まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王ルイ12世妃 聖ジャンヌ

2009-03-01 11:05:56 | フランス王妃・王女
信じた神の使者に裏切られ・・・
ルイ12世妃 聖ジャンヌ・ド・フランス


1464~1505/在位 1498

ベリー公ジャンヌはルイ11世の娘で、つまり先王シャルル8世の姉です。
ルイ12世はまたいとこにあたります。
12歳の時にオルレアン公だったルイと結婚しましたが、22年後に思わぬことで
離婚することになりました。

         

シャルル8世が亡くなり、夫がルイ12世として即位したまでは良かったが
なんと、弟の未亡人アンヌと結婚しなければならないというじゃありませんか!
ルイ12世がそんな条項を退け、ジャンヌと離れないということもできたのでしょうが
逆にホイホイその条項を受け入れようとしました。

ブルターニュを手放したくないというのはもちろんあったと思いますが
ジャンヌ34歳、アンヌ21歳 … なんかそういうのもあるんじゃなくって?

かくして “ その時代最も下劣な訴訟 ” といわれた裁判がはじまります。
まずルイ12世は、お決まりの『同族結婚』を持ち出します。
あらゆる方面からみてふたりの血が近すぎるというのです。
しかしこれには説得力がなく(またいとこはOKみたいですね)再三(12回!)の
申し立ても却下され、王は卑劣な理由を持ち出します。

ジャンヌが一種の畸形でそのため夫婦関係が結べなかったと言いだしたのです。
たしかに結婚から22年たっても子供はいなかったのですが
これにはジャンヌも、もちろん!激しく反論しました。

ルイ12世は自分の性的能力がアンヌのせいで発揮できないと言いますが
ジャンヌは「できるって自分で分かってるじゃないの」と
(もちろんもっと上品な言葉で)応酬します。

また中立的な議会も開かれ、裁判はジャンヌに有利に展開していました。
それなのに、教皇アレクサンドル6世は政治的な理由から王の言い分を聞き入れ
結婚の無効を宣言してしまいました。 ひっど~い 教皇なのに。

なんでもジャンヌはとても敬虔なカトリック教徒だったそうで
教皇のそんな仕打ちで離婚させられるなんて、悔しさはいかばかりだったでしょうね。
だからといって信心深さは変わらなかったようです。

病気がちだったジャンヌは処女マリアに心酔していて、まるで尼僧のような暮らしぶりで
1505年ブールジェで亡くなりますが、死に際しては奇跡も起こったなどと言われました。
20世紀になって、教皇ピウス12世により聖人に序列されました。

              
               聖人なのでこんな肖像画もあります

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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フランス王シャルル8世妃 アンヌ

2009-03-01 02:08:04 | フランス王妃・王女
略奪された王妃
シャルル8世妃 アンヌ・ド・ブルターニュ


1477~1514/在位 (シャルル8世妃)1491~1498 (ルイ12世妃)1499~1514

ブルターニュ公国は当時戦いの要所として各国から注目され、相続人のアンヌは
(一説には美しくなかったというけれど)小さな頃から求婚が絶えませんでした。
13歳の時、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と婚約し、代理人と式を挙げ
(当時は)立派に結婚したことになっていました。
ところが攻め込んできたシャルル8世に結婚をせまられ
フランス勢に包囲されてしまったアンヌは不承不承承諾します。

        

ウィーンの戦地にいたマクシミリアン1世は、アンヌと自分が結婚しているばかりか
シャルル8世も自分の娘であるマルグリートと婚約しているではないか!と
意義を申し立てますが後の祭り…既に式を挙げてしまっていました。
(ちなみにシャルル8世も自分の城で養育していたマルグリートと式を挙げていたそうで
 結婚していたという解釈のものもあります)

マルグリートは親元へ帰されるのですが、一説によるとフランスでとても人気があったらしく
あとから来たアンヌへの風当たりは強かったそうです。
好きで来たんじゃないのにね。

どうしてもブルターニュを手放したくないフランスは
シャルル8世が嫡子を残さずに他界した場合 “アンヌは次王と再婚しなければならない”
という、とんでもない条項を加えています。 おいおいおい

14歳のアンヌにとって結婚生活は憂鬱でした。
アンヌの輿入れ道具の中には2つのベッドもあったらしいのですが
それは当時王と王妃は別々の寝室で寝るもので、アンヌも当分ひとりで寝るんだとばかり
思っていたからなのです。
が、しかし、シャルル8世はアンヌにそのベッドを使わせませんでした。
てぇことは…アンヌ14歳なのに… ふたりはこの件でよく喧嘩をしたそうですが
相手は男だし、王様だしね。

そんなわけでアンヌは15歳から毎年のように子供を生んでいます(年に2人の時も!)
けれど7人のうち6人までが死産か生後間もなく死亡しています。
かろうじてシャルルという子が3歳まで生きていました。
母体にも子供にもいいことではないですよね。
中世には出産時に死亡する母親や死産、夭折などがすごく多いのですけれど
出産も早けりゃいいってもんじゃないと思うが…

結婚から7年、シャルル8世が急死しますが、これはテニスの最中
ドアの横木に頭をぶつけたからだそうで、数時間後に亡くなっています。
どれだけ強くぶつけたんだか

アンヌは21歳で未亡人になりましたが、そこには結婚の時に結んだ条約が…

To be continued...

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
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