生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

鏡餅

2018-12-28 01:57:24 | 日々の暮らし
幼い頃、師走が来ると、餅つき用の臼や杵(きね)、蒸籠(せいろ)、かまど、などを納屋から出して、綺麗に洗い天日干しした。

家族、近所の人たちが集まって、1日中餅つきしていた。

年に一度しか食べれない餅のありがたさにときめいたものです。

あの大声上げて、笑って突く餅の美味しいこと。

ながーく伸びる餅をおろし醤油につけてほうばった思い出は忘れない。

餅の歴史もきっと古いのだろうね。

土地柄の餅もあるだろうしね。

平安時代なんかは鏡は神が宿っていたと思われたから、鏡の前に供えたのが「鏡餅」の始まりと聞いたことが合った。

仏壇の祖母、父、母、兄たちに思い出の餅を供え感謝の礼をしようかな。

元気で健康に暮らしていると。

仏壇がない家は、この一年、失敗、病気、怪我、悩み、事故、不幸に見舞われた方は、神が宿る丸い鏡の前に
鏡餅を供えて、心機一転、健康で安全
「来福安泰」と
祈願するのもいいのではないでしょうか。

合掌
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年の瀬の六地蔵

2018-12-27 06:08:53 | 日々の暮らし
いつも通う道に六地蔵があります。

何故六地蔵があるのでしょうか。

それは、仏教に六道輪廻という教えがありまして、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」があり、次は何処の世に行くか分からない。

何処に行っても助けに行けるように六地蔵があるのです。

だから、どの地にも六地蔵が祀られているのです。

この慈愛に満ちた六地蔵を見るたびに年の瀬の昔話を思い出します。

村に住む老夫婦がお正月のお餅を買いたくて、夜なべして作った笠を爺さんが町まで売りに出かけました。

すると雪が降りだして来ました。

道ばたに並んでいたお地蔵さんが、雪をかぶっていました。

お爺さんは、お地蔵さんそれでは寒かろうにと売り物の笠を一つづつかぶせて行きました。

五体にかぶせましたが、あと一つ足りませんでした。

お爺さんは自分の手ぬぐいをとってかぶせてあげました。

売る物がなくなってしまったお爺さんは家に帰ってお婆さんに説明しました。

お婆さんはまあそれは
いいことしましたねと誉めてくれました。

お餅はがまんしましょうね。
二人は寝ました。
すると、ずしんずしん
と大きな地響きがしました。

笠をくれた爺さんの家はまだか?

ずしん
ずしん
ここだここだ

どさ、どさ
お爺さんは、恐る恐る
窓を開けて見ました。

お地蔵さんたちが歩いて行く後ろ姿が見えました。

家の前には山のように
お餅やらおせち料理が積んでありましたとさ。


年の瀬には何かと
悩み事があるものです。
人に言えない相談事苦しみ悲しみ聞いてくれますよ。

あなたにも笠地蔵が
やって来ますように。

年の瀬に皆様の慰労を祈願しまして六地蔵に

合掌
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自分のものは何もない

2018-12-26 03:43:43 | 日々の暮らし
お釈迦様の言葉に
「諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸法無我(しょほうむが)」
があります。
世のすべてはすぐに移ろいゆく。

これも過ぎ去る、
あれもまた過ぎ去る、
それもまた過ぎ去る。

すべてのものは、自分のものではない。

すなわち、これもあれも、それも。

この身体も、この感覚も、この記憶も、この好き嫌いも、この意識も、この世界も、すべては自分のものではない。

それを体感するなら、
君は苦しみから離れ君の心は浄まり安らぐだろう。

そのような意味でした。

悟りの言葉ですね。

X'masも過ぎ去ってしまいました。

今日の気づきになれば

合掌
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言葉の芸術

2018-12-25 22:45:14 | 日々の暮らし
「すべては言葉から始まった」

この世界の最初に存在したものは何か。

それは言葉であった。

言葉は神とともにあった。

この言葉が神自身であった。

この言葉によって、

いっさいのものが

創造されたのである

創造されたもので、

何一つとして言葉以外によってつくられたものはない。

この言葉には生命があった。

人の光となる生命である。


この光は闇の中で

輝いていた。

(聖書ヨハネによる福音書第1章)

これから発想して作りました。

「言葉の芸術」

言葉には色がある

言葉には重みがある

言葉には温(ぬく)みがある

言葉には喜怒哀楽がある

言葉には勇気がある

言葉には魂がある

言葉には気づかせる力がある

言葉には優しさがある

言葉には愛がある

言葉には歩き出す力がある

言葉には未来がある

言葉には夢がある

言葉には命がある

すべてはあなたの


心から出される

言葉の芸術である。

合掌


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心聞と心眼

2018-12-25 11:52:56 | 日々の暮らし
中国の詩に
「耳聞(にもん)は似(し)かず心聞(しんもん)の好(よ)きに」
があります。

「耳で聞く」とは、
相手のしゃべっている言葉の表面的な意味だけを理解をするということです。
これを耳聞(にもん)
といいます。

「心で聞く」とは相手の言葉の裏に隠れている相手の気持ちを理解するという意味です。
これを心聞(しんもん)といいます。

耳聞では人間関係は深まってはいかない。

人は本心を必ずしも言葉にしない。
大丈夫!
といいながら本心は
助けて!
の叫びがあるとか。
あなたなんて
大嫌い!
といいながら
内心ではあなたのことが好きで好きでたまらない。
というように、言葉の裏に隠れた、本心を心聞によって理解し合うことが大切です。

それでこそ人間関係が深まるということを述べています。

日本では、心眼(しんがん)という言葉があります。

「心聞と心眼」

で相手の言葉の裏の

叫びに気づきましょう。

合掌
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