生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

魂の誕生

2018-03-29 12:26:08 | 日々の暮らし

「人間は二度誕生

しなければならない。

一度は母親によって

肉体の誕生を、
 
もう一度は

宗教によって

魂の誕生を


とげねばならぬ。

この二度の誕生を経て

はじめて本当の人間に


なるのだ」

(トルストイ)


魂が誕生して

本当の人間になる…。

深い意味を感じます。


以前「四人の妻」で

ほこりまみれになって

どこまでもついてきて

くれる第四の妻が


魂と述べました。


次に生まれ変わって


来るときも一緒なのです。

魂は成長し続けるもの


なのです。

以前の過ちを改め

生まれてくるからです。

私は魂が成長し浄められた時、

本当の人間になれ、


輪廻を終えて


神になれるのだと


思っています。


すると、本当の人間


としての神になった

この世の修業を

卒業し時代を越えた


諸先輩達に出会える

のです。

その喜びの為に、


魂を磨かなくては


ならないのです。



欲望のほこりまみれに


させないように…。


さあ!


春の陽射しを



浴びに野原に



飛び出そう!



魂が喜びますよ。



合掌


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人生階段への感想

2018-03-29 12:26:08 | 日々の暮らし
読者の方から「人生階段」
の日記に勇気をもらいましたとメール頂きました。

前の日記のため
何を書いたか覚えていませんでした。
毎日深夜に目覚めて
書いて数10年。
ダブル話もあるでしょう!

私も気になり、見てみました。




歳を重ねる毎に

導きの声を聴くのです。

人生は階段なのだと。

導きの声が聴こえない

と何段も登らねば

ならない。

未熟な私は随分高い

所まで登って来た

ものだ。

この階段あたりから

神様の声が

導きの声が

聴こえて来たようだ。


「私に会いに来なさい」

「私を知りなさい」

「私が待っているよ」


そんな声に導かれて

ここまで来ました。

すると成る程と

気づくのです。


すべてに意味があると


「人生の階段」を



知るのです。



皆様も同じ



いま歩んでいる事



「至難の階段」も



意味があると



いずれ分かるのです。



上から見下ろすと


その階段が

見えるのです。




あの神様の声が


聴こえていたのです。

「よしよし」

「大丈夫だよ」



「待ってたよ」




「よく登って来たね」






次の声が聴こえるまで



信じて


生きて行こうと


思いましたよ。


皆様と一緒に



「今日を生きる」


ために。


合掌


なるほど私の体験話でした。
生きる力になっていたならとても嬉しいです。

身を引き締めて
私も修業する気になりました。

なまけ者ですから
ほとんど自分への
戒めの為に、書いているのです。
一緒に生きる力を
つけましょう。


合掌

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迷いの世界

2018-03-29 00:37:22 | 日々の暮らし
身体障害者施設にいる

20歳の声を失った

寝たきりの女性の詩に

『こんな体になったけ

どしがみついて生きる』

という言葉がありました。



もしかして、仏教を読んでいるのかも知れないと思いました。

刑務所にいる人 は早く
娑婆(しゃば)に出たいと願います。


しかし、この娑婆は

極楽浄土からしたら

苦しみの世界です。

娑婆にいる僕達は

極楽浄土に早く

行きたいと願っているだろうか。


逆に苦しみのある娑婆

にいたいと願って

しまうのは何故だろうか。


親鸞聖人は私も同じだと言われたのです。

その理由は、この娑婆

が迷いの世界だからです。

迷いのなくなった人、

悟った人には娑婆は

娑婆でなくなる。

すなわち、迷っている

から離れたくないのだ。

『この世に執着しつづ

けて、そして縁が尽き

たとき、私たちは浄土

へまいるのだ。


しがみつけるだけ


この娑婆にしがみつい


ているべきだ』

と述べています。


この仏教にある言葉から


彼女はしがみついて

生きる

と表現したのかもしれない。


体が不自由になっても、

縁が尽きるまで、

この世に


しがみついて


生きると表現したのだと思うと、

健者の身なのだから

弱音は言えないと

感じました。


この世は


迷いの世界

しかし、

「迷わぬ者に


悟りなし」

(僕)

迷うから真実が

見えて来るのです。


それまで


しがみついて


生きればいいのです。



合掌

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