生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

神の声

2018-03-26 20:14:49 | 日々の暮らし
私はいつ頃から神の声が聞こえるようになったのだろうか?

28歳の頃だった。
お風呂の湯船に浸かっていた時だった。

「お前を苦しめてやる!

ころすかもしれない!

悩み苦しめ!」

そんな声が聞こえた。


今から考えると


神は神でも


貧乏神でした。


それから原因不明の

熱にうなされ

救急車で運ばれたり

災難があいつぎ

悪い霊にとりつかれ


苦しめられた日々を


送るのでした。


地獄の苦しみの声に


10年は悩まされた。

それから私は自分の

神を見つけるようになり

その神に祈り願うようになりました。

最初の神が


地元の稲荷神社の

狐さんでした。

すごい力を頂きました。

その背中に乗って


現れたのが観音様でした。

そのおふた方の声が

聞こえるようになった

次に

聞こえたのがお地蔵様でした。

すると、貧乏神が

とうとう諦めて

「くそ!

へこたれない奴だ!


と体から抜け出し


5メートルの黒い影が

低音の深い声で

うなりながら出て

行きました」

やっと長い苦しみから

解放されたのでした。

その次に、聞こえたのが

「人の為に生きよ!」

「子供のため


年よりの為に生きよ!」


でした。


それが良寛さんの

ようでした。


宗派を考えず


独自の生き方をした


良寛さんを手本に


生きてきました。


託児所や保母さん

を派遣する会社や

家政婦さんを派遣する


会社を経営しました。



すると

マザー・テレサ様に

出会えたり


聖母マリア様に

出会えたり


フランチェスコ様に

出会いました。


空海さんもお釈迦様にも


出会いました。

導かれるように。



魂の声が聞こえる


ようになりました。




皆様も神様に


『祈り、願い


不安を買って


もらいましょう。』


あなたの心の叫びを


聞いてくれて


一緒に泣いてくれ

ています。

一緒に救いの道に


導いてくれます。




祈りましょう。




合掌

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人生の晩旬

2018-03-26 00:07:36 | 日々の暮らし
『余生』とは盛りが
過ぎた残された人生のこと。


字は余った人生と書く。


趣味を楽しみ悠々自適

な余生と使うとある。



全て納得できない。

何年も前からこの言葉に疑問を抱いていました。


また新語を作ってしまいました。




人生とはスポーツや

会社と違って、

引退も定年もない。

余った人生なんてない。


死ぬまで夢や希望を持ち続け、

人も動物も愛し、


自然の恵みに感謝して、

生かされている喜びを表す。

そんな言葉がないだろうかと。


そして、考えたのが

旬を使って

『晩旬』


です。



人生の晩旬(晩年の旬)

をあなたはどう過ごすかと使うとか。


『死ぬまで夢や希望を

失わないで生きる。』


晩旬の恋とか


晩旬の趣味とか

晩旬の社会貢献とか


命有る限り


精一杯生きなくては

いけません。


例え体が不自由になっ

ても諦めず

希望を抱いて生きる



あなたは






今が旬なのだから





合掌。


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