生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

この世は通りすぎる風

2018-03-09 05:26:44 | 日々の暮らし
愚かな者と賢い人
THE FOOLISH AND THE WISE

友よ、こんにちは。

お変わりなくお過ごしのことと思います。


この世がすべてであるかのように生きる人が多いかもしれませんが、
私から見ればちょっと可哀想ではないかと思います。

心理学者ユング(1875-1961)という人がいましたね。

彼は、死後の存在を信じることは

精神衛生上では非常に重要な役割を

果たしていると言いました。

(もちろん、健康的だから信じるのではなく、
信じるから健康的だということです)
****

キリスト様は、
悪人と善人について話すよりも、賢い者と愚な者について

多く話されました。

キリスト様が言われた愚かな者は

「アホー」とか「馬鹿」という意味ではありません。

場合によっては、この「愚か者」は万事に抜け目なく、

世の功名を成し遂げた
人たちであるかもしれません。

ただただ、この世だけに没頭して、死とか死後のことに

ついては問うことも、考えることもあまりしない。

「知らぬが仏」になるでしょうか。
***
聖パウロは、「もし、私たちは、

この人生においてキリストに望みをかけて
生きているだけのことだとすれば、

すべての人の中で最も哀れなものです」と言います。

彼はクリスチャンたちにそう言っているのですが、
しかしこの言葉は何も
クリスチャンたちだけに限りられていません。
人は
この世だけに望みをかけて生きるなら決して利口とは言えません。

気の毒です。

現世はあくまでも
仮住まいですから・・・。

「人はみな、立ってはいるが、通り過ぎる風。

人は影のように動き、
むなしく騒ぎまわる。

貯えたものも、だれのものになるか分からない」
(旧約聖書)

よい日を迎えて下さい。

祈りをこめて・・・

ペトロ神父

又来て下さいね!




ありがとうございます。
いつもお導きに感謝しています。



「この世は

通りすぎる風」


私も同じ考えでいます。

聖母マリア様


聖パトレピオ


聖フランチェスコ

聖マザー・テレサ

聖ベルナデッタ・スピール


皆様の微笑みを感じて
います。

皆様の教えを伝えられたらと思います。

天上でお会いできるのを楽しみにしています。


アーメン


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病気と闘う

2018-03-09 00:18:34 | 日々の暮らし
キリスト教徒にとって

病気とは何か?


「神から与えられた試練」

というようです。

では仏教徒にとって

病気とは何か?

「生老病死」の四苦

から、病気は苦しみと

とらえています。


どちらも

「試練とか苦しみ」

となります。

何年も療養を必要とす

る病気にかかった人に

そんな事を

言えません。


親や兄達を見ると


病気とは


「闘って生きる事」


そんな風に思います。





たとえ負けても


闘って生きた人生が



あったのです。


生還する人もいます。




病気に負けるな!



闘おう!


身代わり地蔵も


いるのだから。



貴方へのエールに



なれば。  



雨が強くなってきた。


合掌
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