静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 『日本式経営の美点』物語の終わり ≫   三菱自動車、東芝、三洋、シャープ、東電 etc、

2017-03-14 23:49:42 | トーク・ネットTalk Net
* OB、縦割り… 東芝に見る日本的経営の病巣  日経編集委員 関口和一 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO13924790Q7A310C1000000/?dg=1
・ 官庁では無く、(規模は問わず)営利企業に努めた体験の持ち主なら、見出しを見ただけで関口氏の云わんとする概略と指摘点は想像できる。
  「日本的経営の病巣」とは、例えば、儒教的<長幼の序尊重>に発するOBの老害、縦割り組織、個人個人における自立心の欠如、集団合議の美名に隠れた
  無責任システム、定期採用を止めようとせぬ硬直した雇用方式、差別なき転職市場の欠如・・などなどだ。
・ 1960年代の高度成長を実現した日本式経営の根幹にあった「美点」「競争力の源泉」は、汚濁を嫌う潔癖性に発する品質維持本能を除くと、今や全て
  陳腐化した。  過去の成功体験をどう扱えば良いのか?  
・ タイトルに挙げた企業は、これら日本式経営の墨守が災いするに至った典型事例となった。 これ以外にも同じ病巣で傾く企業は沢山あるだろう。

⇒ 国際政治や世界的経済環境の変化が「日本式経営の美点」を美点ではなくしてしまった。 それに気づいても何故、日本の企業は変身できなかったのか
* 60~70代になった経営幹部自身が成功体験の当事者だったから、変わりようがなかったとの指摘は間違っていまい。では、過去の成功体験を持たない
  若い世代の幹部は、自ら変身し、社会風土をなぜ変えられなかったのか?  実は、この無変化&停滞にこそ、より深刻な日本社会全体の弱点が潜んでいる。
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≪ 長寿の延長 vs 尊厳ある生と死 ≫ 

2017-03-14 09:14:44 | トーク・ネットTalk Net
★ (天声人語)50歳のゴール http://digital.asahi.com/articles/DA3S12840133.html?rm=150
・ <遠藤周作の1970年代の短編「五十歳の男」>を書き出しに引いている。 70年代といえば今から40年余り前。
  例えば1975年に40歳だった人の平均余命は約34年、つまり75歳より前に大半の人は姿を消す。65歳では13~14年だったから、80歳前に
  居なくなるという統計的平均。 それが2010年時点の65歳では余命が約19年に延びているので、40年間でおよそ5年長生きすることに変わった。
・ <友人からは「いい年をして今更、なぜ社交ダンスなど習うんだね」とあざけられる。妻からは「年よりの冷や水」と言われる。50歳すぎでダンスの教習会に
  通う主人公は、老い始めた自分の肉体と向き合う>。 1996年公開「シャルウイダンス?」は、中年男の心の揺らぎがテーマだが、「ゴール」という語を
  遠藤周作が使っているのは、<長寿化の向こうに見え隠れする「生きる目標」づくりの大変さ>についての、作家ならではの予感だったろう。

我々は、終わり有る命をもって生まれた生き物である。それが「大自然の一部として地球上に出現した人間に宿す定め(=宿命)であることは、今後どれほど医療科学が進んでも覆ることはなく、延命記録が長く続くに過ぎない。それを直視し、従容と死に臨む態度が恰も「敗北」であるかの如き言説が商業主義と医療従事者のモラールに包まれ、はびこっている。  そこに私は不純な臭いを嗅ぎつけてきた。 ・・・すねて眺めるなら、この「長寿社会バンザイ!」キャンペーンは、
人口ピラミッド逆転で喘ぐ若年世代にょる”年寄世代から毟れるだけムシリ取ってやれ”との陰謀//意趣返しかも???・・・・

「老い」に伴う新しい難題、それは非高齢化社会には出てこなかった癌や痴呆発症の激増など、肉体由来に留まらない。他の生物と異なり、幸か不幸か、人間は「感じ/考える衝動」を死ぬ直前まで持ち続ける様に脳が設計されているため、「意図的にモノを考えない/目をそらす」ことで、そういった設計を機能不全にせぬ以上、実社会での存在意義が低下したと感じる何十年もの間をどう過ごすか? そのことに日々悩まされかねない。 真面目なヒトほど、苦しむだろう。

ポックリ死の僥倖に与かれる確率は5%未満だ、と医者が言うのを聞く。であれば、高齢者当人が半ば望まない長寿で増える金銭での苦労、親族との軋轢/遠慮から眼を背けたい/忘れたい。其の為にも各種の健康づくりに励み、サークル活動を血眼で追いかけ、カレンダーをせっせと埋めねばなるまい。 残酷な言い方だが、これが大多数の高齢者の姿ではないか?   それでも・・・『 ♪~いいじゃないの 幸せならば~♬ 』と歌うか?

◆ 『一神教、とりわけ自殺を禁じるキリスト教信者の多い西欧で、どうして≪安楽死≫<尊厳死>が他の多神教文化圏諸国よりも高く支持されるのか?』
 此の問いと、長寿化の進展/高齢化社会の苦悩はどう結びつくのか、つかないのか? 別の角度からの興味深い設問だ。 
 此の問いへの答えが「生きる尊厳」と、どうかねあうのか? 日本のような高齢化社会を経験しないヨーロッパ人/アメリカ人は どう思っているのか? 
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