TCC・竹島クラフトセンター TAKE-LOG 竹ログ

愛知県の観光名所[竹島]の俊成苑に構える手織り工房
[竹島クラフトセンター]の主人が送る大きなひとりごと。

第7回竹島弁天てづくり市の模様

2023年06月25日 | 竹島てづくりプロジェクト実行委員会

第7回竹島弁天てづくり市の会場風景や、出店作家の作品のスナップ写真です。

6月25日は梅雨の真っ最中なのに、神の助けか上天気に恵まれました。

運営委員長の山中葵さんをはじめ各運営員の方々や、市役所、ホテル竹島の協力を得て開催する事が出来ました。


梅雨時とトライアスロンの影響を心配しましたが午前中には入場者も増えて
運営委員会のメンバーも胸を撫で下ろしました。

さあー、忙しい1日が始まりましたよ、
事故のないように安全に心を配り、緊張の本部席です。

私は会場の模様を撮影しながら見回ります。




































































雨や強風に見舞われることもなく無事に閉会する事が出来ました。
搬出搬入では反省点もあり、今後の改良が必要な事もありましたが、
とにかく無事の閉会が出来た。
これも御来場のお客様の参加ご協力のおかげと思っています。
本当にありがとうございました。

そして、長い期間計画と設営、運営に協力してくださった山中委員長はじめ
運営委員会の皆さんご苦労様でした。

また、次の機会にお会いで来ることを楽しむにしています。






幸田町生活学校の皆様が三河木綿手織体験にやって来た

2023年06月16日 | 蒲郡 竹島観光 
今日は、6月16日に愛知県幸田町の生活学校の皆さんが三河木綿の手織体験にやって来ました。
その時の体験の様子を投稿します。



江戸時代と同じ機械を使って綿から糸への体験から始まりました。



「昔の人はこんな作業をしてたんですね」
「そうなんですよ、これが人類の物作りの原点の一つなんですよ」


三十数名のメンバーなので教室のスペースも狭いので、コロナ感染の心配がないように
「今日はアウトドアーにしよう」
という事で急遽藤棚の下で体験教室を開くことになりました。

まず初めに三河木綿の綿繰り作業と手紡ぎ作業の実演を見ていただいた後、本番の手織体験の授業となった。


3台の織機で数人づつ織物体験をしていただきました。
幸田町といえば深溝松平家は徳川家康の家臣であり、竹島クラフトセンターに設置されている織機は江戸時代の深溝松平家との有縁があります。


一台の食器を10人位で共有して織っています。
「ここはこうするのよ」
と先輩から後輩へ技術の伝承が行われて和気藹々の作業がつづきました。



会場の藤棚の向こうに竹島の絶景です。
「ここは良いところですね」
「こんな景色の中で手織が出来るなんて最高ですよ」


「皆さんの織物が出来ました」
みなさんの共同して織った織物が完成しまし、紡いだ白い糸も織り込まれています。
多人数で織った織物とは思えない素晴らしい出来栄えです。



「こうして織物って出来るんですね、有意義で素晴らしい体験ができました。」
「これから織物を見る目も変わったと思います」
などなど、嬉しいコメントをいただきました。

皆さんは、この体験の後は[ホテル竹島]のランチを戴くそうです。





私達結婚2年目で綿婚式です。綿から糸 糸から織物をアートしました

2023年06月15日 | 蒲郡 竹島観光 
私達、結婚2年目なので今日は”綿婚式”の記念日に綿に関わる事をしたいのです。
ネットで調べて”綿から糸を作り織物を織る”
織物体験が出来る竹島クラフトセンターに来てくれたのです。


最初に現れたのが植物である綿から種を取り除かないと、綿を使用しにくいので
綿の種を取り除く作業から始まります。
キー!キー!と音を立てて動く綿繰り機の動きに何百年も前にこの機械を作った人に思いを馳せて綿を得ることに専念しています。



綿婚式の祝いとして、自然や大地から綿を得ることの儀式として、ご夫婦の
最初の共同作業が進んでいきます。

「昨年は木婚式として和紙を漉いて来ました」
ご夫婦の共同作業として意味ある1日をと、今日は雨の中を竹島まで来ていただきました。


次は綿の繊維を解綿する”綿打ち作業”の体験です。
弓で綿を打つ作業です。
ビン!ビン!と弦の振動で綿の繊維が飛び解れるのです。
弓は、動物や人間を打つ道具ではありません、綿で身を守り子供を育てる道具です。


今日は昨年に収穫した茶綿(茶色の綿毛の種類)と白綿を糸車で糸に紡ぎ、
いよいよ機織りが始まりました。








それぞれ自分で紡いだ糸を織り込んでいます。
初めての手紡ぎですが見事に原始の綿を思わすような素晴らしい糸が
織機に織り込まれています。

手紡ぎした糸だけでコースターを織ることが出来ました。
難易度が高い糸作りでは厳しい言葉も飛び失礼しました。
大変なご苦労でしたが、綿婚式の意味ある素晴らしい作品が出来て良かったです。

おめでとうございます!






