静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

いま靖国から # 10  < 遺書を写す小学生 >

2014-06-15 12:11:48 | トーク・ネットTalk Net
 昨14日の記事は鹿児島県にある知覧特攻平和館での取材で始まる。遠足や修学旅行、更には行楽客が立ち寄るバス観光のコースにも最近は組み込まれているそうだ。

 私の投稿に関心を寄せて下さる方に「特攻」の説明は不要だと信じるが、若い読者へ念のために概説しておく。制空権・制海権ともに失った末期の大日本帝国が貴重な航空機を片道の使い捨てにしてでも米国船舶撃沈の効果には替えられないと艦船に突っ込ませたもので、<神風(カミカゼ)特攻隊>と名づけられた。鹿児島の知覧は其の出撃基地のひとつゆえ、戦後、記念館が作られた。そこが<平和館>と命名されたとおり、戦争の愚かしさを説き、特攻の悲惨さ・哀しさゆえに美化することなどない展示と説明に満ちているのか?

 私は訪れていないので解らないが、記事のトーンでは、荘厳な雰囲気とは遠く、昨今流行のテーマパーク感覚だと記者は描写している。ここで小泉元首相が流して見せた涙と、安倍首相ご用達作家:百田尚樹による「永遠のゼロ」が果たした特攻悲劇のヒーローイメージ化の成功は、劇場型演出政治・イメージ陶酔社会の浸透とマッチし、戦争責任を国民自らが問うことは迂回したまま、首相の靖国参拝支持世論増幅と結びついている、と記者は描く。

 これは前回の記事で紹介された、ライブバンドに乗せてイメージ操作を行う手法の変形であり、<劇的な死に方>が誘う衝撃と感動を<精神的な価値>に置き換え、知覧を<聖地>に仕立て上げた。そこには知覧を、靖国を含む<聖地巡礼>の大きな輪に組み込もうという意図が透けて見える。然し、間違っても、この意図のもとに靖国での戦犯合祀を死守したい人々が<広島・長崎>を同じ輪に入れることはないだろう。

  今を去る10年前、江田島を訪問し特攻隊員の遺書に接して詠んだ拙作三首を掲げたい。

 * 敗れると 知りつ飛ぶ君 願ひたる 異なる邦を 我ら築きしや

 * 皇国の 恩述ぶ台詞(セリフ) 書かず去る まことの辞世 誰か咎めむ

 * 原爆も 特攻も同じ ひとごろし 被害者面に 隠す罪知れ
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