。この事こそが自公政権日本政府側にとって、今日まで「漁船の領海侵犯」と解釈するなどして領有権に関係した問題の発生と捉える発端となっているのである。

 「棚上げ論」とは日中双方が領有権を主張するという事を互いに認めるという事であるが、そのような事情から尖閣を含む北緯27度以南の水域は、日中両国政府が「漁業協定」で互いに「自国の漁船だけ」を取り締まる事も「文書」で確認している。中国からすればそこは中国に領有権(日本からすれば日本に領有権)があるので監理するために公船がパトロールするのは当たり前という事なのである。しかし、それを安倍自公政権は意図的に「領海侵犯」と解釈し、メディアはまたそれを主権者国民に対して「大本営発表的」報道(政府説明の鵜呑み)をし主権者国民の間に「中国に対する反感・嫌悪感」を醸成してきたのである。

  しかし、その政策で自分の首を絞めた安倍自公政権はこの問題への新たな対応として、2014年11月に開催されたAPECの時点で、中国との間で文書で確認した。それが、4項目の合意文書である。その内容は、

1、双方は、日中間の4つの基本文書の諸原則と精神を遵守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていく事を確認した。⇒基本文書とは①1972年の国交正常化時の「日中共同声明」、②1978年の「日中平和友好条約」、③1998年の江沢民来日時の「日中共同宣言」、④2008年の胡錦濤来日時の「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明

2、双方は歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服する事で若干の認識の一致をみた。

3、双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じている事について異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避する事で意見の一致をみた。⇒、領土問題で見解が違う事、争いになっている事を認めているといえる(安倍自公政権は領土問題の存在を認めた事ではないとしているが)。

4、双方は、様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して、政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努める事につき意見の一致をみた。という内容である。  以上

 

 安倍自公政権は、この合意では領土問題の存在を認めているが、しかしその後、安倍自公政権はこの合意を反故にし、主権者国民に対してはメディアと結託して、中国との間に領有権問題は存在しないとする立場を取り、中国による日本の領海への侵犯行為であるとする「間違った情報」を広め、それを口実にして「沖縄への自衛隊増強、兵器増強政策」を続けているという事なのである。それが「離島防衛・奪還」作戦であり、中谷防衛相は、「東シナ海で活動を強める中国を牽制し、南西地域の離島防衛を強化する」として、2016年1月31日に航空自衛隊沖縄那覇基地に第9航空団を編成すると発表し、与那国島に陸自駐屯地を2016年3月28日に設置するという政策を選択してきたという事である。

 安倍自公政権尖閣・釣魚島に対する手法は米国の手法と同じで、自ら紛争の種を作っておきながら、脅威を煽り、それに対して善人面して相手を非難し攻撃する偽善者謀略的手法である。

 この度(2017年2月)公表の指導要領改訂案での「国旗国歌についての扱い」についても、その法律自体には拘束力を持たないにもかかわらず、「学習指導要領」に盛り込む事によって、拘束力をもたせる手法をとっている。今回改訂案は幼稚園(文科省管轄の「教育要領と、保育所(厚労省管轄)の「保育指針3歳以上を対象)に、これまでなかった「行事で国旗に親しむ」「国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊びに親しむ」を盛り込み、それについて厚労省は「国旗掲揚国歌斉唱強制するものではない」としているが、安倍自公政権の手法から見れば、これが守られるとは到底考えられない。菅官房長官は2月15日、「従来、小中高校において、国旗国旗意義理解させ尊重する態度を育てるよう指導している。小学校教育への円滑な接続を図る点からごく自然な事だ」と述べている事からも、安倍自公政権は前近代的な「自らが正義で法であり、法をどのように解釈し運用するしようとも、国民はその法に従うべきである」と考えているのである。かつての神聖天皇主権大日本帝国政府が、占領地域に対してはもちろんの事、自国民に対しても「ウソ」をついて騙したように