今日は三河木綿について体験研修です

2023年06月14日 | 教育 織物 体験教室
今日は蒲郡市大塚町公民館へ三河木綿の体験教室へ出張しました。

蒲郡市内の看護学校の生徒さんが地元の産業文化を勉強するために
蒲郡市大塚公民館で研修という事で、地元の織物業の白井一夫さんの依頼で
竹島クラフトセンターが蒲郡市の伝統産業である繊維と織物の出張体験教室を実施しました。


白井一夫さんの市内大塚学区における三河木綿の歴史と文化、現在の蒲郡の繊維産業の現状をお話しいただき講義が始まりました。

西暦799年に崑崙人が三河湾に漂着して以来、日本の綿の栽培が始まり、戦国時代は”どうする家康紀行”でも紹介されたように家康の母於大の方が松平家臣に綿の栽培を奨励したことから三河木綿が盛んに作られました。

今日は綿の種取りの綿繰り作業から始まりました。
木製の機器でありながら綿から種を取り除く体験では

「わー!、不思議だわどうして種が取れるんだろう」
と、声があがります。


次の工程の弓を使った”綿打ち”では、綿の繊維が解綿される様子を体験して、
病院で使うコットンがこうした原理で作られていることを学びました。

次に糸車が出されると
「これは見たことがあります」
の声がかかり糸紡ぎの中心的機具である紡錘車が登場しました。

一人づつ糸車を使って糸を紡いでいただきました。
自分の手の中の綿から糸が出来る様子を体験して
「凄い!、私の糸が出来たわ」


次に、自分で紡いだ糸を織り込む機織り体験が始まりました。
スタッフから織物が出来る原理と織機の操作法を教わりながら機織りが始まりました。
「凄い!、織れてるわ」



先に糸車で紡いだ糸が織り込まれていくと、自分の織物を作っている実感が湧きます。
「本当に自分の織物が出来るんですね」

三河地方では明治時代まではこうして手で織られて来たのです。
こうした道具を保存するだけでなく、作る技法も保存しなければ意味がない、
と現在は技法技術を会得した人を育てることを実践しています。


生徒さん達は自分で紡いだ糸を織り込みながら
「凸凹の糸だったのに織り込むと存在感がありますね」
「そうですね買いたくても何処にも売って無い商品を手に入れることは至難の業です」



「昔の人は凄かったんですよ」
昔は綿を植えて実った種を保存しながら織物や布団の綿に使い、
保存した種を春になって植えるとまた綿が実り、織物や綿に使う、
今、言われている”SDg”が当たり前に行われていたのです。


そして、一人一作品が織り上がりました。
おめでとうございます!

無事に時間内に講義を終えることが出来て良かったです。
終わってから、機材の撤収にお手伝いをいただきありがとうございました。







梅雨の合間の湿原を歩く

2023年06月12日 | 私のトレッキング
歩く欲望が湧く
それは人間だから
歩ける幸せを感じる

私は未熟児で生まれ
3歳になって歩けたそうだ
だから歩ける幸せを感じるのだ


梅雨があければ夏山シーズン
しばらく登山靴を使っていないから
今日は足慣らしと靴慣らし


今日は葦毛湿原に来た
目を凝らして湿原を歩く
5月に来た時はオタマジャクシの天国であった
まるで生命の爆発を見たようだ


食虫植物モウセンゴケ
なんだか以前より少なく感じながら歩く
「今は花が少ないね」
「花を見るなら開花の時期に合わせないと見れないね」







緑の木々から美味しい酸素と鉄分をいただきます。
「植物が鉄分を作ってくれて、動物はそれを食べて生命を維持してるそうだよ」


「植物は大変な働きをしているんだね」
今日は新しいザックと、久しぶりに履く登山靴を夏山の準備に合わせて歩きます。
軍隊好みでは無いのだが、アーミーのフレームザックが背負い易く快調でした。


お母さんと一緒に手織体験をしました

2023年06月10日 | 蒲郡 竹島観光 
先日に予約をいただいた親子さんの手織り体験です。
今日は俊成苑の芝生広場では障害者のイベントが行われて、
沢山のテントが並びキッチンカーも出て賑やかです。



