なぜにフランツ1世を選んだか?
フランツ1世妃 カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン
1792~1873/在位 1816~1835
フランツ1世ったら、3人目の妃マリア・ルドヴィカが亡くなってから
なんと7ヶ月で4人目の妃をもらっちゃいました。
24歳年下の美しいカロリーネ・アウグステです。
カロリーネは、フランツの弟トスカーナ大公フェルディナント3世にも
プロポーズされたのですが、フランツを選びました。
なぜにかしら?
Wikipediaでフェルディナントを見てみると精悍そうなお顔立ちよ。
弱々しくてメッテルニヒの言いなりのフランツよりいいんじゃないの?
やはり皇帝の肩書きが強かったのかしら?
カロリーネも2度目の結婚でした。
最初の相手はヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世で
フランツ1世の最初の妃エリーザベト・ヴェルヘルミーネの甥っ子でございます。
カロリーネとヴィルヘルム1世はナポレオンに命じられて1808年に結婚しましたが
ふたりは最初から「自分たちは政治の犠牲者だ」って思いに取り憑かれて宮廷内で別居し
1814年にナポレオンが失墜するやいなや離婚しました。
この時代、政治に利用されない結婚をする王侯貴族の方が珍しいとは思うのですけれども
ナポレオンに仕組まれたってところが癪にさわったのかしらね。
オーストリア皇帝と言っても当時国は財政難で結婚式は簡素なものでした。
フランツも4回めだからさぁ… どうでもよかったでしょうね、式なんて。
カロリーネは “ エレガントで敬虔で知的だが、何はさておき美しい ” と言われて
たいした人気者になったそうです。
病院や貧民宿泊所を建てたりと、慈善活動に熱心だったのも人気の理由かもしれません。
1835年にフランツ1世が亡くなるとザルツブルクへと移り
38年後に亡くなりました。
これから登場する人気者シシィは、義理の母ゾフィーとの確執が伝えられていますが
カロリーネはどちらとも親友としてつき合っていたそうなので
時にはふたりの仲を取持ってあげたかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フランツ1世妃 カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン
1792~1873/在位 1816~1835
フランツ1世ったら、3人目の妃マリア・ルドヴィカが亡くなってから
なんと7ヶ月で4人目の妃をもらっちゃいました。
24歳年下の美しいカロリーネ・アウグステです。
カロリーネは、フランツの弟トスカーナ大公フェルディナント3世にも
プロポーズされたのですが、フランツを選びました。
なぜにかしら?
Wikipediaでフェルディナントを見てみると精悍そうなお顔立ちよ。
弱々しくてメッテルニヒの言いなりのフランツよりいいんじゃないの?
やはり皇帝の肩書きが強かったのかしら?
カロリーネも2度目の結婚でした。
最初の相手はヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世で
フランツ1世の最初の妃エリーザベト・ヴェルヘルミーネの甥っ子でございます。
カロリーネとヴィルヘルム1世はナポレオンに命じられて1808年に結婚しましたが
ふたりは最初から「自分たちは政治の犠牲者だ」って思いに取り憑かれて宮廷内で別居し
1814年にナポレオンが失墜するやいなや離婚しました。
この時代、政治に利用されない結婚をする王侯貴族の方が珍しいとは思うのですけれども
ナポレオンに仕組まれたってところが癪にさわったのかしらね。
オーストリア皇帝と言っても当時国は財政難で結婚式は簡素なものでした。
フランツも4回めだからさぁ… どうでもよかったでしょうね、式なんて。
カロリーネは “ エレガントで敬虔で知的だが、何はさておき美しい ” と言われて
たいした人気者になったそうです。
病院や貧民宿泊所を建てたりと、慈善活動に熱心だったのも人気の理由かもしれません。
1835年にフランツ1世が亡くなるとザルツブルクへと移り
38年後に亡くなりました。
これから登場する人気者シシィは、義理の母ゾフィーとの確執が伝えられていますが
カロリーネはどちらとも親友としてつき合っていたそうなので
時にはふたりの仲を取持ってあげたかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)