 ※「国旗国歌についての扱い」については、別稿(カテゴリー「教育」)の「馳浩文科相は非常識で憲法無視。浅薄な思考による権利侵害。大臣の器ではない。罷免させるべきだ」や「改訂版:日の丸・君が代は国家神道(天皇教)のアイテムだ!要請は信教の自由を侵害する憲法違反だ!」を読んでください。

 また、小学校の「体育五輪・パラ」に関する指導や、中学校の「保健体育体育理論パラリンピックの意義や価値の指導を新たに追加したが、「一過性の安倍自公政権のイベントである国際的スポーツ行事」を公教育の指導内容に盛り込むという点で、これも安倍自公政権が公教育を恣意的に利用し、変質させ私物化しているといえるもので、主権者国民は異議を唱えるべきである。

 ※「五輪・パラ教育」については、別稿(カテゴリー「教育」)の「『五輪・パラ教育』は戦時の国民精神総動員運動の安倍版、狙いは挙国一致精神の培養、その先は国家総動員法(緊急事態条項)成立」を読んでください。

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メーデー:安倍自公政権とメディアが仕組んだ新天皇新元号フィーバーに主役奪われた。日本最初のメーデーで歌われた歌詞に深い感慨。今日の労働運動はどれだけ進歩できたのか

2024-04-28 09:37:56 | 労働組合

 2019年5月2日の新聞に、新天皇や新元号などに関するひときわ目立つ派手で大きな写真や大きな見出しの記事に紙面を圧倒的に占められ、そっちに目を引かれて見過ごしそうになるほど目立たない地味で小さな見出しで写真も付けられていない形で「メーデー」の記事が載せられていた。この両者に対する扱いにはメディアの価値観が期せずして表れていると言って良いが、それはメディアの国民主権に対する認識がいかに低いかを示すとともに、国民の認識の実態にシフトしたものであるともいえる。新聞やメディアは、天皇制について自覚の乏しい多くの国民を信じて、安倍自公政権との徹底した対決や問題点の究明をする事より、皇室讃美の記事を報道する事の方が読者や視聴者の関心に答える事になり経営上も利益を上げる事ができる事を戦前の経験や戦後これまでの経験から身に染みて理解しているのでそのようにしたのである。そして、この状況は安倍自公政権にとっては期待通りの極めて喜ばしい状況であるという事だ。全労連は代々木公園に約2万8千人が参加し、「8時間働いて普通に暮らせる賃金・働くルールの確立」「全国一律最低賃金制度と最賃時給1500円の早期実現」などの宣言を採択。小田川議長は「大企業の内部留保が増加している、元号が変われば、富の偏在は改まり、過労死するまでの働き方でも賃金が低下する異常は解消されますか、いずれも答えはノーです」と抗議した。全労協は日比谷公園で約6千人が参加した。

 日本における最初のメーデー世界最初のメーデーは1886年5月1日、米国労働者が8時間労働実現と総同盟罷業を決議)神聖天皇主権大日本帝国政府下の1920年5月2日(当年のみ2日日曜日。当時労働者は日曜日でなければ参加できなかった。)であった。大会の資金幸徳秋水の遺著の印税から提供された。当時、労働運動は1912年8月に作られた「友愛会」が、1919年8月には「大日本労働総同盟友愛会」、1920年10月「日本労働総同盟友愛会」、1921年10月「日本労働総同盟」へと発展し、その中で神戸川崎造船所や八幡製鉄所の争議、東京での普通選挙法デモなどが闘われた。

 日本に初めてメーデーを紹介したのは、1890年、フランスにいた中江兆民門下の酒井雄三郎が、徳富蘇峰の『国民之友』に寄せた「5月1日の社会党運動」であった。日本で最初のデモは、1898年4月10日労働組合期成会が東京遷都30周年を利用し、本石町から上野公園までの800人のデモであった。