梅雨の合間の曇り空、日差しも穏やかで手織体験もアウトドアーでする事にしました。
「外で行うのも気分が良いですね」

最初にコースターを織る為の色糸を選ぶことからはじまります。
「どれにしようかな」
迷うこともこれから作る為の作業として楽しい物です
迷いながら作品をデザインしているのです。
それも瞬時にして作品を構成してしまう人間のなせる技なのです。


色が決まったら織機に向かい機織りがはじまります。
スタッフから織物が織れる原理と織機の操作法を教わりながら進みます
「シャトルを通したら トン、トン」
「レバーを変えてトントン」


少しづつコースターが織られて布が現れて来ました。
「楽しい!」
自分で選んだ色糸が織り込まれて来るたびに
思い通りになったり
意図とせぬ表情が現れて来たり
期待と不安が入り混じった気持ちで機織りが進んでいきます


そして出来たコースターがこれだ!
素晴らしい!
同系色の濃淡で織り表しているデザインは素晴らしいです。

色を選ぶ時からこのデザインができていたなら凄い!
感心しながらカメラのシャッターを切った私です。

おめでとうございます。



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昭和40年代の蒲郡のゴブラン織りを織る

2023年06月07日 | 私の棉と織物
「15枚綜絖織機を使って良いかしら」
と妻がゴブラン織りの基本組織を織っておきたいと言い始めた。
かつて、江南市や蒲郡市で織られていたゴブラン織りを織るという、

ゴブラン織りはジャガード織り装置が発明されるまでは、
空引き織機(ジャガード装置の代わりに織機の上で職人が経糸を上げたり下げたりする)で織られていた装飾織物で、綴織り技術も使いながら多彩な織物を織り出していた。
もちろんフランスで発明された織り方である。


京都の祇園祭の山車に飾られているタペストリーも紋織りつづれ織で織られている。
のちにジャガールがジャガード織りを発明して以来、ゴブラン織りはジャガード織機で織られている。
昭和40年代までは京都はもちろん桐生や江南、蒲郡で織られてインテリア装飾織物だったが、最近はジャガード織の職人も減って幻の織物となってしまいそうである、


という事で、ジャガード織り意匠絵師で紋紙職人である私の指導で16枚綜絖の織機で織ることになった。

ジャガード織機は1300本の多綜絖織機なので自由に柄の創作は出来るがのだが、
我が家の織機は16枚綜絖織機なので自由な柄創作が出来ないので市松構成の柄構成で作ってみた。


基本組織は経3本×緯3丁で私が作り、妻が整経から始めて織り上げた。

蒲郡を代表する装飾織物であったゴブラン織が完成した。
次はこのジャガード織の代表組織ゴブラン織に綴れ織りを入れる企画に入る予定である。


「手織りで織らなくても、ジャガード織機の紋紙が自分で出来るのだからゴブランを
 織ったら良いのに」、
と言われるが織機を止めてつづれを織るには手織り機の方が良いのである。



Toshieさんの新企画を織る

2023年06月07日 | Hiromiさんの作品
しばらく手織教室を休んでいたToshieさんが新しい織物を織り始めた。
経糸はToshieさんが紡いだ羊毛のミックスで

出来た糸を温めて来たが今回は織機にセットし始めた


「糸が太いからボリュームのある組織を織りたいです」
さて、どんな組織を織り出すか、この経糸にどんな緯糸を入れるか

楽しみであり苦しみである企画に突入したようだ


少し織っては解いて 悩み、
糸を探して 眺めて 悩み
苦しみの時に突入したようだ。



お友達と三河木綿のフルコースを体験しました

2023年06月06日 | Hiromiさんの作品
台風一過といかないものの雨も上がり静かな竹島海岸に戻りました。
今日はお友達の4人様の手織体験です。

フルコースなので綿の種取りから始まりますが
その前に最初は綿のごみ取り作業からです。


種と綿を分ける作業を終えると綿打ち作業の後
糸車を使って手紡ぎ作業をします。

糸車で綿を紡ぐ様子を見学して
「私で出来るかしら」
と、一挙に不安がよぎる


「わ!大丈夫でしょうか切れないですか」
大丈夫です、ゆっくりゆっくり綿を引いてください
「あらっ!糸になってる、糸が出来て来た」
「綿から糸になるところから目を離さないで!」



