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ABCC(原爆傷害調査委員会、現放射線影響研究所)は原爆小頭症にどう対応したか?

2024-07-31 15:56:52 | 核兵器

※この投稿は、別稿「ABCC(原爆傷害調査委員会。現放射線影響研究所)を設立した狙いは?」を先に目を通してからお読みください。

 2021年1月22日、核兵器の開発、実験、保有、使用、威嚇、援助などを全面的に禁じる核兵器禁止条約が発効した。

 被爆者たちは、歓迎するとともに、米国の「核の傘」の下に居続けようとする菅自公政権に対して加盟を迫るメッセージを発信した。原爆小頭症の被爆者家族たちでつくる「きのこ会」もその一つである。

 「きのこ会」は「核兵器は単に『巨大な威力を持つ爆弾』ではありません。ひとの細胞を遺伝子レベルで傷つける人類史上類を見ない『悪魔の兵器』です。……知的障害のある小頭症被爆者たちは、自らの口で『核兵器の廃絶』とは言いません。しかし、その存在そのもので、核兵器の非人道性を訴えています」と訴えている。

 原爆小頭症とは、爆心地近くで被爆した妊娠初期の母親の胎内で、原爆放射線を浴びた事により発症する原爆後障害の一つである。

 1952年以降、ABCC(原爆傷害調査委員会)の医師は複数の小頭症患者に関する医学論文を米国内で発表した。しかし、患者や家族には放射線との因果関係や症例を知らせず隠蔽し続けた。また、日本政府は医療給付の対象としなかった

 しかし、1965年初め、中国放送記者の秋信利彦氏に、原爆小頭症患者の住所と氏名が書かれた一通の匿名ハガキが届いた事によって、その存在と問題が公になった。秋信氏はそのハガキを基に取材し、当時政府が援護対象とせず、偏見の目で見られていた小頭症患者とその家族の暮らしのルポルタージュを著したのである。また、彼の助言で患者と家族が「きのこ会」を結成したのである。それらの動きによって1967年、政府は小頭症患者6人を「近距離早期胎内被爆症候群」と認定したのである。厚生労働相によると、2020年3月末現在で政府が認定した原爆小頭症被爆者は全国で17人となっている

(2021年1月26日投稿)

 

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ABCC(原爆傷害調査委員会。現放射線影響研究所)は検査してデータだけ収集し治療せず

2024-07-31 15:54:34 | 核兵器

※この投稿は、別稿「ABCCを設立した米国政府の狙いは?」を先に目を通してからお読みください。

 米国政府はABCCに対して被爆者の治療をさせなかった。それは何故だったのか。ABCCに関する1950年代の米国公文書(米国立公文書館)によるとその理由は、

 パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(1954年2月)では、「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持する事になる。原爆投下への謝罪と解釈されかねない」としている。

また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(1954年1月)では、米国政府の公式見解として、「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別する事はできない」としている。

 つまり、米国政府は当時の冷戦下で、非人道的と非難され原爆が使いにくくなるのをおそれ、それを防ごうとしていたのである。その事は、国家安全保障会議特別会合録(1953年2月)ダレス国務長官の「米国は核兵器を覆い隠す事で、その使用が非人道的であるという考えを助長してしまっている。なぜ、10個の通常兵器で1万人を殺すのが道徳的で、1個の核兵器で同じ事をするのが非道徳的なのか、理解できない」という発言に明確に表れている。

(2021年1月28日投稿)

 

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ABCC(原爆傷害調査委員会。現放射線影響研究所)を設立した米国政府の狙いは?

2024-07-31 15:50:46 | 核兵器

 ABCCと原爆傷害調査委員会(現放射線影響研究所)というもので、広島に1947年に、長崎に1948年に米政府が設立したものである。ところでこの組織は、いつどのような目的で設立したのであろうか? その答えを得られる人々の言葉を以下に紹介しよう。

 設立当時の米国大統領はトルーマンであった。その大統領に対して1946年11月18日、フォレスタル海軍長官から、「広島、長崎の被爆者調査は合衆国にとって最重要である放射線の医学的、生物学的影響の研究にかけがえのない機会を提供してくれる」との要請がなされたという。