 最初のメーデーは東京上野公園で実施されたが、日曜日であったため参加者は1万人となった。治安警察法第17条(ストライキを制限する内容)の撤廃、失業防止(当時戦後恐慌)、最低賃金法の設定、8時間労働制、シベリア出兵の即時撤兵公費教育の実現、言論絶対自由などを決議した。

 そして、この日に歌われた歌が下中弥三郎の作詞である以下のような内容であった。下中は、埼玉師範卒業の小学校教師によって作られた日本最初の教員組合である啓明会(1919年8月)代表であり、この歌は一高寮歌「あ々玉杯に花うけて」の曲にのせて歌われた。

 この世の富も繁栄も   われ等が汗の末になる

 われ等が手をばおく時は 世界も闇となりぬべし

 汗の値の貴さを     いざ遊民に示さばや

 (略)

 あ々メーデーよ、メーデーよ 

 飢餓貧乏の恐怖なき   自治労働の新社会

 建設すべき我々の    志気を天下に示すべき

 一年一度の祝祭よ

 この歌は第2回まで歌われたが、第3回からは大場勇作「聞け万国の労働者」に変わった。

 また、1923年9月の関東大震災後、ファシズムの強まりにより労働運動は抑圧され分裂し、メーデーは1936年の2・26事件以後禁止された。

 労働運動の曲折についてみると、労働総同盟は1924年2月大会で、運動の「方針転換」を宣言。運動の大衆化をめざし、「現実主義」とする立場に立ち、政治的に経済的に改良運動を重視。労働者の要求は、資本家の情態を考慮し、その要求が社会一般から受け入れられるかどうか、工場側が許容できるかどうかを条件に「過大な」要求をかかげる態度を退け交渉において、「相手が常識的である場合に於いては、出来る限り罷業団に於ても温和に……理論整然と交渉すべき」であり、「裏面に於てなされる戦術が、争議の勝敗を決定する重要な役目を持っている」との態度を表明(『労働』大正14年8月15日)。

 「現実主義」は端的に言えば、革命主義に対決する反共主義であった事は歴史がすでに示す通りである。その反共主義は天皇制権力と資本家の反共主義と軌を一にしていた。反共主義の体質は神聖天皇主権下で権力の弾圧を回避できたし、資本家側からも理解を得る事を可能とし、その組織の安定を保つ事ができた。しかし、権力や資本の侵略や反動化には、労働者の日常的利益に対してすら闘わず順応するという論理を内に有していた。現在の「連合」の姿勢に対してどのような評価が多いかによって、これからの労働運動のあり方と労働者の位置づけが決まっていくであろう。日本の労働運動はあれからどれほど進歩できたのだろうか。歴史から何を学ぶべきか?

(2019年5月2日投稿)

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増補版 石橋湛山首相のプレスクラブ演説(1957年1月25日)抜粋、米ソ両国政府とどう対応するか?

2024-04-27 23:09:56 | 日本人

 石橋湛山は1956年12月23日から57年2月23日まで首相を務めた。その首相が1957年1月25日の行ったプレスクラブでの演説内容である。ここには今日の日本の政治の在り方を考える上で大いに参考になる事がうかがえる。以下にその抜粋を紹介したい。 