「私、出来るかな」
「大丈夫ですよ、優しく、ゆっくりと」

大地に芽を出した綿を実らせた土と自然をいただくのです。
優しく、優しく、急激な動きでなく

「あ!切れちゃった」
自分勝手に紡ぐのでは無く、綿と糸に集中するようにしょう


出来た糸をシャトルに巻き付けると織機に座ります。
「自分で作った糸ですが大切な物になりました」

今度はどんな色糸を使いどこへ自分の糸を入れるか考えながら
機織りを進めます。


竹島を眺めながら機織りが進みます。

「ここに作った糸を入れるます」
決心したようにデザインを決めました。

それぞれ見事なコースターを織り上げて最後に記念撮影をしました。



「できたわ、すごく楽しかった嬉しいです」
「素敵に出来てありがとうございます」
嬉しいお言葉をいただきありがとうございます
おめでとうございます


嵐の中で手織体験のフルコースのご夫婦でした

2023年06月03日 | 蒲郡 竹島観光 
台風2号の影響で朝から豪雨の日となった金曜日



芝生も浸水する程の雨量が絶え間なく続き
傘を差しても効果無しの状態で、線状降雨帯の威力を見せつけられた。


竹島クラフトセンターも強い南風で吹き付けられた雨が
玄関から床下浸水状態となってしまった。

そんな中を今日の手織体験フルコースを予約のお客様がやって来た。
この豪雨の中を”竹島で手織体験を”と神奈川県から来てくれたのです。


濡れた衣服を整えて、三河木綿の手織体験フルコースの始まりです。

最初に現れたのが綿繰り機です。
「綿には種があります」

と、いうより種子を守る為に綿毛が生えているのです。

(綿の毛は 種を紫外線から守るために生えているという説がある)

その種と綿を分けてくれるのがこの機械です
「綿繰り機と申します」
不思議だね、こんな単純な機械だと思たんだが優れ物だな


”ご夫婦で仲良く綿繰り作業です”
現代社会ではご夫婦で一つ仕事をやる機会が少ないので、
これは夫婦円満には良いアイデアであると思われます。


綿打ち作業の後、弓を使った綿打ちをして
糸車で手紡ぎをして自分の糸を紡ぎます
この作業で出来た糸を手織体験でコースターに織り込むので、
真剣な作業がつづきます。



そして、最後の手織体験となりました。
綿の種を取り、弓で綿打ちをして、糸を紡いで
その糸をコースターに織り込む手織体験である、
だからフルコースと名付けたのです。


自分で選んだ色糸を織り込みます。
そして、自分が作った糸をどこへ入れるかデザインしながら織っていきます。
「このフルコースは楽しいです」
とお褒めの言葉をいただきました。

外は相変わらず猛烈な雨が降り続いています。
明日はお二人で有松絞りまつりを楽しむのだそうです。


神奈川県から蒲郡観光と三河木綿の手織体験を楽しみ、
明日は有松絞りを楽しむご夫婦の手織体験でした。







三河木綿のフルコースを体験したくて来ました

2023年06月02日 | 私の棉と織物
三河木綿手織体験のフルコースの予約をした女性がご来店です。
「綿の事や糸と織物を知りたくて来ました」

三河木綿の手織体験のフルコースの始まりは、綿のゴミ取りから始まるのです。
それは綿と作者の出会いの挨拶みたいなもので、お互いによく知り合うには
大切なことと思います。

そして綿の種とワタを分ける[綿繰り作業]になります。



「凄いですねこの機械」
そうなんです、凄いんです!
木製でハンドルを回すだけで綿の種を取り除いてしまうんですよ、
私の知る限りでは室町時代には存在していた。

この機械の出現し、綿を身に付けて暖を取った事で世界の人口は増えたと思っている。

その後の作業は[綿打ち]である、
そして現れたのが狩や戦で使う弓である、
”何故弓なの?”
体験する生徒は皆そう思う、
弓の弦がブルンと振動すると綿の繊維が飛び散りながら解綿されていく、
この現象を誰が考え実践したのだろうか、

私はガラ紡機を発明した臥雲辰致を思い出すのである。



次に現れるのが糸車である、

「これをやってみたかった」

と感激した面持ちで糸車の操作を習います。
その原理はスピンドルである、
蒲郡の古墳からもスピンドルが出土したことから古墳時代からあったものだ。
スピンドルは独楽の事で綿の繊維を回転をさせて糸にする原理を
誰かが見つけて、より効率的にした機械が糸車(紡錘車)である。
(フルコースでは糸車を使って糸を紡ぐ体験をしていただきます)



作者自身が紡ぎ上げた白糸をシャトルに巻くと織機に向かいます。
織機に座る時、それはワクワクする瞬間です。

綿が糸になり、織物になっていく
凄い!私、糸を紡いでいる!
そんな興奮の中で、次に機織りがはじまります。

いろいろな糸の中から好きな色糸を選び緯糸に織り込みます。
また、ワクワクの時が迫っています。


スタッフから織物が出来る原理と織機を操作する方法を教わりながら
織物体験が進みます。

一本の糸が織られるたびに次の展開が目の前で起きてくるのです。
何も無かったところから今 物が作られ現れて来る
それも手から作り生まれるのです。
そして 作るのはあなたです。