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安倍氏銃撃事件:テロを許さない論調が 政治と宗教の闇を解明する努めを鈍らせてはならない

2024-07-10 08:46:30 | 時評
◆【産経】動機正しければテロ許されるか  途切れず届く差し入れ、山上の謝意と当惑・・・ 五・一五の警鐘
  7月8日付け本コラムで「安倍元首相銃撃から2年:政治との癒着を含む悪質な宗教活動規制に根本的なメスは入ったのか?」と題して書いた。
   一方、今朝の産経の記事の狙いは何かと腑に落ちない。 その疑念は次のまとめ方に顕れているので引用する・・・

 『犬養毅(つよし)が暗殺された五・一五事件(昭和7年)首謀者の一人だった海軍中尉の三上卓は裁判に当たる軍法会議で政党政治や財閥の腐敗を非難。首相個人には何の恨みもないが、支配階級の
 代表として撃った、昭和維新という革命のための「尊い死」だったと語った。三上らに従った陸軍士官候補生の被告は出身地である農村の窮乏を涙ながらに語り、傍聴人からおえつが漏れたという』。
 『昭和史をテーマにした多数の著作で知られるノンフィクション作家、保阪正康は、五・一五裁判を巡る現象を「昭和最大の誤り」と表現している(『テロルの昭和史』講談社)。
 保阪は、動機が正しければ何をやっても許されるという社会観を「動機至純論」と呼び、これを許容・称賛する社会の存在が先の戦争につながった、と指摘している。
 ⇒ 安倍氏銃撃の動機を不純と産経は暗にいうのか?・・との反問が浮かぶ。やけっぱちの暴力衝動ではなく、山上は安倍氏を宗教教団の悪に連なる政治家と明確に意識の上で攻撃したのだ。
   自民党等と旧統一教会の長い腐れ縁がなければ日本での献金吸い上げ・家庭崩壊もあり得ず、政治家の頂点にいた安倍氏の責任を問うのは何ら不純な動機ではない。
    動機が純粋であろうが不純であれ殺人してはいけない、と保坂氏は真理を言っているのであり、山上被告が5・15事件同様、目的意識を明確に持っていた事実は少なくとも「不純」ではない。
   保坂氏の指摘は正しいが、安倍氏銃撃事件に援用するのは間違っている。意図的な援用だとすれば悪質だ。


★ また、産経は「山上被告が事件後の展開に当惑している」ことで、あたかも山上被告が確たる目的意識もないまま安倍氏を銃撃したかのように見せかけ、以下の主張を述べる。
 ≪自己の動機の至純さに自覚的であった五・一五事件の被告らと、山上は違うようだ。自らの銃弾により、せきを切ったように浮上した一連の旧統一教会問題について、拘置所でつぶさに新聞に
  目を通しているという山上は「現在のような状況を引き起こすとは思っていなかった」と弁護団に当惑を語った≫。
 ⇒ 「宗教団体の規制」と「宗教2世救済」では遅まきながら法規制に動きがある。それは若い山上被告の想像力を超えた展開だったのだろう。その当惑を彼は言っているのではないか?
   当惑しているから動機は無かった、或いは不純だったと産経が誘導しようとしているなら、それはバイアスのかかった安倍賛美の片棒を担ぐことになる。

☆ 産経<元首相銃撃事件の報道は、ほどなく「暴力はいけないが…」という簡単な留保だけを付け、旧統一教会問題に置き換わった。山上の犯行は結果として、政治と宗教の〝闇〟をうがつ号砲
  だったかのように、多くのメディアで扱われた>。 
  ← 此の書き方は【政治と宗教の闇】をうがつことが”すり替え”だと言わんばかりのネガティブなトーンではないか? 産経自身は【政治と宗教の闇】を、まさか否定・無視するんじゃあるまいな?
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