「昔から国際間の紛争を見るに、互いに相手を侵略者なり、秩序の破壊者なりと一途に疑いて、これを非難し、その侵略者、破壊者の中にも、互いに心を軟らかにして見直すならば、また仏(ほとけ)を発見し得るにもかかわらず、強いて目をふさいで来た感が強いのです。今日の国際関係を調整する道も、この互いに疑い合う心境から脱却する事が、まず第一の要件ではないでしょうか。私はかようの信念に基づいて、わが国民と共に、世界の平和と繁栄のために、できる限りの努力をして行きたいと考えます。私は、もちろんいかなる主義主張に対しても、もしそれが人類の幸福を増進するに役立つものである事が証明されるならば、これを忌み嫌う理由はないと信じます。だがそのある主義主張を実現する手段として、独裁専制政治を布き、一般国民の自由を窒息せしめるごとき事は、我々の耐えがたきところであります。いわんや他国から何らかの力をもって、さようの独裁専制政治を押し付けられる事になっては、あくまでこれに反抗しなければなりません。さようの危険のない限り、たとい共産主義を国是とする国であろうとも、私は共存共栄の道を歩んで行くべきだと思います。………第2次世界大戦後、列国の軍備が縮減しないのみか、軍備競争がかえって激化した感のある事は、迷惑至極であります。それは、いずれも自衛のためだと唱えられています。だが昔から、いかなる国でも、自ら侵略的軍備を保持していると声明した国はありません。すべての国が自分の国の軍備はただ自衛のためだと唱えて来ました。たぶん彼らはそう心から信じてもいたでありましょう。だが、自衛侵略とは、戦術的にも戦略的にも、はっきりした区別のできる事ではありません。かくて自衛軍備だけしか持っていないはずの国々の間に、第一次世界戦争第二次世界戦争も起こりました。もし同じようにして今後大きな戦争が起こるなら、原子力兵器の発達した世界において、それは人類の滅亡を意味するでありましょう。いな原子力兵器の実験だけでさえも人類の滅亡を招来する危険があります。人類を救わんとするならば、我々は軍備拡充競争を停止し、戦争を絶滅しなければなりません。わが国の国連代表が、近ごろ原子力兵器の実験に関して行った提案(※1)のごときも、いささかさようの趣旨に従ったものであります。………

※1 1956年1月原子力委員会発足。同年4月東海村に原子力研究所設置決定(57年8月点火)、などの事と考えられる。

 わが国は古く19世紀以来自由主義諸国と親好を保ち、これを外交の基調として、国際社会に処して来ました。不幸にしてその関係は第二次世界戦争中一時中絶しましたが、1945年以来再び回復し、爾来一層の親密を加えるに至りました。私は今日この親好関係を変更すべき理由を何ら発見いたしません。昨年(56年12月)ソ連との国交正常化が実現し、今後同国との国交も親善を深めるに至りましょう。深める事を望みます。だがその事は自由諸国との友情を冷やかにし、薄くしなければならない理由にはなりません。

 しかし、そうだからとて私は俗に向米一辺倒というがごとき、自主性なき態度をいかなる国に対しても取る事は絶対に致しません。米国は最近の世界においては自由諸国のリーダーたる位置にあります。また戦後わが国とは最も深い関係にある国です。従って私は米国とは特に緊密の上にも緊密な協調を保って行く覚悟です。だがそのためには、私は米国に向け率直にわが国の要求をぶっつけ、わが国の主張に耳をかしてもらわなければならないと信じます。その結果は、時々主張が一致せず、気まずい思いをお互いにしなければならない事も起こるかも知れません。だが、それは緊密を増進する手段としての一時の不一致である事を知ってもらわなければなりません。米国以外の自由諸国、ソ連その他の諸国についても同様の方針で臨みます。幸いにして諸君を通じて、私の意の存するところの諒解を、これら諸国に求めえられるなら感謝の極みです。」以上。

(2021年6月20日投稿)

                                

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政教分離違反:大阪市(大阪維新の会)が護国神社会館での遺族会による戦争体験アーカイブ上映会協力

2024-04-26 16:47:57 | おおさか維新の会

 ※2016年10月14日に投稿したものですが、「森友学園問題」に大きな関りをもつ大阪府知事・大阪市長(大阪維新の会)の体質を理解してもらうために再度投稿しました。

 2016年9月28日に、「大阪護国神社」境内の会館において、「大阪府遺族連合会」の主催により、会員や「大阪府内の自治体の平和事業担当者ら約90人」が出席し、「戦争体験のアーカイブDVD」の上映会が催された。DVDは同連合会が提案し、「大阪市」の「戦後70年事業」の一つとして今年3月に完成したものとの事。

