静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 師走 某日 ≫   J.S.バッハ ヴァイオリン『無伴奏ソナタ&無伴奏パルティ-タ』にひたる至福の時

2017-12-27 11:34:30 | 文芸批評
 妻は出払い、物音せぬ部屋。冬の陽光が眩しいバルコニーを睨みながら、J.S.バッハ<無伴奏バイオリン・パルティ-タ>のCDに聴き入っている。演奏は、フェリックス・アーヨ。
 ご存知の方もあろうが、彼は「イ・ムジチ合奏団」の初代コンマス。ヴィヴァルデイ<四季>の初レコーディングは1955年。LPステレオ盤での再録が1959年とある。これが
故トスカニーニの絶賛と共に世界中に「四季」を復活させ、バロック音楽の復権をもたらす契機になった。

 日本では1960年過ぎ紹介され、私は夢中で何度も聴いたことを想い出す。子供こころに、彼の無限に甘く、且つ締まった音色から受けた衝撃は今も鮮烈に覚えている。
春~冬まで、どの楽章も驚嘆するしかないが、「四季」の復活に一役買ったのは「冬・第2楽章」アーヨの演奏であろう。 ヴィヴァルディ自身のメモとされる『暖炉の前で牧童が甘美な
眠りにひたる』という描写より、寧ろ聴きようでは性的エクスタシーさえ与えかねない甘美さは、この世のモノと思えない。尤も、60年代半ばだったか、『短くも美しく燃え』という
スエーデン映画に、若い男女の主人公の濡れ場にモーッアルト<ピアノ協奏曲21番>の緩徐楽章が用いられていた記憶とこれは重なる。
 CDで聴きたい人はレコード店へ。アーヨのソロ演奏盤が中古も含め現在も発売されているか不明だが・・・・。 経年劣化するLPディスクに替わるCD技術のお蔭で、何十年たっても聴く事ができるのは有難い。

私見だが、「イ・ムジチ合奏団」で彼の跡を継いだ歴代のコンマスは遺憾ながらアーヨを超えられていないし、他の合奏団もアンサンブル含めアーヨのソロ演奏版のレベルを凌ぐようには思えない。「贔屓の引き倒し」のそしりを受けるかもしれないが、単に想い出から言っているのではない、と信じている。

 アーヨは「イ・ムジチ」退団後、イタリアで教鞭を執るかたわらソリストに転じ、欧州各国で著名な管弦楽団などと協演した。1933年スペイン生まれ、存命ならば84歳になる。今も現役かわからないが、私がいま聴いているCDは PHILIPS 1974~75年にかけたローマでの録音。 無伴奏ソナタ、無伴奏パルティ-タが1枚ずつの構成。この当時はCD発明の前だから、LP盤からの変換録音だが、録音技術が良いので残響が美しく、バッハの意図した和声や対位法コンテンツが直に伝わってくる。

 アーヨの演奏を聴きつつ、ソナタ&パルティ-タ全6曲の入った楽譜を開くと、若い頃、いくつかの曲に挑戦したらしく、私の字で鉛筆書きの跡が目に入る。眉を吊り上げ、和音のたびに捻じれる指が引きつり、綺麗な和声にならぬもどかしさ、指の短さと技量の未熟を今更ながら嘆き舌打ちする・・・そんな熱い時を何度か過ごした記憶が蘇ってくる。

 時間ができ、合奏や人前でのヴァイオリン演奏の機会が今年は増えて来た。来年も此の調子で楽しむことになろう。衰えは重々承知のうえ、少しずつこの難曲に挑んでみようか。
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