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【cinema】『PLASTIC CITY 』(試写会)

2009-03-21 11:25:48 | cinema
'09.03.11 『PLASTIC CITY』(試写会)@TOKYO FM HALL

ホントは同じくオダジョー主演の『悲夢』を見に行く予定だったけど、オダジョー・ファンのbaruが試写会当選。こちらを見ることに。

「ブラジル・リベルダーデ。両親を亡くし、マフィアのボスであるユダに育てられた日系人キリン。2人は実の親子以上の絆で結ばれていた。しかし、新興勢力がユダに迫っていた…」という話で、クライム・ムービーとのことなんだけど、これはどうだろうか…

やりたいことというよりも、撮りたいシーンがまずあって、それを繋げて行ったという感じ。しかも、その映像とか撮り方に一貫性がなく、しかもどこかで見た印象。オープニングのサンパウロの町並みを空撮して、ビルの上に出演者の名前が出てくる映像は、たしか『パニック・ルーム』だったように思う。キリン達が敵対する組織と対決する場面で、妙にアニメっぽくなってしまうのは『SIN CITY』? 特別"この作品"と思い当たらなくても、どこかで見た印象のシーンが多い。別にパクリというつもりはないけれど、オリジナルを越えられないのであれば、パロディー以外はやめた方がいいし、オマージュなんであれば双方が生きる形で作らなければ意味がない気がする。意図的なのか、自然になのか真意は分からないけれど…

監督が撮りたいシーンを優先しての結果なのか、脚本からしてそうなのか、予算や尺の都合上、編集でズタズタになったのか、多分その全部なんじゃないかと思うけど、とにかく各シーンがぶつ切りで完結しないまま終わる感じなので、全体的に意味は通じるし、やりたかった事も分かるんだけど、とにかく消化不良のまま進んで行く。なので、人物像を紹介したいのであろうシーンや、ストーリーのカギとなる部分もも何だか掴めないまま終わる。だから唐突に起こる出来事や、登場人物たちの感情の爆発みたいなものが、何故なのか理解出来ないで進んでしまう。まぁ、理解は出来るんだけど、もらっていた情報と行動があまりにしっくりこなくて、おいてきぼり感。

オダジョーが何故この作品を選んだのか不明だけど、オダジョーの役は日系ブラジル人。両親を殺されたため、中国系ブラジル人のユダに育てられたため、ポルトガル語と中国語を話す。かなり頑張っているけど、ネイティブとは言い難く… 共演のブラジル人俳優も何となく素人っぽい感じで、親友とか恋人とかの関係がイマヒトツ説得力がない。それも中途半端なままシーンが変わってしまっているように感じる事の一つ。

例えば、キリンは行きつけのストリップ・バー(っていうのかな?)で、お店の女の子から「あなたは愛している人がいるものね」的なことを言われた後、やたらとエロく誘ってくる女が登場するけど、彼女がそうだとしたらなんかなぁと思っていた。だってVIP ROOMなのかもしれなくても、あんな風にその場で行為におよぶよう誘う女を真剣に愛するだろうか? しかも「私あなたの芸者になる」とか「私のサムライ」とか言われるけど、日系ブラジル人だから芸者もサムライも見たことないでしょ。日本にいても見たことありませんが(笑) 海外市場向けにはありなのかも知れないけど、日本人としてはイマドキ「私のサムライ」って言われても… と、結局どうやらこの女性がキリンの彼女のようで、実は小さな息子もいる彼女はいわゆる年季が明けて田舎に帰るけど、これにキリンも同行するという。だけど、2人の感じがとってつけたようで、全然そんな風に見えない。キリンが何に対しても、真剣になれない、生い立ち故に距離を置いてしまうように描きたいのかもしれないけれど、そんな描写もないし… 正直、この女性とのエピソードなんてなくても成立する。別にあってもいいけれど、こんな感じのとってつけたようなエピソードやシーンが多いのが気になる。

そういうとってつけたようなシーンの中に、意外に重要なシーンが挟まれているけれど、そういうシーンも同じトーンでサラリと描かれるので、見ていて気づかない。ユダを呼び出して何かをやろうと持ちかける男が、一体何者なのか何の話しなのかも分からず、当惑していると、実は警察で一斉ガサ入れが行われ、ユダまで逮捕される。前にも書いたけれど、そういう説明不足の上に起きる、重要な出来事とかについて行けずに当惑。

冒頭、アマゾンの森の中をユダと幼いキリン、そしてキリンの両親が逃げ惑うシーンから始まる。キリン達家族とユダの関係はこの後はさっぱり描かれない。ネタバレかもしれないけれど、アマゾンのシーンの直後、ビルの屋上からキリンがお金をバラまく姿が映る。両腕を広げたその姿は、有名なリオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘にあるキリスト像を思わせる。その育ての親のアダ名がユダ。これはキリストとユダのという事をやりたいのかなと思う。全てを失いうちひしがれたユダが、キリスト教に傾倒する姿も描かれていたりもる。キリスト教徒ではないので、2人の関係について詳しく知っているわけではないけど、ユダの裏切りによりキリストは磔になったのだと思う。その辺りはラスト近く再びアマゾンで2人が再会するシーンがそうなのかなと思う。はっきりとは描かず見る側に判断を委ねているので、勝手な解釈だけど、それはユダがキリンの両親の死の原因であるということ。まぁ、それは冒頭のシーンで分かることだけど…。

あまりに酷評し過ぎて心苦しいのだけど、誉める部分が少ない… 主演のオダジョーは頑張っていたけれど、この役合ってないように思う。何事にも真剣にならず、心が満たされることがなく、日々適当に生きているチンピラ。でも、いざとなると自分の身をかえりみず、行動する。危険で、でも魅力的。という人物にしたいのだろうけど、何度も言うように、とってつけたようで、そうは見えない。まぁ、ギリギリそう見せたいんだろうなと思えたのは、オダジョーのおかげかとは思うけれど…

この作品で唯一よかったのはユダ役のアンソニー・ウォン。ユダは裏社会を仕切ってきたけれど、決して無敵の男ではないし、実は弱い部分もある。いつもはわりと静かに自分の存在を消していて、フツーのオッサンのような佇まい。でも、やる時はやる。徹底的にやる。まぁ、映画でよく見かけるタイプだけど、それでもそれがすんなりと受け入れられた。キリスト教にすがってしまう姿にも、人間の弱さが感じられて(※宗教を信仰する事自体を弱さと思っているわけではないです!)よかった。もうホントに何度も書いて申し訳ないけど、行動や背景が説明不足なので、ユダにまつわるシーンでも、「?」となることもあるのだけど、アンソニー・ウォンの全身から漂う人間臭さみたいなもので補われていて、説得力があった。

というわけで、あまりオススメはできないかな。そもそも何故ブラジルなのかも謎。ブラジルの犯罪事情とか、貧しさゆえに裏社会に入ってしまう感じとか、そういう辺りはあまり描かれていないし… その辺りは『シティ・オブ・ゴッド』や『バス174』などを見たら、もうホントにどうにもやるせない気持ちになるくらいリアル。まぁ、それすら本当の姿なのか分からないけれど…

どうにも分からないシーンが2つ。
1)何故ユダは死んだことにしてまで釈放されたのか。
2)再び戻ったアマゾンでユダは何者かに襲われけど、別の人物(この人との関係がサッパリ分からず…)が殺され、今日のところはこいつの死でOK的な事を言われているシーンは丸ごと意味不明。

今書いていて1)については分かった。お金だな(笑)
2)について分かった方、是非教えて下さい!


『PLASTIC CITY』Official site

コメント (3)
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