今日は蒲郡市大塚町公民館へ三河木綿の体験教室へ出張しました。
蒲郡市内の看護学校の生徒さんが地元の産業文化を勉強するために
蒲郡市大塚公民館で研修という事で、地元の織物業の白井一夫さんの依頼で
竹島クラフトセンターが蒲郡市の伝統産業である繊維と織物の出張体験教室を実施しました。
白井一夫さんの市内大塚学区における三河木綿の歴史と文化、現在の蒲郡の繊維産業の現状をお話しいただき講義が始まりました。
西暦799年に崑崙人が三河湾に漂着して以来、日本の綿の栽培が始まり、戦国時代は”どうする家康紀行”でも紹介されたように家康の母於大の方が松平家臣に綿の栽培を奨励したことから三河木綿が盛んに作られました。
今日は綿の種取りの綿繰り作業から始まりました。
木製の機器でありながら綿から種を取り除く体験では
「わー!、不思議だわどうして種が取れるんだろう」
と、声があがります。
次の工程の弓を使った”綿打ち”では、綿の繊維が解綿される様子を体験して、
病院で使うコットンがこうした原理で作られていることを学びました。
次に糸車が出されると
「これは見たことがあります」
の声がかかり糸紡ぎの中心的機具である紡錘車が登場しました。
一人づつ糸車を使って糸を紡いでいただきました。
自分の手の中の綿から糸が出来る様子を体験して
「凄い!、私の糸が出来たわ」
次に、自分で紡いだ糸を織り込む機織り体験が始まりました。
スタッフから織物が出来る原理と織機の操作法を教わりながら機織りが始まりました。
「凄い!、織れてるわ」
先に糸車で紡いだ糸が織り込まれていくと、自分の織物を作っている実感が湧きます。
「本当に自分の織物が出来るんですね」
三河地方では明治時代まではこうして手で織られて来たのです。
こうした道具を保存するだけでなく、作る技法も保存しなければ意味がない、
と現在は技法技術を会得した人を育てることを実践しています。
生徒さん達は自分で紡いだ糸を織り込みながら
「凸凹の糸だったのに織り込むと存在感がありますね」
「そうですね買いたくても何処にも売って無い商品を手に入れることは至難の業です」
「昔の人は凄かったんですよ」
昔は綿を植えて実った種を保存しながら織物や布団の綿に使い、
保存した種を春になって植えるとまた綿が実り、織物や綿に使う、
今、言われている”SDg”が当たり前に行われていたのです。
そして、一人一作品が織り上がりました。
おめでとうございます!
無事に時間内に講義を終えることが出来て良かったです。
終わってから、機材の撤収にお手伝いをいただきありがとうございました。