 そして、1949年2月には、ABCCに運営資金を提供するAEC(米原子力委員会)諮問委員会生物医学部長のシールズ・ウォーレンが「AECは軍事・民間防衛計画の策定を助け、広島と長崎から人間のデータを集める責任がある」と述べたという。

 1949年8月にソ連核実験を成功させ、1950年6月には朝鮮戦争が始まった。その年の11月の生物医学諮問会議で、核兵器による攻撃についての対策が議論されたが、先のウォーレン「実は、我々は膨大な実験結果を得ている。長崎広島の20万人以上を巻き込んだ実験である」と述べたという。

 上記の人たちの言葉から、米政府がABCCをどのような目的で設立したかを知る事ができるだろう。

(2021年1月25日投稿) 

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戦時中、大日本帝国政府は日本全国で敵国人を抑留した。

2024-07-30 18:35:50 | アジア・太平洋戦争

 アジア太平洋戦争中、神聖天皇主権大日本帝国政府は、「敵国人」を日本全国約60カ所抑留(強制収容)した。実態を調べてきた横浜市の元高校教師である小宮まゆみさんによると、日本全国で連合国側の米・英・加・蘭国籍など約1200人抑留(うち50人死亡)したという。これまで実態が明らかにされて来なかった事である。

 米国では、米国市民を含む12万人日系人を内陸の10か所の収容所抑留したが、1988年8月10日、「1988年市民的自由法」を成立させ、米国政府は日系人に対し謝罪するとともに、一人2万ドル補償を行った。

 「戦時市民転住収容の関する委員会」の人々をはじめ、日系人補償を主張・支持した一般の米国人たちは、このような過ちを今後二度と繰り返さないためにこそ過去を罰する事が必要だと考えたのである。つまり、自らの民主主義の確立・維持のためにこそ、その原則からの逸脱に十分な懲罰を与える事が必要であると考えたのである。上記委員会報告は下記のように述べている。

「我々に困難な時でも民主主義的価値を守る力があるとすれば、それは、自由と正当な手続きをうたう憲法を蔑ろにしたあの悪夢を我々すべてが忘れない事でしか実現しない。不正義を忘れ、無視する国民は再びそれを簡単に繰り返してしまう」

市民的自由法

議会は、戦時市民転住収容に関する委員会が述べた通り、第二次大戦中における市民の退去、転住、収容により、日系の市民及び永住外国人の双方に対して、重大な不正が行われた事を確認する。同委員会が認定した通り、こうした措置は、十分な安全保障上の理由もなく、同委員会が認定するいかなるスパイ活動、利敵妨害活動もないのに行われ、多くの場合、人種的偏見、戦時ヒステリア、及び政治的指導の失敗によって動機づけられていた。退去させられた日系人は有形無形の甚大な被害に苦しみ、教育、職業訓練の計算尽せない喪失が起こり、これら全ては膨大な人間的苦悩をもたらしたが、適切な補償は行われなかった。これら日系人の基本的な市民的自由と憲法上の権利の根底からの侵害に対し、議会は国を代表して謝罪する」

(2021年12月18日投稿)

 

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青森県六ケ所村に建設中のMOX燃料製造工場の一部鉄筋が腐食

2024-07-30 10:44:29 | 原発

 2020年11月11日のNHKニュースによると、青森県六ケ所村で建設が進められている、使用済み核燃料を再処理して取り出したウランとプルトニウムを混ぜて核燃料(MOX燃料)をつくる工場(政府の核燃料サイクル政策の重要な施設で、10月、原発事故後にできた規制基準の審査に事実上合格した)で、地下3階の鉄筋の一部、およそ3100本で腐食が進んでいる可能性があるという事がわかった。

 事業者の日本原燃が工事再開に向けて2020年9月に地下3階の壁をつくるための鉄筋を調べた結果、16%にあたるおよそ3100本で、鉄筋の健全性を示す値の一つ「伸び」の項目で、工業製品の品質などを定めたJIS=日本産業規格を下回っている可能性がある事がわかった。

 鉄筋は2013年から組み立てられていたが、コンクリートを流し込む前の状態のまま、2015年から審査のため工事が中断していた。日本原燃は途中でシートを取り付けるなど「錆」対策を施したものの腐食が進んだとみられる、としており、すべて交換を行う計画をまとめるなど2年後の完成に向けて耐震性などに問題がないよう対応するとしている。

(2020年12月13日投稿)

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