静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 節約して買った本をやむなく処分した悔悟の念 ≫ 非電子媒体読書世代には哀感溢れるも・・・ 

2017-03-16 21:14:23 | トーク・ネットTalk Net
▼ 本の処分=近藤勝重<毎日/客員編集委員> http://mainichi.jp/articles/20170316/dde/012/070/003000c?fm=mnm
・ <荷造りを手伝ってくれていた友人が「よかったら譲ってくれないか」と言う。えっという顔をすると、友人は下宿代の1年分より高額の数字を口にして
  「古本屋に持っていくよりは……」とぼくを見た>>。
・ <彼は家が裕福らしく、マイカーで通学していた。比してこちらは貧乏学生である。アルバイトで得たお金をためて買い求めた全集など、多くの本に思いが
  こもっているが、引っ越しには何かとお金がいる。迷った末に応じたものの、後年、手元にあれば時の波間で惑った青春期の内面がうかがえ、多々思うことも
  あっただろうに、と後年そのことをひどく悔いた>。
 ⇒ 倉重氏のエピソードにおける当時の金額がいかほどか知る由はないが、私にも類似の体験が有る。 有るだけに、此のエッセイは胸を熱く疼かせた。

 無論、今でも苦学生は居る。読書の歓びを知り、向学心豊かな学生が絶えたわけではない。ないが、書籍の形で知的好奇心、青春の悩み、哲学的逍遥に暮れる時間を過ごした世代が抱く<書物への畏敬>が、果たして現在の学生や若者に存在するのか? 

 誤解を避けたいが、私は<印刷物としての書物への畏敬>イコール<智への畏敬>だというのではない。 唯、人間の頭脳は肉体の上に乗っかった存在である。 人間が五感で世界を知覚/認識すること、我々が同じ肉体を所有する限り、これに代わる世界認識は無いのではないか? 
 ならば、将来もヴァーチャルな機構の中で知的遍歴は残り得るのだろうか? 目の前に時間記憶を伴なう物理的存在がなく、倉重氏が語る感情は
 老いた頭の中で伝承されるだろうか?  誰もが老いる。
  「いやいや、そんな感傷そのものが無用の長物だ」というのか?  じゃ、其の先、ヴァーチャル世代の老いた心には どういう精神風景があるのだろう?
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≪ 電子媒体で記録保管は簡単な世の中だ ≫ ”保管が大変”は言い訳にならぬ  交渉経緯も保存義務対象に含めよ

2017-03-16 16:25:53 | トーク・ネットTalk Net
★ 森友学園:国有地購入 大阪府が財務局との協議記録残さず http://mainichi.jp/articles/20170316/k00/00m/040/150000c?fm=mnm
・ 府私学課は「当時の担当者が『残すべき事柄はない』と判断した」と説明。保存義務がある記録ではないが、一連の問題の検証を阻むことになっており、
  府議会から批判も出ている。

* よくビジネス世界では報告やプレゼンテーションで「結論を先に言え。 途中経過は場合によりカットしても好い」などと言うことが少なくない。
  だが、官民問わず大事な事案では、金額の多寡にかかわらず、結論や契約書最終版だけでなく、交渉経緯の記録も「後日の検証に備えるため」残す必要がある
  筈だ。 私の体験では、恐らく営利企業ほどその精神は浸透していた。 
   では官庁ではどうか? 公文書の「公」感覚が如実に発揮されねばならないのだが、昔も今も繰り返される言い訳の背景たる「残さないことが許される風土」
  自体を中から変える兆しはみられない。   職員も管理職もダンマリを決め込んでいる。。。、 何故だ?

* 理由は、官庁に「後日の検証」を”うとましく思う”体質が有るからに他ならない。 何故”疎ましく思う”のか?  
  謂わずと知れた<汚職/贈収賄/確認不足/不注意>などを隠し、追究を逃れる為のポケットを持っておきたいからだ。 
  これは半ば≪未必の故意≫と同等のサボタージュといえまいか?   それ以外の<保存しない正当な理由>があれば、堂々と言ってもらいたい。

* 国会は、公文書管理に関する法令を<保存義務対象文書の拡大&保存期限の延長>で抜本的に厳しくせよ。 

コンピューターが世に無かった時代でさえ、ひもで閉じた厚手の文書を保管する為のキャビネットや倉庫が用意されていた。また、図面等はマイクロフィルムで長期保存する努力は当時でさえ可能だったのだから、ギガバイトの桁で電子化されたデータの保存ができる現代に<保管場所が嵩むから途中経過は割愛した>という言い訳はいっさい通らない!  そういう逃げを 絶対に許してはならない。 
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≪ 私学審議会を強化しなかった 僕のミス ≫  橋下前大阪府知事+松井現知事も認めた  だが教育勅語には触れず

2017-03-16 08:44:02 | トーク・ネットTalk Net
◆ 森友学園への認可判断は「ミス」 橋下氏投稿 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12843677.html?rm=150
・ 昨日、私は毎日新聞の行った<国粋派文化人/タレント>20名への電話インタヴュー記事を転載した。 お読み戴くとわかるとおり、記事に出ている
  10人全てが同学園及び籠池氏の国家主義思想へのコメントを避ける、そうでなければ逆に「教育勅語」礼賛のいずれかであった。 

★ 安倍首相夫妻の態度豹変や逃げに終始する醜い姿と比べれば、橋下前知事/松井現知事が率直に判断ミスを認める姿は、一応高評価を与えよう。
  然し、である。 両氏が「僕のミスです」という判断ミスの中身が問題だ。 
 1) 政府や大阪府へ虚偽報告を行い、発覚後もナンセンスな言い訳に終始する籠池理事長及び学園スタッフの所業を見抜けなかった<判断ミス>と
 2) 上の(1)のような相手を見抜くために「私学審議体制強化」策を並行して行うべきだったが、それを怠ったことを<判断ミス>と纏めたのか?

 つまり、橋下/松井両氏は、同学園の経営する「塚本幼稚園での教育勅語唱和」「理事長の教育勅語礼賛」についての賛否に触れていない点で、電話インタヴューの10/20人と同列である事を天下に示したのである。  潔く行政責任者としてのミスを認めたからといって、国家主義教育の是非に付いて述べないことまで看過してはならない。 
  無論、両氏とも尋ねられれば<賛否を述べる立場には居ない>と釈明するであろう。  だが、我々が改めていま押さえておきたいのは、『日本維新の会』に始まる勢力の基礎を作って来た人物は、少なくとも、国家主義教育を正式に否定しない人達だということである。 よおく覚えておこう!
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