 この出来事は、日本国憲法体制下の日本において重大な問題を内包しており、看過できない事柄である。

 まず、遺族連合会の主催であり、護国神社が所有する会館において開催された催しに「地方公務員」が「公務」で出席したという点である。

 憲法第20条「信教の自由」では、第1項「……、いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、第3項「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているが、この件に関わった大阪府下の公務員は、この規定に違反しているといえるのではないか。その許可を与えた大阪府知事や大阪市長の責任を問うべき出来事である。

 なぜなら、遺族連合会は戦後も国家神道に基づき戦没者を「顕彰」する民間の一宗教法人である「靖国神社」「護国神社」(護国神社は靖国神社の支部で、靖国神社と同様に「顕彰」を主目的としている)と深い関係を持っているとともに自民党を支持する政治団体でもあるからである。それを承知の上で、大阪府内の自治体の公務員を「公務」として認め約90人を出席させているからである。

 「遺族会」の成り立ちについては、1947年に、戦没者遺族の生活援助のための組織として「日本遺族厚生連盟」を結成したが、1952年11月の第4回大会には、靖国神社の慰霊行事を「国費」で支弁する事を決議した。1953年3月には、同連盟は「日本遺族会」に改組し、その目的、事業のなかに「英霊の顕彰、慰霊」を掲げた。そして4月には、遺族を主力にして「靖国神社奉賛会」を結成した。1956年1月には、第8回大会で初めて「靖国神社」の「国家護持」を決議した。「靖国神社国家護持運動」を開始したのである。そして、「自民党」との関わりも深めていく。

 この運動は、遺族会を最大の民衆的基盤として、「神社本庁」、生長の家、国柱会などの宗教団体、旧軍人組織の郷友連盟、右翼団体などとつながり、拡大していった。

 また、遺族会は遺族の唯一の全国組織である社会福祉団体として、政府と遺族の間に立ち「遺族年金」などの援助を独占的に取り扱う事により、「遺族への締め付け」を強め、自民党は有力な支持基盤票田とした。

 しかし、遺族会が自民党と癒着し、「靖国神社への崇敬」を「強制」して来た事から、戦没者とその遺族の信仰に基づく慰霊追悼を呼びかけて、1969年には「キリスト教遺族会」が結成された。1985年には、北海道の旭川と滝川では「平和遺族会」が結成され、「全国平和遺族会」へと発展した。また、1986年には、浄土真宗本願寺派では、島根県大田市に「真宗遺族会」が作られた。つまり現在、遺族会は一つ(自民党系)だけではなく、「日本遺族会」が靖国神社を崇敬する立場をとる事に対して、思想信条的に「反対」の立場をとる様々な「遺族会」が存在し活動しているという事である。この点においても大阪府市の姿勢は「偏向」した行政を行っていると言うべきであり問題とすべきである。

 次に、DVDが大阪市の戦後70年事業の一つとして制作されたという事は、大阪市の「税金」が使われたという事であるが、この事も当然「憲法違反」である。

 憲法第89条「公の財産の支出又は利用の制限」では「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」との規定に触れるからである。

 そして、第99条「憲法尊重擁護の義務」「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」という規定にも「違反」するものであるといえる。

 DVD制作の目的は、府遺族連合会会長の言葉によると、「71年続く平和を次世代に引き継ぐ事が犠牲者の思いに応える最善の道」である、との事で、「継承」を今後の活動の柱に加えたとの事。

その内容は、大阪市内9区の約70人の遺族らが、各地の遺族会の協力を得て、疎開、空襲、戦後の生活など体験を語るものであり、府遺族連合会会長の「71年続く平和を次世代に引き継ぐ事、二度と戦争を繰り返さない事が犠牲者の思いに応える最善の道」という思いを込めたものという。それは、

