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【ドイツ】 ドイツのあれこれ4…パンツァー・リートとバルジの戦い!

2018-05-18 00:49:35 | ドイツ;政治、経済/投資、文化、歴史、美術…

ドイツ語と軍歌とは、どうしてこうも合うのだろうか? いつも冷静にと思っていても
やはり勇ましい気持ちになってしまいます。丁度、映画を見た後に自分がヒーローに
なったような高揚した気分になります。

 もっとも何処の国でも"戦意の高揚"の為に作られたのだから当然と言えば余りにも
当然なのですが…。「悪の魅力」とでもいうものでしょうか?

 ① パンツァーリート〈ドイツ軍歌〉カタカナ日本語訳 Panzerlied - YouTube
   https://www.youtube.com/watch?v=GXVyrzDPmws

2017/01/30 - アップロード元: midnight kitaguni


 ② 概要
 アドルフ・ホフマン(Adolf Hoffmann)作曲、クルト・ヴィーレ(Kurt Wiehle)作詞。元のメロディーは「ルイスカリート(Luiskalied)」という漁師の歌から取られているといわれる。第1次大戦後のフライコールの行進歌「鋼鉄の軍勢(Die eiserne Schar)」が偶然に「ルイスカリート」のメロディーを使用しており、ここからパンツァーリートが作られ、親衛隊歌集に収録された。

 ナチス・ドイツ時代に作られた曲であるが、戦後もドイツ連邦陸軍で歌詞を一部変更しながら歌われていた。しかし、ドイツ連邦軍の歌集に親衛隊の歌が収録されているのは問題であるという指摘がなされ、2017年5月にはドイツ国防省は「現代の価値観に合致しない」として、この歌や「はしばみの実はこげ茶色」、「ヴェスターヴァルトの歌」などのナチス時代の曲が含まれていたドイツ連邦軍の歌集の使用を停止した。

 ドイツ連邦軍の参謀総長が来日した際、自衛隊の音楽隊はこの歌を歓迎会で原語の歌唱付きで演奏し遠来の賓客を驚かせた。これ以後、陸上自衛隊音楽隊では「パンツァーリート」を演奏するようになり、第1師団の音楽隊や、東部方面音楽隊がこの曲を定期演奏会で何度か演奏した。

 この歌はドイツ以外の国の軍隊にも採用され、一例としてフランス陸軍の第501戦車連隊は行進曲として、また同国の外人部隊は「Képi blanc(ケピ・ブラン)」という軍歌のメロディーとして用いている。

 なお、ドイツ語の「Panzer」は戦車・装甲車両などを表す語であり、ドイツ軍戦車の登場する作品で使われることが多い(後述)が、この曲が誕生した1933年当時のドイツは、ヴェルサイユ条約によって戦車の開発を禁じられていた。


 ③ 歌詞(ドイツ語)[編集]


原詩(ドイツ語)

和訳例(参考)

1. Ob's stürmt oder schneit, Ob die Sonne uns lacht,Der Tag glühend heißOder eiskalt die Nacht.|:Bestaubt sind die Gesichter,Doch froh ist unser Sinn,Ist unser Sinn;Es braust unser PanzerIm Sturmwind dahin. :|

嵐も雪も
太陽燦々たる
灼熱の日も
凍てつく夜も
|:顔が埃に塗れんとも
陽気なり我等が心
然り、我等が心
驀進するは我等が戦車
暴風の只中を:|

2. Mit donnernden Motoren, Geschwind wie der Blitz,Dem Feinde entgegen,Im Panzer geschützt.|:Voraus den Kameraden,Im Kampf steh'n wir allein,Steh'n wir allein,So stoßen wir tiefIn die feindlichen Reihn. :|

発動機の唸りと共に
疾風迅雷の如く
敵に立ち向かい
装甲をして護らしむ
|:戦友たちに先駆けて
戦場に我等は独り立つ
然り、我等は独り立つ
斯くて我等は貫徹す
敵の隊伍の中を:|

3. Wenn vor uns ein feindliches Heer dann erscheint,Wird Vollgas gegebenUnd ran an den Feind!|:Was gilt denn unser LebenFür unseres Reiches Heer?Ja Reiches Heer?Für Deutschland zu sterbenIst uns höchste Ehr. :|

我等が眼前に
敵軍現れたる時は
全力を以て
これに当たらん!
|:何ぞ我等が命を資するに値せん
そは我が帝国陸軍が為ならんや?
然り、帝国陸軍が為なり
ドイツが為に死ぬるこそ
我等が最たる誉れなれ:|

4. Mit Sperren und Minen Hält der Gegner uns auf,Wir lachen darüberUnd fahren nicht drauf.|:Und droh'n vor uns Geschütze,Versteckt im gelben Sand,Im gelben Sand,Wir suchen uns Wege,Die keiner sonst fand. :|

障壁や地雷をして
敵が我等に対抗せんとも
我等はそれを嘲笑し
その先へ進まん
|:火器の脅威が
潜む黄砂に
然り、黄砂に
我等は未だ誰も見ぬ
道を征くなり:|

5. Und läßt uns im Stich Einst das treulose Glück,Und kehren wir nicht mehrZur Heimat zurück,|:Trifft uns die Todeskugel,Ruft uns das Schicksal ab,Ja Schicksal ab,Dann wird uns der PanzerEin ehernes Grab. :|

遂に我等は見放さる
運命の裏切りに
そして再び
祖国の土を踏むこと能わず
|:我等を射抜く死弾をして
我等を宿命に従わしむ
嗚呼、宿命に従わしむ
斯くて戦車は
栄誉ある墓標とならん:|

 ④ バルジの戦い(バルジのたたかい、英語: Battle of the Bulge(バトル・オブ・ザ・バルジ)、その他の呼称は「バルジの戦い#名称」を参照)
、第二次世界大戦における西部戦線において1944年12月から1945年1月の間、アルデンヌ高地で行われたナチス・ドイツのドイツ国防軍(以下ドイツ軍)とアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘の名称。


概要

1944年12月16日、連合軍の重要な兵站基地であったアントワープ占領を目標として、ドイツ軍の3個軍がアルデンヌ地方においてアメリカ軍に攻撃をかけた。アメリカ軍はアルデンヌでのドイツ軍の攻撃を予期しなかったため、アルデンヌには実戦経験が皆無か、以前の戦闘で消耗していた師団ばかりが配置されていた。その上悪天候により航空支援も受けられず、緒戦では多くの戦線でドイツ軍の突破を許した。

しかしながらドイツ軍の補給線が伸びて行く一方で、アメリカ軍は増援部隊の到着により防衛線を着々と固めていき、12月25日には最大でもミューズ川手前でドイツ軍の攻勢は阻止され、戦線は「バルジ」(突出部の意)を形成していた。翌年の1945年にはアメリカ軍による「バルジ」への反撃が開始され、ドイツ軍の作戦は失敗し、ドイツ軍は貴重な戦力や物資を余計に消耗することとなった。

以上です。









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