静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 相撲を”国技”と呼ぶのを まず止めよう! ≫  大和民族ファースト主義への 危険で排他的な兆候だと気づこう

2017-12-18 21:56:52 | 時評
★ 【日経】日馬富士問題の裏にある「日本人ファースト」の危うさ https://mainichi.jp/premier/business/articles/20171215/biz/00m/010/011000c?fm=mnm
・ 山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員の説くところは、差別される側である女性ならではの視点から描く”大相撲における民族差別感情の勃興”である。
・ 私は、白鵬の所作や言動に対し相撲協会やファン、評論家などが寄せる批判に潜む典型的な「日本文化ユニーク論」「神事としての歴史」「国技意識」の危うさを何度か当コラムで
  指摘してきた。  伝統的所作に反するからという理由だけで、非日本イコール排斥なのだ。 
   考えてみよう。 あなたは15歳で渡った外国で、異国の言葉をネイティヴ同様に話すばかりか、動作/作法を完全にマスターできますか? 
   <バイリンガル/バイカルチュラル>でも、ネイティブには絶対になれない、これは何人であれ同じ。
 
・ 「日本人vs日本出身」の滑稽な使い分けには笑ってしまうが、笑えないのは、親方制度における<日本国籍取得へのこだわり>と<国技意識>の奇妙な結びつきだ。
   そして、力士(=選手)の国際化を美味しいビジネスとしてチャッカリ進めながら、≪スポーツとしての国際化≫を何が何でも認めたくない矛盾した心情が有る。
 
   排他的であろうがやむを得ない、独特であるがゆえに伝統は尊いのだから・・・・相撲に限らないが、日本文化賛美に傾く人は、この陥穽にはまってないか? 
   これは協会幹部だけでなく、国民全般にある情緒だからこそ、私はとても危険だと感じるわけで、捨てておけないのだ。

※ 周知のように「国技」と呼び始めた明治このかた、その流れは戦前の軍国化に重なる。国家神道の称揚と「すもうは神事」「すもうは国技」意識は符合するわけで、排他的な
  民族ファーストがもたらした愚かな結末を、日本人は忘れたのか?
     多くの関係者がモンゴル出身力士を<モンゴル力士会に群れる>と非難するが、大和ヤマトと群れる己の姿と何ら変わりないではないか。  
コメント
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