「地元に残る戦争の痕跡をたどり、戦時中の食事体験をする」

「夫が戦死し、草を食べて2人の子と生き延びたと語る女性の話」

「爆弾が直撃して腕を吹き飛ばされた女の子を、母親らしき女性が抱きしめ『助けて』と叫ぶ姿が忘れられないと語る男性」

「学徒出陣した11歳年上の兄を戦争で亡くした会長の話」などの内容である。

 しかし、このような内容で、戦争を繰り返さない思いを次世代に伝承できるだろうか不信感を持たざるを得ない。つまり、内容は戦時中の「銃後」についてであり、それもほんの一部分についてだけの内容で偏っており、見る者に「被害者」であるかのような誤解を与えるおそれがあり、国内の庶民の物心両面からの生活実態を正確に把握できるものとなっていない。そしてまた、一番の問題は、戦時下の庶民の様相を限定して集めたものと思われる点である。そのため先の戦争についての全貌を理解できるものとなっていないし、学問的科学的体系的な内容になっていないため、「二度と繰り返さない」ための「知恵」を戦争体験のない者が学ぶ事は不可能であり、再び繰り返さないための判断力を培ったり、行動へ踏み出すための啓発にはならず、掛け声だけに終わってしまう可能性が高い。そのような内容が不十分である事は、戦後70年を経ても、大日本帝国政府によって戦争に協力させられた(加害者にさせられた)国民が蒙った被害の補償を歴代の政府や安倍政府に誠実に行わせる事さえできていない現実を見れば納得できるだろう。

 空襲被害に対しても国家賠償を認めさせるべきであるにもかかわらず未だにそれをなしえていないではないか。また、政府の戦争政策に反対した人々の名誉回復をさせるべきであるにもかかわらずなしえていないではないか。戦争に反対した人々は現在の政府においても、「非国民」とされたままであるし、「犯罪者」とされたままではないのか。

 そして、もっとも重要な事は、先の戦争は大日本帝国政府による「侵略戦争」であったという理解を明確にすべきであるという事である。大日本帝国軍隊の侵略によって、日本軍戦没者の何倍もの膨大な数の外国人兵士や民間人の死者や被害者を生み出したという事である。この事に触れないで、日本人戦没者や銃後の日本人の生活の一部分だけに情緒的に目を向けているだけならば、外国からの批判はもちろんの事、国民からの批判も免れないであろう。

 しかし、なぜこのようなDVDが制作されたのかを考えれば納得できる事がある。それは、大阪府市政が「おおさか維新の会」によってなされているという事である。それは「ピースおおさか」に対してとられた政策に表れているのである。「ピースおおさか」は大阪府市が出資している財団法人が運営しており、元々戦争の被害だけでなく加害行為を同じ程度に扱う公的な施設であった。1991年の設立当初の事務局長は「加害行為に関する研究が進みつつあり、多くの戦争体験者が健在だった時代で、日本がアジアで何をしたかを学ばなければ空襲の背景を充分に理解した事にならないという意識があった」と述べていたが、90年代末から保守系議員や団体が展示内容について圧力をかけるようになり、2011年には橋下徹府知事や「おおさか維新の会」が「偏向した展示物が多すぎる」「展示内容が不適切となれば廃館も考える」などと脅すようになり、2013年には、大阪大空襲の展示を増やし、加害展示を縮小せざるを得なくなった。改装後の展示では、数十点の加害展示を撤去したが、その主なものは「南京大虐殺」「人体実験」「重慶爆撃」「強制連行と強制労働」「捕虜の虐待」などであり、新しい展示からは「侵略」の言葉は消えてしまった。また、平和教育を行いたいという気持ちが伝わってこない内容となってしまった。また、なぜ日本が戦争を始めたのか、どこから爆撃機が飛んでくるようになったのか、空襲を天災のように誤解する子どもが出てくるかもしれないようなものとなってしまったのである。

 「大阪府遺族連合会」のDVD内容の背景には、以上のような背景があるという事を理解しておく必要がある。また、彼らのDVD制作の手法は憲法の「政教分離の原則」に違反するものであり、黙認してはいけないという事である。

(2016年10月14日投稿)

 

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